見出し画像

シャーロット・ウェルズ『aftersun/ アフターサン』

*これから鑑賞する方も多いと思うので、映画の内容に直結するような直接的な話は避けたいと思う。

作品情報

邦題:『アフターサン』
原題:『Aftersun』
上映時間: 101分
制作: A24(アメリカ)
制作年: 2022

初めに

あらすじ

 思春期に差し掛かった11歳のソフィは、離れて暮らしている30歳の父カラムとトルコのリゾート地へやってきた。リゾート地と言っても鄙びた格安のリゾート地で、客の多くはイギリス人、することと言えば、泳ぐかゲームセンターで遊ぶか、退屈なディナーショーに参加するかしかない。それでも離婚して娘と別居しているカラムにとって、父と離ればなれになったソフィにとって、そのひと夏の休暇は大切な意味を持っていた。輝く太陽の元ビデオカメラを互いに向け合い、親密な時間を共有する。
 そして当時の父と同じ年齢になったソフィは、あの時知るよしもなかった父親の苦しみを、残されたビデオテープを通して知ることとなる——

ビデオテープ、そして回想

 この映画では、当時のビデオテープの映像と、現在のソフィが思い返した父との記憶を元にした映像がシームレスに配置されている。ビデオテープが登場する場合、通常は現在の自分が主体となって、そして明らかな回想として過去のテープが流れることが多い。しかし実際この映画では、回想している現在のソフィ(30歳のソフィ)は3カットしか登場しない。
 記憶は、過去に起きた出来事それ自体と、全く異なる外的な事象による補正によって成立せしめられていると言える。そうした独りよがりな性質を持つ"他人(ここでは父)に対する記憶"を、その"他人"である父親本人の目線で映像化することで、ビデオテープに映った真実と、ソフィの記憶の中にある"父親目線の父"による悲痛の訴えが上手く交差していると思う。

ソフィア・コッポラ『Somewhere』

観ている時からなんとなくソフィア・コッポラ『Somewhere』に似ているなーと思っていたら、やはりシャーロットは影響を受けているらしい。パンフレットにそう書いていた。あとシャンタル・アケルマンにも影響を受けているとか。僕はコッポラもアケルマンもなんとなく肌に合わないが、その点は映画を理解する障害とはならなかった。

この映画と自分自身の共通点

 父カラムと母の連れ子になった娘ソフィが、あるひと夏をトルコのリゾートで過ごす。
 映画の冒頭から、自分が母の連れ子だったことを思い出した。3歳の時、お母さんが小さな自分を抱えて家を飛び出したことは、遠いながらも鮮明な記憶として僕の内側に存在し続けている。思えばあれがこの世に生を受けてからの最初の記憶なのかもしれない。(その後母は今のお父さんと再婚し自分も今は幸せだよ)
 この映画ではカラムと元妻の直接的な描写は無いが、彼が離婚をし娘のソフィと離れ離れになってしまったことが序盤の展開で分かるようになっている。たとえ離れて暮らしていてもソフィにとっては父は父、かたやそうして娘との生活を失ったカラムにとって、ソフィの父を想った言動や無邪気な笑顔が彼を暴力的に傷つけてしまう。今僕は、ソフィとカラムのように"元父"と会う機会は無く、その記憶も曖昧なものになっている。それでもこうして底の方に積載された過去と向き合う機会があるのは、父と同じ年齢になったソフィがビデオテープを通してあの夏の記憶と繋がってゆくように、ある程度のことは時間が解決してくれるからだろう。

象徴としての水と光、一貫したカラムの立ち位置

水と光

 映画を観てて思う、やはり水は凄く便利な道具だ。公然たる事実、何も改めて触れることでは無いと思うが、一見してヴァカンス映画の本作で、水は広がりを持って機能しているように思える。昼のプールはソフィの思春期を映し出し、夜の海がカラムから溢れる悲しみを受け止める。

重松清の「とんび」を読んだことがある人は多いと思うが、その一節にこんな台詞が登場する。

「海は、なんぼ雪が降っても、知らん顔して黙って呑み込んどるわ。アキラに悲しみを降らすな。ヤス、お前は海になれ。お前は海にならんといけん」

「とんび」

おそらく精神病を患っているカラム。ソフィが寝た後、明滅する光の中で悲しみを葬り去るようにダンスを踊り、ある夜には我を失ったかのように夜の海に消え去ってしまう。離婚という喪失から立ち直ることができなかったカラムは、そんなことは知る由もない海という存在に飲み込まれてしまうのだ。

カラムの立ち位置

この映画ではカラムがソフィよりも高い位置にいることが多い。柵の上に立ち両手を広げるカラムを下から覗き込むようなカットや、ソフィがカラムの誕生日を祝おうとするとき、彼は階段の一番上からソフィのことを見ている。そしてこうしたカットでは必ず、というか必然的に、彼の背後から太陽の光が差し込んでいる。これらのことからソフィにとって、やはり別居しているとはいえ父の存在が大きいことが感じ取られる。(推測の域を出ないため、考えがまとまってないです)
 そしてもう1つ —— これは最後の結末に繋がることなのでここでは書かないことにしたい。この映画には、描かれていない結末を暗示するようなシーンが点在している。全編を観終わったあと、言いようもない喪失感が身体に降り積もってゆく感覚があった。

「遊び時間に空を見上げて 太陽を見上げたら パパも太陽を見ていると思える
同じ場所にいないし離ればなれだけど そばにいるのと同じ」

ソフィア


2023年はこれ以上の傑作とは出会わない自信がある。それほどに凄かった。



おわりに(パンフレットについて)

公開が待ち遠しかった本作。無事初日の5/26に鑑賞できた。そして何よりも、本作のパンフレットは後々転売などで高騰すると踏んでいた僕は、公開日の朝8時半、MOVIX京都の開店に合わせて劇場に足を運んだ。上映がこれから始まるというのにそれを差し置いていち早く物販コーナーに来た僕にキョトンとする店員。ともかく無事に購入することができた。

公開当日5/26(金), 開店と同時に購入したパンフレット。多分日本最速

では何故高騰すると思ったのか。それには次のような理由がある。

①日本配給が『ハピネットファントム・スタジオ』

これが1番の要因。ハピネットファントム・スタジオはグッズとかパンフレットとかの制作に全く力を入れていないので、ここが配給の映画は基本的にパンフレットの作成数が元々少ない。部数が少ないと自ずと売り切れも早くなり、手に入れにくくなる。最近だと『Call Me by Your Name』とか『C'mon C'mon』などがハピネットの犠牲に。全ての転売の温床。なんとかしろ。

②A24

言わずもがなのA24。トレイラーが出た瞬間からファンの期待値は上がり続け、映画をみる前にパンフレットを買うと決めている人も少なからずいる。

③大島依提亜氏デザイン

彼は現在のパンフレットデザイン界を席巻する男だ。これまでA4やB5サイズの単調な四角形デザインが通常だったパンフレットに、形から紙質から全ての側面において新たな命を吹き込んだ。今回の『アフターサン』ではビジュアルからパンフレットデザインまで担当しているが、通常のビジュアルに加えて10種類ほどのアナザーバージョンも公開されている。(自己のブランディングが非常に上手い)


アナザービジュアル①


アナザービジュアル②

この全ての条件が重なった時、パンフレットは半端なく高騰する。実際上で例に挙げた『C'mon C'mon』は、一時期定価の10倍ほどで取引され現在は約3倍の3000円くらいに落ち着いている。(アフターサンのパンフ欲しい人は早めにどうぞ。) 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?