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毒親から抜け出したいアダルトチルドレンすい⑧〜自分は都合のいい存在〜


機能不全家族に生まれた
私、すいの話
①はこちらから↓


私は
まみ(母)とおと(父)に
意見をぶつけたことがない

そりゃもちろん
「これが欲しい」
「あそこに行きたい」
とか
そんなお願いはできる
だけど
「"私は"こう思う」
が言えない


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幼少期を振り返ったとき
キーパーソンとなるのは
まみだと思う

まみは私に仕事の愚痴をぶつけ
おとの愚痴をぶつけ
自分のイライラの吐口として
私を利用していた
そう気づいたのは
ほんの最近のことで
それまでは私にとって
当たり前の出来事だった

なぜまみは私に愚痴を吐くのか考えたときに
ふとよぎったのは
"都合よく聞いてくれる存在"

反論もしない
正論も言わない
歯向かってこない
ただ受け止めてくれる
まみにとって心地が良い存在
あるいは愚痴を吐くツールとして
ちょうど良かったのかもしれない

小学生の私には
まみの職場のことも
職場の人間関係も
仕事の内容も
全部理解することなんて不可能だ
だけどまみは毎日のように
大まかなあらすじを話し始めては
愚痴の数々を吐き出し
最後に私に意見(同情)を求める
この意見がなぜ同情だと分かるのか
それは話の流れに沿えば
自ずとそうなるだろう
愚痴を並べた先に
相手の意見なんて求めてないのだから


まみの愚痴を聞いては同調し
まみの機嫌を損ねないように反応し
キッチンに立って話し続けるまみの背中に向かって
"あなたに関心がありますよ"
"あなたの味方ですよ"
と言わんばかりに
頷いて相槌を打っている
私の話は聞いてもらってたっけ。


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私は学校でもなぜか
親子関係で悩みがある子や
少し陰のある子が
常に近くにいて
私に家族のことや
自分の悩みを打ち明けられた
それが嫌だとか
その当時は思ってなかったけれど
こうやって振り返ると
何も意見せず聞いてくれる
"都合の良い私"が
ここでも活きていたんだな
なんて感心してしまった。


じゃあ私の話は誰が聞いてくれたのかな
私の話を都合よくただ受け入れて
肯定してくれる人はいたかな


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小学生の私は
私はいつも不安だった。
私の話を友人は聞いてくれてるだろうか
私の話は面白いのだろうか
もっと注目して欲しい
一緒にいたいと思って欲しい
好いてもらえているだろうか。
そこで手っ取り早いのが
"都合のいい存在"でいること
だったのかもしれない

おかげで私はいつも友人に囲まれていたし
クラスでも浮きもせず
誰とでも話を合わせられる
ある意味ありがたい存在になっていた(と思う)
私の心はいつも孤独だったけれど
これで良いんだと何度も言い聞かせて
学校生活を送る

家に帰ればまみの愚痴を聞き
学校に行けば周りに合わせ
私の不安は
私の孤独は
誰に吐き出したら
受け入れてもらえるのだろう
わたしはみんなにとって
"都合の良いありがたい存在"なのだから
このままみんなの
ありがたい存在で居続けるべきで
それもまた私の生き方なのかもしれないな
とか



思い出していると
これが本当のことなのか
自分の幻想なのか
分からなくなる時があります
では。

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