私はおじさまに飼われたい


柔らかく、どこか色気のある視線を私にむかって落としているおじさまを手に入れられないのなら、せめてあなたの飼い猫になりたい。

樹齢100年以上はある大きな枝垂れ桜の下で、座っているおじさまの横に甘えるように寝転びながら、そう思った。

 日本の天然記念物に指定されたこの枝垂れ桜は、普段、人が近寄れないように厳重に管理されている。木のまわりには囲いがあり、人と一定距離が保たれている。枝垂れ桜の枝の部分を何本もの太い杭(くい)が支えている。見頃の時期になると観光客は観桜料(かんおうりょう)を支払い、日本各地から大勢の人が集まる。バスのツアーも組まれている。

 そんな貴重な枝垂れ桜の下で、赤いギンガムチェックのレジャーシートをひきながら、私はおじさまと2人きりでお花見ができている。いくらしたかは教えてくれなかったけど、彼がひょいっとポケットマネーで貸切料金を支払ったという。

 ほんの数日前、おじさまは場所を告げずに「お花見に行こう」と言うので、素直についてきたら、この場所だった。お花見をしたいからという理由で天然記念物を操れるほど、おじさまがどんな仕事をしているかもわからないし、どんな立場かも詳しくは知らない。どんな生活を送っているかも知らない。

 でも、唯一はっきりしているのは、彼が社会的にどんな人物かは理解できなくても、彼のグレイッシュヘアーが好きであること。少しカールした前髪の毛先が柔らかそうで、思わず触れたくなること。耳から鎖骨にかけて筋立ったラインや、立派な喉仏に見惚れてしまうこと。

 うっすらタバコの匂いが染みついた大きな手で、おじさまは私の髪をつむじから首筋にむかってゆっくりと撫でる。1本ずつ確かめるみたいに、ゆっくりと。私の顔に触れる彼は小鳥を触るように、指の腹でそっと触れる。ゆっくり、ゆっくり、スローモーションのように指を滑らせる。髪を撫でる時とは、ガラリと態度が変わる。優しく見つめる目の周りには、よく笑った印としてシワが刻まれている。それらすべて好きだ、ということ。

 おじさまと出会ったのは3年前の、ちょうど今日のような上着がいらないくらい暖かい時期だった。彼の目の周りにはすでにシワがあった。私の知らないところで笑ってきた、ということになる。私の知らない、知ることができない彼がたどってきた過去を思うと、シワを1本ずつ指先で確かめるように撫でたくなった。


 ここにくる数日前、おじさまが「お花見に行こう」と明るく言ったので、私はピクニックの用意をした。おじさまが好きな香ばしく焼いたフォカッチャに、粒マスタードとマヨネーズを合わせたソース。丁寧に水気を切ったトマトとレタス。カリッと焼いたベーコン。半熟の目玉焼き。仕上げに黒胡椒をふったサンドウィッチ。奮発して、普段買わない高価な赤ワイン。チーズ。オリーブとトマトのマリネ。

 美味しい食べ物たちを1つずつ容器に入れて、バンダナの上に広げ、私たちは一通り平げた。口直しにピッタリな、冷たいハーブティーも用意した。私たちはすっかり満腹になり、微睡んでいた。この枝垂れ桜の下で。

 おじさまの口の端にサンドイッチのソースがついていたので、私は指ですくって舐めると、彼は照れているのを隠しながら笑った。私は彼の微笑みを見ると、心がふんわりと温かくなる。内側から温かくなる。この時間が一生続けばいいとさえ思うので、きっとこれが”愛”なのだと考えた。お腹も、先ほどの美味しい食べ物たちのおかげでじんわりと温かくなっている。

 私は座っているおじさまの横に寝転んで、ときどき擦り寄ったり、身体の半分はありそうな長い足の上に頭を乗せたりしていた。私が動きを変えるたびにおじさまは「どうしたの?」「暖かいね」などと優しい言葉を落としながら、前髪を撫でる。そしてまた桜を見上げたり、枝垂れ桜の辺り一面を覆っている草木を眺めていたり、どこか遠くを見つめていたりする。私はおじさまの目線を、横で寝転びながら追っている。同時に、視界に入る彼の鼻筋の高さを目でなぞった。


 私たちはまどろみながら相変わらず、枝垂れ桜を見上げている。その合間からのぞく鮮やかな青色の空と、薄いベールをはった雲を見上げている。垂れ下がった枝を覆い尽くすように、薄い桃色をした花が咲いている。あたたかな春風に無抵抗に流され、揺れている。「咲いている」では事足りない。「咲き乱れている」が正しいかもしれない。

 寝転びながら枝垂れ桜を見ると、その花は私たちに向かって降り注いているように思えた。風に合わせて左右に揺れる枝から、花びらが散り、ひらひらと降ってくる。ヴァージンロードを歩く花嫁に花びらを投げて祝福するみたいに、桜の花びらが私たちを祝福するように舞いながら、降ってくる。

 私の髪に花びらがいっぺん、落ちてきた。おじさまは「花びら......」と言いながら摘んだ。簡単に壊れてしまうような大切なものを触るように丁寧に、私の頬を触るように、花びらにもそっと触れた。彼が摘んだ花びらはふたたび春風に流され、どこかに消えてしまった。私たちもあたたかい春風の一部として溶けてしまえばいいのに、とも考えた。


 法律上、おじさまの特別にはなれない。それは彼の左手が物語っている。だったらせめて、おじさまの飼い猫になれたらいいのに。私は黒猫で、おじさまに鈴のついた首輪をつけてもらう。彼が呼べば、私は鈴を鳴らし、甘えた声で鳴きながら近寄る。額や喉のあたりを指先で撫でられたら、お腹を見せるだろうし、ゴロゴロと音を鳴らすだろう。おじさまの前だったら、しなやかで艶のある毛並みをした従順な猫になれるのに、と考えた。

 私は彼の左手をとり、自分の顔に寄せた。力が抜けたおじさまの手のひらを操って、自分の頬を包む。私は、おじさまを見た。おじさまは「猫ちゃんみたいだね、君は」と言うので、黙って微笑みを返した。

 飼い猫になれば私はおじさまから一生、愛情を注いでもらえる。飼い主と飼い猫としての関係は、どちらかが死ぬまで続く。法律で結ばれた関係よりも、深く、濃くなれるはずなのに。

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