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苦しさ 表現 悩み 憤り

 苦しい、死にたいわけではないけど、つっかえている「何か」がある。「何か」それを気持ちよく表現したい。現実に召喚させたい。積み上げないと出来ない。少し自分の思う方向に近い光が見え始めるのは、大体積み上げ始めて20年なような気がしている。それはいろんな表現者を観ていて気付いたことだ。
 このような感情をしっかり知覚したのは、ここ2週間ぐらいだ。それまではもっと漠然とした虚無感のようなものがあった。小学生のときからいや、生まれたときから表現したがっている。そしてみんな世界を変えたい。いい荒波を起こしたい。願望ばかりが出てくる。自我ばかりがでてくる。その方向は違うらしい。自分がSNSで観ている凄すぎる人達は言っている。なんとなく19年しか生きていない自分は「確かにそうだな」と思う。なんだか酔っっているような間違ったことばかり自分がしているあなたがしている。そんなジャッジばかりを反復してどうしたものか。多分実感が必要なんだと思う。
 「思う」以外の言葉はないのか。「思う」だと不確かすぎて言っても何にも掴めない。思う以外の模索の言葉を探したいな。思うは自分の身体に合わないし人に言うときも何か届きにくいような感じがする。「考えている」を取り合えず思い付きで採用する。今すぐには出てこない。ような感じとか曖昧になってっしまっているのが落ち着かないから、一旦仮固定させてはっきりというようにする。
 そして今のもやもややジャッジをくりかえすだけがつづくのは実感がないからだ。実感はアウトプット、作る。作ることアウトプットという行為は作るものは世間、社会を念頭に置かないこと。これが、創作のハードルを下げること。創作行為の楽しさ、安心感、自分の世界の構築本当に大切な生きる上で必要な土台の「素直さ」だ。ここから開かれたものや広がりのある面白いものが出来上がる。
 そして更にその一定の安心感から自分の世界から他者の世界への接続。他者から跳ね返ってくる反応から反応仕返してさらに違ったものが出来上がる。その積み重ねがクオリティーというものなのではないか。
 したがって創作行為は外部の形式(上手いや下手にのっとってする行為)から始まるのではなく、外部と自分の身体のずれから生じる小さな惑星衝突の爆発エネルギーを体から降ろすこと。そこで身体の求めていたものを知る。レールに乗り始める。
 その安心感、安定感、生きることを知り次の段階絵と向かう。それは自己の宇宙から他者の宇宙へのコンタクト。一方的な接触。を図る。そうすることを繰り返すことや続けることによって宇宙の層が厚くなりより他者の宇宙の変容度が高まる。構築し直すような崩壊へと導く。
 よくわからなくなっていったが実行する創作論なんだろう。これもまた変わっていく。


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