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「表現の本質」は起業も仕事もデザインも同じ。

昨日カメラマンになりたいという子と話した。
私も、一応一眼を持っていて趣味程度にカメラを扱うが、正直カメラに詳しいとは言えない。

しかしながら「表現の本質」については
カメラもガーデニングのデザイン(ランドスケープデザイン)は同じだと思っている。

私も一応、庭のデザイン等をやる上で常に考えており、デザインやYouTube、この文章もそうだが

それなりに自分の考えがあったので、メモがわりに。

表現の本質は
「自分の思いを伝えたい」というところに帰結すると思う。
色んな思いがあって、自分のことを知ってほしいとか、世の中を元気にしたいとか…

「自分はこうしたい」という思いが「表現の本質」だと私は考えている。

音楽やデザイン、書籍、写真…etc
素晴らしいと思う作品にはその作者の込められた思いがある。

自分の思いを伝えるにはいろんな表現方法があることは皆さんも理解していると思うが

それらがあくまで「手段」であることを理解しない限り、うまく表現できない。

というのは理解頂けるだろうか。

「自分の思いをうまく表現できてない。」
つまり、「微妙な」作品だな…と思う作品は

「手段」に固執し、写真を撮ることが目的になったり
絵を描くことが目的になったりする。

如実に現れるのは「詩」「ポエム」であることが多い。
書くことが目的となっており、自分の思いを伝えるということを「忘れている」ためだと私は考えている。

他にも
私はよく大学のデザインの授業で
それらをよく見た。

ただ、デザインが綺麗な人
ただ、絵が上手い人
ただ、誰かの物真似をした人

そういうのはすぐわかる。
そして、直感的に「つまらない」と感じてしまう。

もちろんうちの大学の学科にデザインメインで入ってない人も沢山いたので、それは仕方ないことだと思うが…

そもそも、
デザインが目的になることは全てが間違い
というわけではない。

それは「半分正解」で「半分間違い」だと認識している。

半分正解なのは、「表現の手段」の技術が劣っている場合、それを誰かに伝えられないという点である。

先ほどのデザインや詞、以外の例を出すと
戦場カメラマンが分かりやすいと思う。

戦場の悲しい現実を世界に伝えたいという「自分」の思いがあるとする。

しかしながら、戦場で生き残る術、戦場で現実を捉える写真の技術、その瞬間をカメラで撮る技術…etc
様々な技術が無ければ、伝えることはできないだろう。

またその写真を見てもらうための技術(マーケティングとか、写真展に出展するとか)もなければ
世の中の人に伝える事はできない。

ただ、その自分から出てくる「悲惨だ」という感情、さらに、それを知ってほしいという「思い」がなければ、いかに技術があっても
ただの戦場の写真となり、世界の人に思いが伝わらないだろう。

つまり、「表現の本質」とは
「自分の感情」とどう向き合い、それらをどの手段で伝えるか。

であると私は思っている。

そういう意味では「起業」や「仕事」も私は同じだな、と考えているが、皆さんはどうだろうか。

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