二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【他者受容編】
正しさとはなんだろうか。他者とはなんなんだろうか。これに対する回答で迷わず答えられる人はどれくらいいるんだろうか。このnoteを書いている今でも、私は正しさとはなんであるという具体的な解は出せていない。
ただ、もし一つだけ言えるとしたら、正しさも他者も人の数だけ無数に存在する流れ星みたいなものなんだと思う。今日思っていたことが明日には変わる様に、正しさもまた流れては消えていく流動的なものなんじゃないかと思っている。
かつて正しさ追求症候群だった私だが、現在こんなに柔軟な答えを持てているのは、とある一連の経験を通して考えを変えたからである。
これはその一連の話。
◇
前職との精算も済んだ8月の半ばあたりから、授業を終えた後は課題に取り組む時間を過ごしていた。授業は15:50までだったが、学校が閉まる時間までは自由に自習をすることが許されていた。パソコンとテキストを交互に見ながら、今日の内容をざっくり振り返っていた。
三十分くらい経過したところで脳がぐるぐると円を描くように疲労してきたので、そろそろ帰ろうかとPCをシャットダウンした。学校に通う目的として大きいのは「人間関係に対するリハビリ」だったが、実は体力的なリハビリにも多大に寄与していた。家で過ごしていた三ケ月では資格の勉強をしている間に起きていたものの、疲れたら眠る生活をしていた。そのため「連続で起き続けて活動する」という根本的な社会活動に必要なスキルは身につかなかった。貯金もほぼ底を尽いているため早々に金を稼ぐ行動をした方が良いことは自覚していたが、一方でそれをするための根本的な体力がない、というのは仕事を続ける上で思わぬ盲点だった。学校は約7時間の拘束だったので、その体力的な盲点を補うために思う存分活用させてもらった。躁鬱による体調の兼ね合いもあるので、正直こういった己でアレンジできる余白はありがたい。
余談になるが、休職や無職期間により社会との関わりが薄くなった人が復帰するためのリハビリは一つではない。私が選んだ職業訓練校もそうだが、「リワーク」というものが一番有名でオーソドックスなものである。場所にもよるが、おおよそのところは週二日・三時間程度から開始して最終的に週五日通えるように慣らしてくれる。リワークは自立支援制度も使えるため、手段として覚えておいて損はないと思う。
残って課題をしていた人たちに軽く挨拶をして、駅近くのATMに寄る。今日は失業手当が入る日なので、教科書や定期代のためにすり減らした貯蓄を一刻も早くチャージしておきたかった。
が、残高を見て落胆した。普段もらえていた失業手当の六割ほどしか振り込まれていなかったからだ。「ああ、こういうことか」と理解してATMを出ると、ひんやりした小部屋以上に冷えた現実と夏の暑さが交互に私の心身のHPを削ってきた。
実は学校に入校すると、一旦そこで失業認定日は月末に再設定される。端的にいうと、たとえばこれまで15日に失業認定を受け、25日に振り込まれていた失業手当が、1日に失業認定を受け、10日に振り込まれる形に一律で変更する。何が困るかと言うと、今月一か月は先月の中途半端な日数で失業認定をうけた金額で生活をしなければならないという点だ。これは想像外の痛手だった。
貯金の預金残高はすでに3万円を切っている。奨学金の支払いは毎月2万6千円なので、その大部分はそこに充たる。つまり私は先ほど振り込まれた8万円で住民税・国民保険・年金を支払い、残りのお金で来月の定期代と生活費、そして昼食代を捻出しなければないらしい。
住民税は2万円。国民保険と年金で約2万円。そして定期代で1万5千円だ。運の悪いことに今月は病院で採血を受けるタイミングだ。そこで確実に通院代8000円は飛ぶ。つまり残りは1万強?
生活できるのか?これ。暑いはずなのに背中がゾクリと冷えた気がした。
学校を辞めたらやめたで、また振り込み開始までに一か月以上開くと説明があった。学校に通うのを辞めてすぐどうこうできるあてもなければ、その間に食つなぐ金も怪しい。今の自分はどうすれば生きていけるのか?という具体的な解は生憎見当たらない。
夏のうだるような暑さ。生活と金を天秤にかけた答えのない選択肢。私は知っている。このどうしようもない苦しさを覚えるのは、初めてじゃない。更新まで2週間を切った定期券で改札に入り、電車に揺られる。ストレスが溜まったためか一気に眠くなって、夏休みの喧噪の中寝入った。その睡眠の先で、かつての大学時代へと誘われた。
◇
私は大学四年間、そして院生の二年間の計六年を奨学金とバイトで過ごしている。理由は簡単で、親が「金がない」らしく学費を始めとした生活費や家賃を自分でやりくりしなければならなかったからだ。
親としては、地元の東北に留まれば「まだ学費くらいは出しても良かった」らしい。けれど私は知っていた。地元にとどまった兄や姉が大学の大切な四年間を親からどう妨害されていたのか、そして最終的にどんな末路を辿ったのか、そんなことをリアルタイムでこの目で見ていた。だから私は援助がないと最初から分かっていて、地元の東北から出ることを自分で選んだ。引っ越しの費用さえ出してもらえなかった自分は、親戚に文字通り土下座をして無事に上京した。それが地獄の始まりだとは、つゆほども知らず干渉されない自由に身を浸していた。
借りられる奨学金をマックスまで借りて、生活費のために放課後はほとんどバイトに充てた。バイトをしなければいけなかったけれど、勉学の手を抜いたわけではない。成績が良ければ学費免除を受けられる制度を持っている大学だと知っていたので、それを狙って合間を縫って勉強もしていた。
が、二年になる頃に発表される学年トップスリーの中に私の名前はなかった。首都圏で実家暮らしの3人がそこに選ばれているということを知るのに、そう時間はかからなかった。
二年後半ともなると実験の比重が重くなって、これまで通りバイトをすることも諦めなければついていけないくらい勉学の大変さが極まった。でも、私はバイトの日数を減らすことができなかった。端的に金がなかった。半期の学費を納めた後は、その後の半年の学費を納めるために働かなければならない。増えた勉学の時間を加味せずそのままの勢いで働くためには、睡眠時間を削らなければならない。大学を辞めたくない。ここで「大学卒」という強者の立場を手に入れられなかったら、女性一人でここでまともな職に就けることはほぼない。そうなれば地元に帰るほかない。せっかく牢獄から出られたのに、頭を下げてまで費用を工面したのに、また地獄に後戻りするのか?それとも身体でも売って這いずり回るような惨めさと生きていく生活を選んでも、都会にしがみ付くのか?どちらも嫌だ。でもそれなら、暴力と搾取の日々に戻り、あの望んだ自由を手に入れた時間は幻だったと夢を見るのだろうか。
頭に浮かんだその生活はどれも怖かった。かといって「金のために」と自分を売ることを割り切れるほど強くもなかった。物理的に地元へ引きずり戻される夜の夢を何度も超えて、PTSDによる過呼吸が毎日発症してどんどん追い詰められていった。この状況が自由か?と問われると、今では否だという感想が率直に浮かぶ。それでもあの時はそれしかできなかった。あの頃の自分を救う方法が今でも浮かばない。誰にも頼れない。地元にも戻りたくない。身体も売りたくない。私が売れるのは労働力と時間だけだ。それを理解して睡眠時間を削ってまでもバイトと勉学を充実させる道を選んだ。
そんな生活を三ケ月続けていたらある日躁鬱病と診断された。
要因は一つに絞れないが、睡眠不足と度重なる心労がそこにあったことは否定できない。躁鬱を治すためには、休まなければならない。そんなの二十歳其処らの自分でも分かっていた。でもさ、じゃあ休んで働けなくなった分のバイト代は誰がどう補完してくれるんだろう?残り半年で20万円の学費がないと、どれだけ学力が良くても進級すらできないみたいだけれど、誰が私のことを進級させてくれるんだろう?
私が休んだら、誰が私のことを生かしてくれるんだろう?
解は出なかった。当初狙っていた奨学金は実家通いでバイトをしたことがない人が取得しているらしい。ぐるぐる。ぐるぐる。沢山の情報で頭がぐちゃぐちゃになる。
あれ?学生課の人に給付型奨学金の相談をしに行った時に言われたな。給付型奨学金は貸与型奨学金をMAXで借りていて、成績も上位の人で、トップじゃないから免除にならない人がもらえるって言ってたな。私は貸与型奨学金をMAXで借りていて、成績も上位の人だけれど、ギリギリトップになれない人なんだ。つまりなんだ?周囲から何かを与えるに足る人だと認知されるには可哀そう度が足りない人間ということなんだろうか。助けられるための条件が足りていないということなのだろうか。追い詰められた人間は、こうも簡単に心が荒んでいく。
私はずっと思っていた。成績さえよければ救われると。成績さえよければ周りが助けてくれるんだと。実際問題助けられている奴は成績が良いそうだ。
でも。実家暮らしの奴がそれを受けるのか?睡眠時間を削ってまでも生きていきたい、学びたいと執着する己よりもその恩恵を受けるのか?
みんなたまたま実家が都会にあって、家を出るほど精神的に追い詰めてくるような親じゃなくて、三食飯付きの温室でぬくぬく育っているのに、どうしてそれなのに私の権利まで奪っていくんだ。一人で生きていかなければ死ぬしかない、誰の恩恵も興味も受けられない人間の取り分を奪わないでくれよ。せめて私の努力を、同い年でブランクがある人間が正しく報われると思わせてくれよ。そのために自分は都会に出てきたんじゃなかったのか??
土地柄か、大学の方針かは定かではないが、大学の友人には恵まれた人が多く、私のように奨学金とバイト代でカツカツの人は知る限りいなかった。みんな、PRADAだのCHANELだのを親から入学祝い・成人祝いに買ってもらえるような関係性を親と保っている人だった。
惨めだった。泥水を啜って生きているような己よりも、なにもかも補填された状況で単位がどうのと宣っていられる同級生を見たくなかった。小遣い程度のバイト代で良くて、なんならさらに親からお小遣いをもらえるような家の同級生と、稼いだ金の9割が生きていくための、金にまつわる己との温度感を見たくなかった。挙句、私は一生躁鬱という病気を背負って生きていかなければならないらしい。
吐きそうだ。実際問題それを理解した時吐いた。現実のグロテスクさに、どうしようもなさに、利用したかった制度に翻弄される自分の精神状態の全てが気持ち悪くてただただ惨めだった。
悔しいなんてそんな生易しい感想じゃ物足りない。手持ちの包丁で三食飯付き温室育ちの同級生をメッタ刺しにしたいくらいの衝動にかられた。たまたまだから別に誰も悪くない。悪くないことは理解しているけど、ならせめて!私のことも誰か救済してくれよ!
何もかも持っている人間の無自覚さが憎い。
恵まれている状況をやすやすとドブに捨てられるその無自覚な残酷さが心底嫌いだ。それなのにそこへ行くには、恵まれた人たちが作った資本主義のルールで足掻くしかない。無力な自分のことが疎ましい。
タイマーが鳴った。バイトに行く時間だ。なのに、身体が動かない。嘔吐が止まらない。お金のことも、自分の身体も現実もままならない。
このままじゃ大学を、卒業できない。
◇
「次は~〇〇~。〇〇~」
はたと目が覚めると、乗り換えの駅だった。
慌てて日傘を持って、人に揉まれながら電車を降りる。
寝汗がすさまじくて、酷暑と呼ばれるくらい暑いのに寒い。最低な気分で眩暈さえした。
どうやら私は昔の夢を見ていたらしい。大学三年に進級する直前、つい六年前のことだ。
あの時は、確か給付型奨学金の推薦が来て事なきを得たはず。成績優秀者とは別の、私の成績や経済状況だけで判断される奨学金の給付条件に運よく引っかかっていたらしい。また、私の家庭環境の歪さは教授間で共有されていた。就職先の問い合わせがあっても教えて欲しくないと相談していたこと、何度か私が学生課に奨学金の申請をしていた姿などから察するものがあったらしい。心ある大人たちがそれを知って、複数の教授が私を真っ先に推薦してくれたという話は後になってから聞いた。
結果的に事の重さが決め手となり、私は大学三年の年間の学費をそこに充てた。バイトも少し減らして病気の治療に向かうこともできた。ぎりぎりの場面、文字通り生きるか死ぬかの局面で私は露頭に迷わずに済んだ。
めでたしめでたし、で終わらないのがこの話の怖いところだ。あの日バイトに行けなかった私は、最終的に三つ掛け持ちしていたバイト先の一つを辞めた。食い扶持の一つを失って、結構本格的に死ぬか、風俗で身体を売るかを考えたところで推薦の話が来たのだ。少しでも遅ければ?と考えてみると、到底「それでよかったね」と言えない話だ。
現在の私だって、死ぬことも身体を売ることも選びたくない。何よりそんなことをしたら夫を裏切るだけでは済まない。優しいあの人は己のことを呪うほど苦しむだろう。悲しいよりも先に、私をそうさせた自分を責めるだろう。現実はいつも何故か私を試すような仕打ちを持ちかけてくる。現在切れるカードはなんだろう?私に残っている手持ちのカードはなんだろう?蜃気楼のように揺れて、手元にあるカードの数字もマークも見えない。
これは良くない、うだうだ考えても仕方がないから気持ちを切り替えようと、帰宅前に近所の八百屋に行った。物価の影響で高くなった野菜のプライスカードを見ると、頭の中にATMで見た口座の残高が浮かんだ。
生きてくためには食べなければいけない。学校に通ったり、転職活動をしなければこの先どうしていくかも決められない。
でも。それすら難しい時はどうしたらいいんだろう。
生きていくための金がない。現在あの頃のように援助をしてくれる身分も持っていない。私は、無力だ。
結局野菜は買わなかった。教科書が入った重いリュックだけを背負って家へと向かう。脳が疲れている。それなのに考えることは沢山だし、現実は待ってはくれない。
課題も徐々に理解に時間がかかるようになってきた。なんとなく分かってはいたことだが、私はどうやらプログラミングの世界に適正がないらしい。折角学習の機会を得た分野だから最低限理解はしておきたかったが、如何せん脳が疲れてしまって、最後の方は授業が聞けなくなっている。
最悪は脱した。だが、現実というものは死ななければどうにかなるものでもないらしい。折角制度や夫が救ってくれた命なのに、ようやく前職との悪夢からも逃れられたのに、どうして自分はいつもこぼれ落ちてしまうんだろう。
私は私の力で自分を立て直すことができない。
それがどうしようもなく悔しいんだ。
階段を上がって鍵を開ける。廊下の先には、在宅ワークでパソコンと睨めっこしている夫が居た。
とんでもなくぐちゃぐちゃで、無力な無職の自分との対比が苦しい。
夫がこちらを見て笑顔を見せると、堰を切ったようにぼろぼろ涙が溢れてきた。生きたい。まだこの先の未来を、この人と生きていきたい。それでも自分の力だけじゃ生きていけないんだ。今のままじゃただ夫の貯蓄を食い潰すだけだ。
あなたは何故、こんな状態の私を救ってくれたの。
声にならない声が空間に霧散して、崩れ落ちた。
◇
「はい」
ことり、と目の前に置かれたのはチョコミントアイス。目の醒めるような緑と、暗さを孕んだアクセントで構成された色彩は、憎たらしいくらい爽やかで私の心根とは裏腹だった。夫は様子のおかしい私を見て勤怠をすぐに切り、ひとしきり慰めた後私の好物を買ってきた。ついこの間結婚記念日を迎えたばかりの付き合いだが、この人の私の扱いは伊達ではない。べりべりと白色の包み紙を剥がして、ピンク色の匙でそれを口に運ぶ。冷たい固形物が口を冷やすと、ちょっとずつ落ち着いてきた。
このアイスは普通のアイスではない。サーティーワンだ。ハーゲンダッツと同等の価格帯のアイスをこう躊躇なく買ってきたということは、夫はたぶんただ事ではないと理解しているのだろう。
ここまでされているのに黙っているのも不義理すぎる。カップの半分ほどアイスを減らした後、何故こうなったのかを咀嚼するようにゆっくり説明した。この人は私が学生時代に金で追い詰められたことも、その結果心を病んでしまったことも知っている。修士の最後の半期、学費が払えなくて身体を売るかどうかを迷った末、二度目の給付型奨学金を受けてそれをしなかった精神状態や経済状況にも理解を示している。無職になってすぐ病院へ行く金がなくて困っていた時も、すぐに貸してくれた。
そんな夫に現在も金の問題で追い詰められていると伝えてどんな顔をされるか、情けないやらみっともないやらであまり考えたくなかった。案の定夫は何も言葉を示さない。それが怖い。うまくやりくりができない人だと幻滅されるだろうか。安月給の前職に勤めた私のことを自己責任だと突き放すだろうか。次に続く罵倒の言葉を身を固くして待ったのに、いつまで経っても夫は言葉を発さなかった。
……?
ちらりと顔色を伺うと、夫はこちらに目線を向けておらず、代わりにスマートフォンに向き合って何かを操作していた。私がこんなに追い詰められていたのにスマホいじっていたのか?何故?と思いながらもそれをぼーっと眺めていると、スマホをことりと机に置いて夫は言った。
「とりあえず、20万円振り込んだ。これで月末まで生きていける?」
なんてことないように私を見る夫に、え、とかすれたような情けない声が自分から漏れる気がした。月に20万だなんて、前職ですら貰ったことのない金額だ。足りないはずが無い。でも…
「生きていける、けど…」
それは私が貰っていいものじゃない。
これは夫が正しく働いて正しく貰ったお金だ。それを税金で生きている私が貰って生きるなんて、正しくない。誰かに責められたら黙ってそれに従って返金するくらい、私には貰う権利のないお金だ。
あなたが自分の力で稼いだお金を、私が生きていくために貰うなんて許されるのか?
目が泳いでいるのが自分でも分かった。うまく呼吸が吸えない。確かにこれが一番解決策としてはベターだ。他者に迷惑を掛けているわけでもない。私自身犠牲にするものは何もない。でも、でもこれは…。
下を向き、言葉を発さないままの私を察してか夫は言った。
「いいんだよ。金で解決できるんだったらそれでいいの」
「そうだけど、でも…違うよ」
「なにが違うの?」
「わからない。でも、どうして私のことを見捨てないの?ここまでしても、なにも返せないかもしれない」
「無職になったら捨てるなんて、そんな簡単な気持ちで結婚した訳じゃないよ。それに俺は、美桜さんがまた働けるようになるって信じている」
「お金を返せないかもしれないんだよ?」
「それでもいい。美桜さんに生きていて欲しい」
打算のない言葉を前に、私はこれ以上言葉を発することができなかった。こんなの、おかしい。間違っている。それを分かっているのに、「生きていて欲しい」と言われてそれに応戦するだけの言葉はなにも浮かばなかった。
「意味が分からないよ」
吐き捨てるように言った言葉に、夫は返した。
「わからなくていい。俺がしたくてしてることだから」
半分残ったアイスは液体になった。自分の中身もこのアイスみたいに実態がなくてドロドロなのに、表面の皮と骨だけで人の形を保っているみたいな不思議な感覚だった。もう泣きたいのか、怒りたいのか、喜びたいのか何も分からなかった。
◇ ◇ ◇
次の日、交通系ICで一か月分の定期代を購入した。残りの日付が消えた改札の電子盤を横目に、今日も職業訓練校に向かう。
結局夫からもらったお金は使うことにした。夫が何故ここまでしてくれるのかはまだ分からない。が、死にたがりの私を救うには正直一番効果的である手段だったのは事実だ。打算がない感情が世の中に存在することは知っていたけれど、いざ自分が目の当たりにするとああも狼狽するのだな、と他人事のように思った。
電車に揺られながら、昨日見た夢のことを思い出した。打算のない感情と言えば、学生の頃奨学金の推薦をしてくれた教授のことが浮かんだ。私を推薦しても教授にお金が入るわけではない。教授になにかのメリットがあるか?と言われると、どう足掻いてもない。それでも推薦してくれたのは何故?
思い返してみれば、私は考えが及ばない程たくさんの他者に支えられて生きてきた。誰にも助けられず踏みつけにされている人は掃いて捨てるほどいる中、私は恵まれている方だ。それでもこんなに苦しいのは、何故?
答えは出ないけれど、今日も学校は私を迎えてくれる。私が恵まれている証拠の一つである今の居場所。いつも通り挨拶をして席に滑り込むと、すでに佐藤さんがなにかが書いてあるA4用紙を見ながらPC作業に勤しんでいた。
「佐藤さんおはようございます。こんな早くから勉強していて偉いですね」
「おはようございます。昨日先生に課題を聞いたので、それをやってるんです」
佐藤さんの言う先生とは、chatGPTのことである。聞くところによると、どうしても教科書を見て解法が分からない時は、chatGPTの無料版を使って課題を解いているらしい。課題を打ち込んでそれに対して返答があり、そこにお礼をするとCMがはさまるんです、と笑いながら言っていたのでついふふふと笑ってしまった記憶が蘇る。
「先生を使いこなしてますね。私、大問13で止まっちゃってて」
「僕もそこ先生に聞きましたよ。よかったら解説あるので見ますか?」
お礼を言って解説の用紙を貰い、中身を確認する。解説を読むと、確かに習ったことをちゃんと使った解法が書かれている。あれだけうんうん考えても出てこなかった答えが綺麗に理解できる。すげえなあ、と思うと同時に、【これは正しいやり方なんだろうか】とふと思ってしまった。
こういうのは何回も教科書を見て、理解できるようになるまでやりこむのが正しいんじゃないか。まるでズルをしている気がする。最初から正解を吐き出せるツールに頼るのは、なんとなく居心地が悪い気がする。
そこまで考えてからふと我に返った。お礼を再び言って、目の前の佐藤さんに用紙を返した。自分のPCを立ち上げて、昨日の課題の続きを再開する。
その考え方だと、佐藤さんまでズルをしているという扱いになるがそれでいいのか?それはなんか…違う。佐藤さんのしていることを狡いと分類するのは尚早な気がする。
こんな風景に出会うのは初めてではない。これはどこかで何度も見たような構造だ。決して珍しいものではなく、この世で幾度なく繰り返されている構造。恐らくこれは、自分でどうにもできない時に、他者から援助や助けを受けることを指している。
例えば自分事に代えるのであれば、学生の時の同級生を思い浮かべる。学費を出してもらったり食費を出してもらったりした同級生がほとんどだったが、未成年で学歴もない人間が己を支えていくには、他者の支援がないとかなり厳しいことは私が身をもって知っている。
あの時の同級生を見て惨めにはなったが、決して狡いことをしているとは思わなかった。惨めというのも己の心情を正確に表現しているものではない。恐らく、【羨ましい】がぴったりだ。三食飯付きの温室で死ぬ心配や学問を諦める無念を考えずに済む生活。それは羨ましく、喉から手が出るほど希った空間だった。
ただ、それは現在の私を形容する状況としてもぴったりの生活なのではないのかと思う自分も居て。夫という後ろ盾から金を得て、学問ができなくても死ぬ必要がなくて、学校の友人と楽しさを共有できる生活。これはあの時自分が欲していた三食飯付きの温室でぬくぬく勉強をするということと何か違うんだろうか。
あれだけ羨んでいたものを自分が手に入れている。遅ればせながらあの頃の上書きをするような不思議な行為だ。素直に喜べばいいのに、いざ自分がその立場になると素直に受け付けられないのは、何故?年齢は違えど、立場は違えど、「自分に稼ぐ能力がない」という事実の前ではあの時の同級生と私は一緒なのではないか?
私がこだわり己を苦しめているものの正体はなんなんだろう。
測らずしもぷかぷかした思考の海にざぶんと浸かり、泳ぎに行ってしまう。生憎その日の午前の授業はほとんど頭に入ってなかった。あっという間にお昼になって、おにぎりの包み紙をびりびり破く。
今日はハワイさん、裏拳さん、ニコちゃん、ロキソニンさんの五人でお昼だ。たわいもない話で、時間が溶けていく。
そろそろ転職活動をしようかと思っているが履歴書作成が難しいという話をすると、ロキソニンさんが「よかったら添削しようか?」と申し出てくれた。ロキソニンさんは派遣会社の仲介をしていたこともあり、実はその道のプロだった。悩み相談くらいの軽い気持ちで話したことなのに、思わぬ報酬を得てしまった。
嬉しいと思うと同時に、いいのかな、と思った。元とはいえその道のプロだ。プロの力をタダで借りてしまうというのは、本当に許されるのかな。と。
明日にもパソコンを持ってきてお昼一緒にやろうとのことだったので、もやもやしながらも素直にお願いすることにした。もうこのメンバーでお昼をするのも五回目は超えていたので、そろそろ女子会をしようかという話になった。しゃぶしゃぶがおいしい店が近くにあり、みんな今日にでも行けるから今日にしようとのことで話はトントン拍子に決まった。
夫から多めにお金を貰ったからこの会にも参加できる。でも、他人の金の上で成立するこの幸福は許されるんだろうか?
なんだかうまく呼吸が吸えないような、責めるような気持ちが内側を埋め尽くす。お昼の時間は楽しい。お昼だけじゃない。こうやってみんなと勉強して、教え合ったり、相談できたり、そんな時間は何事にも代えがたくて貴重な時間だ。
でも。楽しんでいいのかな?
みんな私が夫に金を貰ってここに居るなんて知らないだろう。きっとみんなは、貯金や少ないお金の中できちんとやりくりしてこの場を楽しんでいるんじゃないのか。
私だけみんなと違う。私だけ、【正しくない】。
◇ ◇ ◇
午後の授業も相変わらず気が乗らず、頭が半分だけ覚醒したような不思議な感覚のまましゃぶしゃぶの店へ向かった。夫に夕飯は外で学校の人と食べてくると一報を入れたが、[よかったね。いってらっしゃい]とだけ返ってきた。この人は昨日自分があげたお金で私が外食をするということに対して思うことはないんだろうか。雑居ビルをあがってエレベーターが開けた先には、木を基調に作られた和の空間が広がっていた。
「ここらへんにこんな落ち着いた場所あったんだ」
「そう。前、仕事の会食で教えてもらって、愛用してるんだ」
席間隔も十分あるし、客層も落ち着いたサラリーマンが多い。それなのにお値段は驚くようなものではなく、まあ少し背伸びした居酒屋くらいのレベル。こんな雑多な街に静かに飲めそうな洗練された場所があるなんて、まるで突然砂漠にオアシスが現れたみたいだ。
軽い前菜が数品運ばれてきて、飲み放題の飲み物も机に置かれる。みんなはビールやカクテルを頼んだが、まだ胃腸が本調子でない私はジンジャーエールを頼んだ。鮮やかな小鉢に入った前菜はどれも美味しく、季節によって変わるからまた秋口に行こうという話になった。こんな会も仕事を辞めて以来だから久しく離れていたな、と思っていたら木箱に入った肉と野菜が運ばれてきた。テンションが上がる周りを他所に、食べられるかなあと一抹の不安が過った。
「野菜もお肉もおかわり自由だから、好きなだけ頼んで」
お店を教えてくれたハワイさんが笑いながらみんなに言う。白熱灯に照らされた肉も野菜も「おいしいですよ」と主張するように新鮮なことが伺え、みんなもお腹が空いているからそれに応えるようにどんどん野菜も肉も仕上げていく。
大きめのレタスの葉がいい感じに出来上がったので、これならいけそうかもな、と菜箸を伸ばして手元のポン酢に浸した。食べる。だしの味がしっかりした上品なスープに野菜の甘さ。
「おいしい。久しぶりに食べられそう」
ぽつり、と漏らした言葉に反応したのはロキソニンさん。
「そう?よかった。どんどんお食べ」
お昼ご飯はまだおにぎり一つと豆乳だけだ。夜ご飯も十分ではないし、体重も50kgを割ったまま元に戻らない。ここに居る人たちには、お昼を初めて一緒に食べた時にさすがにお昼が少なすぎないか、と指摘されている。その際、これでも食べられるようになった方で、これ以上はまだ厳しい旨を伝えている。それを受けてか、今回の食事も無理しない程度で大丈夫だということはお昼の時点で言われていた。
そんな声を頂いていた一方で、今の私は次々と野菜やお肉を食べていく。おいしい。味がちゃんとする、と内心感動しながらゆっくり噛み締めるように食べる。ポン酢のすっぱさも、ゴマだれの濃厚さも、どちらも食材を引き立てるには十分のつけダレだ。
パワハラを受けて味覚を失った際、真っ先にだしと塩味を感じなくなった。ごはんが楽しくない。何を食べても砂を嚙むような苦しさしかない。和食が好きな私にとってその二つを感じ取れないことは食事を諦めるきっかけの一つだった。
また学生の頃も幾度なく食欲を失ったり、摂食障害の傾向を見出されたり、案外私は食というものに関して困難を覚える機会が多い。あの頃はどうしたらいいのか、どうすればあの状況から抜け出せるか不安しかなかった。それでもまたこうして大好きな食事を楽しめるようになるなんて、思わなかった。
私がこうして食べられているのは昨日夫がお金をくれたおかげだ。でもそれは目に見える一部の話であって、私が今ここに居るのはかつて学生の頃に学生課に掛け合ってくれた教授たちのおかげでもある。そして楽しさを覚えられるような時間は、職業訓練校の人たちが提供してくれている。
人の金で遊ぶなんて正しいやり方じゃない。でも、とても楽だ。思い返してみると、夫も無職になってから出会った人も、誰も私のことを咎めたりしない。品定めしない。私が正しくなくても、正しくても、この人たちにとっては取るに足りないことなのかもしれない。
金を返せなくてもいい。生きていて欲しい。そう言った夫の声が頭の中でこだまする。目の前ではどんどん野菜や肉が出来上がっていく。訓練校で出会った人たちやかつての教授たち、私に出資してくれた親戚たちの顔を思い浮かべた。私は親に恵まれていない。でもそれ以上に、昔からずっと見返りの求めない他者が地続きのようにどの場面にも現れてくれる。それは何事にも代えられない幸福なことだ。
私は正しさにこだわっている。正当性に、自立性に、そして孤軍奮闘の中にあった一種のヒロイズムにこだわっている。それは無力な自分が唯一己の力を感じ取れる瞬間だったからかもしれない。
私の求める正しさとは、他の人から称賛されて認められることだ。孤軍奮闘のヒロイズムは、普通から零れ落ちた私が何段階も上の世界へ飛べるような力を叶えるために推し進めたものだ。だから一方的な施しに惨めさや落ち着かなさを覚えていたのかもしれない。
このまま助けてくれる他者の手を叩き落として昔の方法の焼き直しをするなんて愚かだ。私はあの頃のリベンジをしたいのだろうか。同じ状況にわざわざ自分を追いやって、同じやり方で成功することを夢見て、あの頃の惨めだった自分を救おうとしているのだろうか。それはなにも解決しない。
私が本当にこだわるべきは正しさではなく、この時間をきちんと謳歌して心を回復させることなんじゃないのか。ヒロイズムに酔うのではなく、新しい生き方を獲得して前に進むことなんじゃないのか。私は傷ついている。疲れてしまっている。あの頃の自分を救いたい。あの頃だけじゃない。今現在困って、分岐点に居る自分の未来を自分の目で見極めたい。
他人の優しさや支援を素直に受け入れよう。私はかつての自分が受けられなかった支援や協力を受けて、きちんと過去を清算しよう。自分が受けた優しさは、未来で同じように道に惑う人を助けるために返そう。
夫やハロワの女性だけじゃない。今度は、かつて私を打算なく助けてくれた親戚や教授たちのためにも。
「お野菜、追加してほしい」
「お?食べられそう?いいねじゃんじゃん頼もう!」
そのためにはまずこの時間を楽しもう。
◇ ◇ ◇
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いずれも沢山の方に読まれていて幸いです。
いつも読んでくれてありがとうございます。
次回は、いよいよ「二度目のモラトリアムは星屑のように消えた。【転職活動編】」を書こうかと思います。お楽しみに。
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