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今日の私が、明日の私を創っていく。

明日は私の誕生日だ。

20歳まで生きてるかわからないと言っていた私は、30歳まで生きていそうだ。

歳をとった自分を想像できなくて、そんなことを思ったり考えたりしていたのだと思う。

明確なビジョンが見えなくて、毎日毎日生きているのに死んでいるような感覚で、私は未来は明るいといいなと思いながら、今だけを見つめていた。

必死に生きてきたような気がするけれど、中身は空っぽ。そんな私も明日27歳になる。

実感はないのに歳を重ねていくのは、なんだか不思議。でも、鏡に映る顔を見ると、やっぱり老いを感じる。

怪我が治りにくくなったり、筋肉痛の引きずり方も半端ないし。アニメとかゲームがだるいなぁ…なんて思ったりするし。新しいものに対してのワクワク感は減った気もするけど、「好きなこと」に対しての情熱は、未だに健在である。

そんな私の、誕生日前夜のお話。

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私は毎年、誕生日の前日は1年を振り返ったり、来年の自分へのメッセージを書いておく。そして、前日になった私は過去の私へ会いにいくのだ。

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今年は○○したよ。
あと○○も始めたんだ。

……

○○なことは、どうなった?
○○してたけど、続いてる?

25歳の私、ありがとう!

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そんな言葉が並んでいた。この「来年の私にメッセージを!」なイベントは、私が高校生の時から毎年行なっている。

もう10年経つようだ。

きっかけは、高校の現代文の授業だ。
その先生の授業は、最初の授業で来年の自分へのメッセージを書くというのが、お決まりのようだった。

それには、進路や成績。そして家庭や友達のことをたくさん書いていた。こっそり、お小遣いなんかも入れたりして。過去の私に助けられたこともあったなぁと、しみじみ思う。

過去の私との約束もだいぶ破ってきた。それくらい、過去の夢を叶えることは難しいことも学んできた。

それでも、今年も来年の私の誕生日前日のために書こうと思う。

こうやって、誰でも見える場所に書くのは初めてだから、少しタイピングする指が緊張している気がする。

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さて、時刻は21時回ったところ。
もう3時間ほどでまたひとつ歳を重ねる。
今年を振り返ろう。

大きな変化編

・うつ病再発した
・1年通して、12、3kgの体重の増減があった
・当時付き合ってた人と別れた
・県外へ引っ越した
・BARで働いた
・今の彼と出会って付き合った
・たくさんライブ行った
・10年片思いを続けてた人を諦めた
・カメラを買った
・色んな場所へ行った
・会社を辞めてフリーランスになった
・noteを始めた

どうでもいい編

・懸賞運上がってる気がする
・ライブにいくと演者に触れることが多くなった
・髪の色変えた(緑、金髪、グレー、ツートン、赤、ピンク、紫)
・USJの楽しさを知った

プラスもマイナスもまとめて、こんな感じだ。

さらに細かく言うと、キリがないけれど。

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私は、20歳くらいの時に見てもらった占い師に、26歳で自分が一生続けていく仕事と出会う。なんて言われた。

もしそれが当たっているとしたら、26歳でフリーランスのライターになった私は、きっとライターの仕事を一生続けていくのだと思った。

占いを信用し過ぎてる訳ではない。しかし占いの結果が、追い風になったのは事実だ。何より好きだからこそ、そうなるように努力もしてきた。事前の準備が功を期したのだと、思いたい。

そして、noteを始めたのも26の私の決意のようなもの。すぐに飽きてしまいがちな性格だけれど、書くことを忘れたくない。書くことを習慣づけたいという誓いのような目標のために始めたことだ。

いつか…いつか…を先延ばししていた私が、全てにおいて、決断した1年だった。

実行の26歳。勘が冴えわたっていたのだと思う。

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そして迎える27歳の私。

新しいことを始めないほうがいいとか、たくさん遊ぼうとか、現状維持が良い。占いだとそういうことを言われた。

決断した1年とは言ったものの、根が深い問題は解決を先延ばしにしているものがいくつかある。

しかしそれも、タイミングが味方してくれるのではないかと期待もしている。

現状維持を続けながらも、自分の「好き」に全力疾走な1年になればいいなと思う。

今月から、ライターの仕事は増えた。そして、BARは今月で辞める。

無理に変わろうとせず、ひとつ始まれば、ひとつ終わらせる。」を目標に、コツコツと頑張りたい。

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番外編

そういえば、その20歳の時に占ってもらって、ずーっと頭の片隅にあるのが、「28歳の誕生日を祝ってくれた人が結婚相手」だと言われたことだ。

私は、一生ひとりで生きていくのだと思っていた。私の好きはどこか歪んでいる。そう思っていたから。

友人に言われた、「結婚しなさそう」という言葉もどこか引っかかっていた。

私の好きは、執着や依存。と言ったほうが相応しくて、愛とか支え合うなんて、母性に満ち溢れたことは程遠い。

そんな甘くて切ないケータイ小説のような話は、現実にはおこらない。

ずっとそう思っていた。

それなのに、出会ってしまった。

今まで馬鹿な恋愛ばかり繰り返してきた私だからこそわかる。これは執着や依存というより、本当に大好きで仕方ないのだ。

両思いであることが嬉しい。一緒にどこかへお出かけするだけでも、「ええ…この人が私の彼氏なのですか!?最高にハッピー…いやハピエストじゃん……」。

そして、彼の一言一言に、愛を感じるのだ。

恋愛に臆病な私は、最初こそ騙されているのでは…?と怖くなった。しかし、これが騙すとか遊びなのだとしたら、とんでもない労力を費やしているのではないかと思う。

そして、初めて純粋な気持ちで「この人と将来を共にしたい」と考えるようになったのだ。

高校生の私は「あの人と結婚できなかったら私一生結婚なんかしない」「あの人の子供以外産めない。というか私子供苦手だし」なんてことを言っていたけれど、多分見栄だったと思うし、それくらい一途な自分すごいでしょ?のようなものでしかなかったと思う。

「私にはこの人しかいない」と盲目になり過ぎていた自分が怖い。

まぁそれはおいて、もし「28歳の誕生日を祝ってくれる人が結婚相手」ということがもしピタリと当てはまったとしたら、「今の彼かな…」と気持ちを膨らませてしまう。

「やっぱり今の彼しかいないでしょ!」とかではなく、純粋にただただ嬉しい。

占い通りに人生うまくいくなんて、そんなうまい話があると思ってはいない。きっと自分の努力なしでは無理だ。

私はこれからも彼の隣にずっと居られるように、努力を怠らず、毎日を過ごしていきたい。

それが叶ったらその時は占い師さんの元へ行ってお礼と、気になる方へ紹介もできたらいいな。

来年の私が見たら、笑っちゃうかも。

どうなっているかわからないけれど、来年の誕生日も、笑顔で迎えられますように…。

お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。