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献血したら、生きていてよかったと思った

生まれて初めて献血をした。

行こうと思ったきっかけは、人に誇れるようなものじゃない。個人的に通っているクリニックで血液型などいくつかの項目を検査する必要があったのだが、「直近の検査結果があれば代用しても大丈夫です。例えば献血とかでも。献血なら無料ですしね。」と看護師さんに言われ、ほう…?と思い、生まれて初めて、家の近くの献血ルームを検索した。

運良く近くにリニューアルしたばかりの献血ルームがあり、クチコミの「綺麗」「くつろげる」「お菓子がもらえてジュースは飲み放題」という言葉たちに目を惹かれ、意を決して予約をしたのだった。我ながらよこしまだ。

予約の電話をしたのは朝早くだったが、「今日行けますか」と聞くと「えっと…、夕方でも大丈夫ですか?」とのこと。失礼な話だが正直、「今すぐOK」と言われるくらい空いているのかと思っていた。献血といえば、街中で赤十字の人が「●型が●人足りていません」と書かれた看板を持って必死に声掛けをしている中、人々が素通りしていくイメージが強かったから。そして自分も素通りする人間のうちの1人だったから。実際には予約が埋まるほど多くの人が献血に足を運んでいることを知り、自分の見ている世界の狭さを感じさせられた。(ただ、需要と供給の意味で言えば必要分の献血が確保できない地域も多いのは事実だ。)

予約時間より少し余裕を持って献血ルームに着くと、エレベーターが開いた瞬間、元気な男性が満面の笑みで声をかけてくれた。「今日はありがとうございます!」まだ何もしてないのに礼を言われる。

「●時に予約した●●です。」「はい!…あっ、今日は初めての献血ですね。どうもありがとうございます!」2回目の感謝に思わず気分が良くなる。何もしてないのに。

案内されるがまま、個人情報を書き、血圧を測り、初めての人向けの説明動画を視聴する。「まれに副作用が起きることがあります」「過去にめまいや立ちくらみがしたことはありませんか?」…画面にそう表示されたとき、一瞬の不安がよぎった。

実は私はどちらかといえば痩せ型であり、冷え性で筋肉量も少なく、何回か起立性低血圧を起こしたことがあった。自慢じゃないが電車で失神したこともある。

これまで献血という言葉に耳を塞いでしまっていたのは、そういう理由もあった。不健康ではないが特段丈夫でもない身体なので、「私は献血に向いてないだろう」と思い込んでいたのだ。

ただ、最近は食事や運動にも多少気を使っており、体調を崩すことも滅多になくなっていた。そして何より「無料でお菓子やジュースがもらえて人の役にも立てる」ということが、ここにきて私に根拠のないポジティブ思考を植え付け、この場所へ足を運ばせたのだった。

そして来てみて分かったのは、本当に向いてない(献血に適さない)状態の場合は検査前採血で引っかかるから、最初から向いてないと決めつけないで良いということだ。私自身、過去に会社の健診で引っかかったことは一度もなかっため、きっと「向いてない」は杞憂だろうなと思いながら血圧やヘモグロビン値を測ったら、やはり「十分基準に達してますね」となんなく献血の権利を手にすることができ、励まされた。

何より、最初の男性然り、スタッフ全員の暖かさは印象的だった。万が一気分が悪くなったとしても、この人たちなら全力で助けてくれるだろう、という、心理的安全性が爆発していたのだ。

検査前採血が終わると「これを食べて、暖かい飲み物をたくさん飲んで、トイレに行ってくださいね」とクッキーが手渡された。言われるがままにボリボリとクッキーを頬張り、ココアやらホットカルピスやらを小学生のように飲みまくる。会場にあるテレビの野球中継では巨人の選手がホームランを打った。そうしていざ採血本番、と自分の番号が呼ばれる頃には、完全に無敵な気分になっていた。

温泉施設にあるようなリクライニングチェアに案内された。1人ひとつテレビがあり、好きなチャンネルが見れる。手元のミニテーブルにはスポーツドリンク。「じゃあ、早速始めて行きますね…あ、初めてなんですね。緊張しますよね〜」と朗らかな笑顔を向けてくれる看護師さん。聖母のよう。

注射が苦手な人に献血は辛いかもしれないが、多くの人は健康診断で採血は経験しているだろう。感覚的にはあれと全く一緒だ。一瞬チクッとして、あとは何も。腕はタオルで覆い隠されるので、自主的に見ようと思わなければ血を見ることもない。ただテレビを見たり携帯を見ながら、時が経つのを待つだけ。

私が行った献血ルームは10人くらいが処置できるところだったのだが、ここにいる全員、本当にまるで健康ランドにいるかのようにリラックスして過ごしているが、そのタオルの下では血を抜かれているのだと思うと、妙な一体感を覚え、感動すらしてしまった。

「今日はありがとうございました。次は1ヶ月後にまた献血が可能になるので、よかったらまたいらしてくださいね」そういってスタッフの方に”献血カード”を渡される。「カードに書かれている番号でWeb会員に登録したら、早く検査結果が見れますよ」ということで、早速登録してみた。


献血回数1回。
初めての献血が終わった。

帰り道、なぜか私は浮き足立っていた。
今日は良い休日だ。こんなに良い休日は久しぶりだ。なんだろうこの気持ち。

無料で採血ができたから?お菓子が食べれたから?いやいや、そうじゃなく。たしかにその目的もあったけど。そんな、特別利他的なわけでもない、というか普段は自分のことしか考えてない、そんな平凡な私でも、今日だけは誰かの役に立つことをできたのかもしれない。今日、ものの1時間半のうちに何回「ありがとう」と言われただろうか。こんなに優しくされて感謝されるなんて、少しは価値のあることをしたってことなのかな。それは今まであまり感じたことのない、特別な喜びだった。

献血は一度行くと、何度も行く人は多いらしい。実際私も思っているのだ、また行きたいと。

これまで大病や事故とは無縁の生活を送ってきた。家族や身近な人が輸血を受けたのを目の当たりにしたこともない。身近にそういう人がいれば強い動機づけにはなるだろうが、全くおらず、普段困っていることもないのに、少しチクリと痛むし最初は多少緊張もする献血というものを自ら進んでしに行く人って、一体どういうモチベーションなのだろうと、よほど出来たお人なのではと、これまではそんな風に思ってしまっていた。

でもそんなことは無かったかもしれない。多分多くの人は私同様に家族ともども健康で不自由ない人だし、最初のきっかけだって、なんてことない理由だったんだろうな。

顔は見えなくても誰かの役に立てているというその実感だけで、「生きている甲斐」がある。ああ私はひとりじゃなくて、社会に生きているんだと思えた。それがこの喜びの正体な気がする。誰かに血は分け与えたけれど、むしろ貰うものの方が多いような感覚を持った。

もし私と同様に献血に「なんとなく怖い」であったり「行く理由がない」と感じている人がいるのであれば、少し今日の話をシェアしてみたかった。これは誰かに強要されるようなものではなくあくまで自分の意志を大切にするべき話だけれど、もしその日がきたら、それはあなたにとっても少し特別な日になるかもしれない。

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