ビジョンで生きる大人はカッコいい Vol.25
ここ最近、公立の小中学校にて、職業講和を行っている。
私たちのビジネスは社会に貢献しているし、存在意義のある仕事。
だから、経営者としても社員の仕事を誇りに思っている。
大人になっても、ありたい姿(ビジョン)を掲げ、覚悟を決めて本気で仕事している。そんな大人がカッコいいよねって思わせたい。
そう、これを職業講和で伝えている。
ビジョンを描け難いのか
「将来、なりたい仕事は?」と質問しても返答することに躊躇する素振りを見せる子供たち。
「ユーチューバー?エンジニアとか?先生とか?」と質問していくとチラホラ答えてくれる。
満たされている時代と言ってしまえばお終いだけど、「将来、どんな仕事をしたいと思っていますか?」という質問を4年前のフィンランドや10年前のカンボジアでの学校訪問時とのギャップは大きい。
※フィンランドでも、カンボジアでも、前のめりで答えてくれた。
ちなみに、私の小学生卒業時の夢は「ドラえもん」だ。
職業講和でこの話をすると爆笑される。
確かに、、、今思うと爆笑だ。
でも、なりたい姿や将来の仕事を子供のころから考えられる諸外国と比較してしまい、与えられる環境に馴染んでしまった日本の子供たちに勝手な危機感を抱いてしまった。
ビジョンを描く必要がないのか、ビジョンを描き難いのか、ビジョンを掲げても諦める大人を多く見て育っているのか、きっと子供たちは素直だから、教育に関わらず、関わる大人たちが響していると思う。
なりたいと思えるような大人に出会って欲しい
私には中学校、高校と進むに連れ、なりたいと思えるような大人が近くに現れた。高校3年間、ある精肉店でアルバイトをした。
店長(おじさん)は18時頃には常連のお客様を見送ると日本酒を取り出し、飲むのが習慣だった。飲み終わると先に歩いて帰宅される。
精肉店の店長のみならず、別に精肉加工工場を持つ会社の専務だった。
高校生の私に、色々な話をしてくれた。
精肉店での販売や接客からスタート、そのうち、精肉加工を任せてくれるようになり、難易度も高いし、原価の高い高級肉の薄切り、秘伝の焼き豚づくり等、多岐に渡っていた。
高校2年生の時、中型免許を取ってバイク通学していた私。
アルバイト先にもバイクで出社していた。
バイクを改造するためにアルバイトで稼いだお金で何を購入して取り付けするのか、そんな話をしていた私。
自宅の前で改造していると近所の目がつくため、自宅から離れた公園などで改造していが、落ち着かないと溢していた私に精肉店裏の倉庫を「好きに使って良い」と貸してくれた。
友達と一緒にバイクを改造したり、当時の彼女と会ったり、好き勝手に倉庫を使わせていただいたし、女性の扱い方まで教授していただいた。
私は高校生。
単純に専務って凄いなぁとも思っていたし、職人って凄いなぁとも思っていたし、私の父の会社は高校3年生の時に倒産したこともあって、勝手に心配したりしたけど、不況期も乗り越えるために一緒懸命に働いている姿を見さえてくれて、本気で就職も考えたこともあった。
私から見れば、当時40歳ぐらいなので、おじさんだったけれど、間違いなく、あこがれる存在だった。
仕事に本気だったし、どこかお茶目だったし、優しかった。
大人になり、ビジョンを持つようになる
私は結局、服飾専門学校へ進学。
卒業後はアパレル販売会社へ入社、半年後には解雇となる。
その後、友人とアパレルブランドを立ち上げ、販売を開始するもの、こちらも解散した。
2000年にグループ会社へ入社し、再び、あこがれる大人と出会うことになる。当時、グループ会社の代表をしていた井上だった。
100年以上続く企業。
ビジョンを掲げ、ビジョン経営へシフトしていく、そんな最中に入社し、過程で多くの接点をいただいた。
ビジョンの力を信じる経営、経営者ではなく、ビジョンを見る社員の育成、次第に、ビジョンを考えるようなり、私もビジョンを掲げる経営者になった。
ビジョンに生きる
ビジョンに生きる。
今、まさにビジョンに生きていくという覚悟や実感が大きくなっている。
もう何年も前に掲げたビジョン。
でも、このビジョンに対する社会的使命感が急速に高まっているし、一緒に働ける仲間たちも過去にないレベルで集まってきている。
「もう一度、愛着の持てる豊かな世の中へ」を掲げる弊社。
豊かさが再定義されている今だからこそ、掲げることに意味のある壮大なビジョン。
先ずはファッション×リユースの事業領域で世の中にある価値観を壊す影響力のある企業を目指す。
今日の午後も再び、公立小学校で職業講和が入っている。
カッコいい面ではないが、ビジョンに生きるカッコいい大人を子供たちに見せに行ってこようと思う。
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