この世界は毒親育ちのためには作られていない。
生きづらい。生きづらさが「生きたい」より勝る人生に、何の価値があるのだろう。
この世界は、制度もルールも常識やマナーに至るまで
【一般育ち】を基準に考え、決められている。
毒親育ちが頑張っても
たった一人でできることには限界があり、
まずは【自分がいなくなったときに気付いてくれる】知り合いを作るところから始まる。
私が私として生きる上で、もっとも辛かったのは
【私が消えても誰も気付かないこと】
当時はエスカレートしたDV環境にいたので、
動かなくなった私は【そのまま放置】されて
私が傷つけられても、誰に何をされても
心配どころか、その事実にすら気付いてもらえなかった。
もとを辿れば【毒親育ち】であるがゆえに起こった数々の被害。
毒親でさえなければ、
無理に生きることもなかったし、帰る家もあっただろう。
この責任を問うとしたら、
毒親か、DV加害者か、それとも私か。
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