ターンテーブルに針を落として(2)
2 PUNKS NOT DEAD!
当のマエハラさんは、CSN&Yとかグレイトフルデッドとかが一番好きだったようだ。さすがヒッピー、ウッドストックの話も、まるで見てきたように繰り返し話してくれた。
「ここでくさ、雨が降るったい。そしたらみんな『No Rain! No Rain!』て叫ぶっちゃ」
「へ〜っ」と感心して「で、雨はやむと?」と聞くと
「それがたい、ほんとにやむっちゃんね! 奇蹟やろ?」
と、自慢げに言った。
マエハラさんをリスペクトしたのは、高1の2学期にマエハラさんのライブを見に行ったことがきっかけだ。「多夢(たむ)」というライブハウスだった。
「一郎くんもRCばっかり聴かんでくさ、もっといろいろ聴かんばも」
そう言われてなんとなく行った。
「やっぱ秋は収穫の季節やけんね。俺たちは秋に活動するったい」
いかにもヒッピーなことを言ったものだが、その時の僕にはまだその言葉の意味がわからなかった。
マエハラさんは「ストーンキャニオンバンド」というバンドのギターをやっていた。
それはそれでいいんだけれども、いでたちが全く以て度肝を抜いた。
ほぼ全裸に近い格好に、手作り感満載のセーム革のぺらぺらの衣をまとい、頭には赤いバンダナにインディアンがよく付けている羽根を左右両側に一本ずつ刺していたのだ。ブーツもセーム革の編み上げふうだった。何ゆえのインディアンか? 否、マヤ人だったのかもしれない。何ゆえのマヤ人か?
それはもう、かっこいいとか悪いとか、そういう次元を超えた神の領域、はたまた超人哲学だった。ライトに照らされブルースを弾くインディアンあるいはマヤ姿のガリ痩せの東洋人、マエハラさんの姿はもはやジャンルは神、系譜は人類、曲はヒッピー時々サイケそしてなぜかカントリー混じりのフォーク。これを一つのものとして体現できる表現者をリスペクトしないで一体何をリスペクトするというのか。
ライブが終わった後、ザワザワしている会場を見回すと平均年齢がそこそこの人たちばかりで、高校生かそこらの人間は自分ぐらいだった。且つ、ほとんどの男の人が、伸びきった髪も、痩せた身体つきも、マエハラさんとよく似ていることに気づいた。ライブにしては珍しく女の人もまあまあいたが、やたらストレートのロングばかりで酋長の娘みたいだったし、みんな申し合わせたように痩せていたので男女の見分けがつきにくかった。死神博士とインディアンの集会のようだった。
その群れの向こうからインディアンあるいはマヤ人がやってきた。
「一郎くん、来たとね」
すると周りにいた酋長の娘と死神博士たちが
「だれ?この子。高校生?」
と若干ざわついた。
「どげんやった? どげんやった?」
結構な勢いで聞いてくるマエハラさんに「うん、よかった」と答えてはみたものの、演奏よりも格好が気になっていたので、何がよかったのか正直なところよくわからなかった。戸惑う僕を意に介す様子もなくマエハラさんが言った。
「ロックは魂やけんね。テクじゃなかとさ」
周囲の死神博士たちから
ヒューッとか、
ィエーイッとか、
ィヤーッとか、
どちらかというとダサめの歓声が上がった。
「上手い下手は関係なか」
マエハラさんはキメた眼をしてそうキメると、さっそうとまた暗闇の中に戻っていった。
カッコよかった。
何がカッコいいって、一切の恥を捨て切ってインディアンあるいはマヤ人になり切って、ロックの本質を言い切ったところだ。切って切って切ったところだ。
「ロックは魂。テクじゃなか」
この言葉は、僕の金言になった。
その後、僕自身がバンドをやるようになったとき、この言葉がどれだけの支えになったことか。
そんな秋が深まるころ、マエハラさんから推奨されたボブディランの難解さとストーンズの広大さに怖気づいて、KISSとかアイアンメイデンとかホワイトスネイクなんかを聴いてしまった。するとひと月ぐらい経ったある日、マエハラさんが言った。
「あのさ、イギリスでくさ、ヘヴィメタのライブがあったってよ。そしたらくさ、たくさんのパンクスが会場の出入り口ば取り囲んでヘヴィメタの客が出られんようにしたげな。したらくさ、ヘヴィメタの客はどげんしたと思う?」
僕が即座に「喧嘩やね」と答えると、マエハラさんは笑って言った。
「みんなロビーの公衆電話に並んで家に電話して『ママ怖い。迎えに来て』て言うたげな。キャハハハ」
その日、僕はピストルズとクラッシュのアルバムを買った。僕のパンク狂いはこの日から始まった。今からすれば、ヘヴィメタでもカントリーでもフォークロックでもフィフティーズでも、否、四畳半フォークだとしても、全ての音楽をリスペクトすべきものだとわかっているが、当時はロックなんて何も知らずわからず、半分以上は見栄で聴いているようなものだった。マエハラさんはからかい半分で言ったのだろう。けれどそのときの僕にはとても重大なことに思えた。
高2になってナガセという友だちとバンドを組むようになってからはメンバーと一緒に余計に店に通うようになった。初めてナガセをマエハラさんに会わせたとき、マエハラさんは「バンドて言うて何ばやるとや?」と聞いた。僕らが顔を見合わせて
「パンク」
と答えると、マエハラさんはフンと鼻先で少し笑った。
そして
「失業もしとらんジャパニーズボウイがパンクスかいな」
と言った。
僕らはパンクの来歴を調べた。そしてマエハラさんが言ったことの意味もわかったが、そのころはもう見栄で聴いているわけではなかったのでやめなかった。
僕らの毎日は居残り補習とバンド以外に何もなかった。バカな連中が多かったからバカなことはたくさんやったがそれらのことは本当にバカなことなので、「お楽しくお充実したお学校生活」に何の寄与もしていなかった。
無駄で、無意味で、無節操な毎日。そう、まるで楽園みたいな毎日だった。それは、詰め込み教育と受験戦争のまっただ中で、まちがいなく僕らが築いた楽園だった。
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