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数字と近所のお兄さん


風呂上がりはいつも水分と活字が欲しくなる。

本棚を眺める。内田樹が多くあるな。内田本は中毒性があるんだよ。何度読んでも新しい発見をくれる。


バレエ・スクールで、練習の合間に生徒たちが行う自主練習は、例外なしにみんなある同じ動作の練習をするのだという。そして、それは世界中どこに行っても同じだという。

彼らは、ピルエット(片足立ちしての回転)の練習をする。自分の課題を練習できる時間に、ダンサーはみんなひたすらピルエットの練習をする。それはなぜか。

回数が数えられるから。

身体操作に関わる関節や筋肉の動かし方は数値化できない。でもピルエットは数えられる。だからみんなピルエットを練習をする。8回回れたのが10回回れるようになった。その数によって、上達した、人より優れている、そういうことが容易に確認できるからである。


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現代スポーツは、もはや数字とは切り離せない。記録や点数はもとより、プレーのパフォーマンスさえ数値化され、評価される。あなたはの活躍はこのぐらいの数値です、以上。

身体操作が大切で、その結果としてあるのが数字。それはわかる。だからと言って数字を追わないなんてことは不可能に近い。じゃあ私たちはこれから、どうやって数字と向き合っていけば良いのだろうか。


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子供の頃、近所にたまに遊んでくれるお兄さんがいた。たぶん近くに住んでいるんだろうけど名前も家も知らない。高校生で、いかにもスポーツが得意そうで、かっこいいお兄さんだった。友達と近くの公園で野球をしてたりすると、学校帰りのお兄さんが混ざって遊んでくれたりした。

10歳ぐらいの少年にとって高校生はもう大人のようで、彼の全てがかっこよく見えた。憧れのお兄さんだった。

それから何年か経って、自分はいつの間にか高校生になっていた。そして、近くの公園でボールを蹴っている少年たちに混ざってボールを蹴っていた。高校生にとって小学生を楽しませるのはそんなに難しくない。そしてふと、あの頃憧れていた高校生の役を、自分が担っているような気がした。

いつの間にか、憧れていた人の役を自分がやっている。えっ、その間、自分は一体何をしてきたのだろうかと振り返る。

小学生でソフトボールに夢中になり、中学生でバレーボールに熱中し、高校でサッカーに熱狂していた。その間、憧れのお兄さんのことはほとんど忘れていた。そして気が付いた時、自分がそのお兄さんになっていた。


憧れのお兄さんには誰もがなれるけど、憧れの数字には誰もが到達できるわけじゃない。とか、そんな本当のことを言わないでほしい。

夢中になり、熱中して、熱狂して、気が付いた時、到達している。憧れの近所のお兄さんのように、いつの間にかそうなってしまう。数字も近所のお兄さん同様、追うものじゃなくて、なるもの。


そんな数字との幸せな向き合い方を秋の夜長に考えてみました。

おやすみなさい💤



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