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自分と社会とを調和すること

仰々しい題名だけど、私の自己紹介記事になると思う。
題名は、私の目下の課題。
どうかお手柔らかに見てやってほしい。

24歳の代。社会人2年目。
特にこれといったことはない普通の人。
まだ何も成し得ていない。

でも、私にはやってみたいことがある。
だからここに書きたい。忘れないために。

それは、
世の中の「変な空気」に気圧されず、一人ひとりが自分の想いを大切にして生きていくことを応援すること。
それを許容して、多様性を認め合える考え方を広めること。

今回は、私がなんでそんな事を考えるようになったのか、という話を3つと、これからの話をしようと思う。
(大変長丁場で恐縮ですが、お付き合いいただければ嬉しいです。)

①家族という常識
②クラスを包む違和感
③思考停止こそが正義?
④私が選んだもの


①家族という常識

そもそも私が多様性だとか、自分の考えや心についてを考えるようになったのは、自分の家族が周りの家族と少し変わっていたからだ。
今回はそれを比較的キャッチーに表せる一例を伝えたい。

私の父親は女装をする。

昔は髪を長く伸ばして、手入れも行き届いたツヤツヤの茶髪をしていた。
今は髪こそ切ってしまったものの、家でブラジャーを着けていたり短めのデニムスカートを履いていたりするし、ピンクが好きという乙女な感じだ。
母親よりも父親の方がコスメに詳しいこともある。
ただ、体格は男で普通にゴツいので、ミスマッチな感じもある。

それでも普通の会社に勤めていて、母親と結婚して私が生まれている以上、
女の人が好きな男性だ。(と思う。)

そんなわけで、私は物心つく前から、少し変わった家族と接してきた。
そして、それは私にとっての普通だった。

でも幼稚園に入ったことで、それは一般的ではないと気付いた。

気付いたけれど、だからといって拒絶する気もなかった。
なぜなら、その人は私の父親だったし、他の人と違うことをする父親が幼心には単純に面白かった。
なにより、父親はとても楽しそうにそれをする。

その一方で、母親は結婚後に女装癖を知ったらしく、あまり好意的ではない様子だった。
結局今まで、辞めさせようとしているのを目撃したことはないが、
私が成長するにつれ、母親はそんな心境を明かすようになった。

ここで、普通ではない趣味を持つ父親と、それに悩む母親に板挟みになるかと思いきや、
私はこれまで一度も父親の女装について悩んだことはない。


私にできることは、2人の考えを受けとめることだった。

私はこの点で両親のどちらかを嫌いになりたくはなかったし、そう考えるなら当然のことのようにも思う。

そして、これが恐らく私の中で、人の考え方はそれぞれだと考えるようになった根源

それぞれの考えを否定したり強要したりするのではなく、
そんな考えもあると受けとめられるようになれば、
お互いを認め合って過ごせるのではないかと思うようになった。

でも実際には、誰かの考えが強すぎれば、誰かに実害が及ぶこともわかってきた。

強い考えは、その場を包む空気になる。
その空気が誰もが対等であるという信頼関係の中にあれば良いが、
そうでない場合、誰かにとっては生き易く、誰かにとっては生き辛い場所になる。

だから私は、他者の考えを受けとめる姿勢に基盤を置いて、
それを咀嚼し、自分の考えと折り合いをつけていきたいと思う。
そうすることで、信頼関係を構築し、他者と対等に関わることができると考えている。

ただ、こうやって気を付けていても、自分だって上手くいかないことも多い。
自分と他者、どちらも大切だということは絶対に忘れないようにしたい。

そして、少し変わった家族や少し変わった人を「個性」として自他共に受けとめられるような考えがもっと広がっていけばいいと思っている。


②クラスを包む違和感

そもそも、私が「変な空気」を最初に感じたのは、小学2年生の頃。

クラスメイトに、上手くいかないことがあると癇癪を起こしてしまうA君が居た。
その爆発は凄まじく、同年代としては、少し滑稽で面白おかしく感じることもあった。そう思うこと自体は年齢を考えれば仕方のないことだとも思っていた。

でも、ここに教師が加わることで、私は初めて、集団の空気に強烈な違和感を覚える体験をした。

クラス教師は、A君が癇癪を起こすと、理解を示す訳でもなく、クラスメイトと一緒になって笑い、時には癇癪を増長させ、煽るようにして笑いを取った。
そんな時、A君はいつも、やめて、と言って泣き叫び、時には教室を飛び出して行ってしまった。

私は当時まだ小さかったけど、これはなにかが違うと思った。
本来ならば、教師はA君に理解を示す姿勢をみせ、それをクラスメイトにも伝えていくような存在ではないのか。

小学校低学年の年齢にとって、教師は恐らく、スクールカーストの最上位に位置づけられる。
教師のすることは正しく受け入れられ、疑われることもない。
では、上記のような場面を正しいと受け入れて育った人はどうなるのか。
あまり想像したくない。

この例は極論であり、また、進学するにつれてカーストの影響は弱まったものの、小学校・中学校・高校と、それは当たり前に存在した。

もちろん、「ゆるくクラス内の住み分けがある」という程度の場合も多い。

でも、強者が弱者を面白おかしく表現したりイジメたり。
従わなければ自分に悪いことが起きると恐怖に感じたり。
鶴の一声で矛先が別の誰かに移ったり。
かと思えば、強者が立場を引きずり降ろされたりということもあった。

ある意味で、それは社会勉強として存在するべきなのかもしれない。
他者と関わることの塩梅を知るために、必要な学びなのかもしれない。

でも、それが誰かの心を深く傷付けてしまったら?
もう何処にも誰も、自分の味方は居ないと本気で追い詰められてしまったら?

「遊びのつもりだった。」「本当は駄目だと思っていた。」
後出しのフォローが入っても、心は簡単に修復できるものじゃない。

今の教育現場は私の時代から改善がされたことは沢山あるはずだが、
そんな危険を孕んだ「変な空気」をこのままにしていて本当に良いのだろうか。

そして、もしもそこに救いがあるとすれば、
空気に気圧されずに近くに居てくれる人が1人でも多くなることや、
自らが空気に立ち向かおうという姿勢を持つ人が増えていくこと
じゃないかと思う。


③思考停止こそが正義?

社会人になる春、私は働くのが楽しみだった。

「社会人」は、「変な空気」に物怖じしない自分の考えを持って、よく働き、遊び、学生とは別の充実を感じて生きている人だと、勝手に考えていたからだ。

そう信じていたのは、私が大学時代にアルバイトをしていた会社には、熱量の高い社員さんが集まっていて、バイトもその熱を受けてよく働いていた経験があったからだ。
私も、そんな人たちと働くことが好きだった。

就職先に入社してみて、期待は当たり前に裏切られていった。

1ヶ月の研修後、初めて配属部門のフロアへ足を踏み入れたとき。
最初にすれ違った先輩に「おはようございます!」と声を掛けたら、一瞥して無視された。

臆病なので、私は震えた。

後になって周りを見回すと、別にそれは普通のことで、自分の生活圏外の社内の人にすれ違う際、誰かが挨拶をしている様子はなかった。

殺伐とした印象を受け、心が冷えていくのを感じた。

実際、常時120名程度の部門だが、部長職を除いて5年以上勤務している人は3割に満たない程度で、その中で女性の人数は片手におさまるくらいだ。
でも、毎年50人前後の新卒が採用されて入ってくる。
要するに、出ていく人が多い。

今もそこで働いているが、所々違和感を覚えながらも、少しずつ現実を理解して、少しだけ調和していたら、私の中にこんな気持ちが生まれた。

考えるのをやめれば、楽になるんじゃないか?
目の前のことを淡々とこなして、割り切って働けばいいんじゃないか?
適当にやり過ごす術をもっと身に付けようよ。
みんなそうやって生きてるよ。そうじゃないと生きづらいよ。

でも。

それは本当に私がなりたかった姿なのかな。

当然、私が世間知らずなのだと思う。
何生意気言ってるんだと鼻で笑われることもわかる。
本当にただ、その通りなだけかもしれない。

ただ、どうしても仕事をしているとき、心が少しずつ死んでいくような気持ちがする。
死んだ魚の目をしている自分がいる。

このことを同期に話すと、
「今は割り切って目の前のことをやろうと思う。」という子も中には居るけれど
「私も同じように思うけど、そうやっていくしかない。」
「辞めたいけど、転職するのも大変。次にやりたいこともわからない。」
「あんまり考えないようにしてる。」なんて答えが多くて、
前向きに考えられている人の方が少ない気がする。

こうやって気持ちを殺していくのは、本当に
正しいこと、仕方のないこと、当たり前のことなのか。

会社の「変な空気」に呑まれつつある自覚もあるけれど、
私はまだ、「これは当たり前じゃない」と声をあげることを諦めたくない。


こんなことを思う私にも、学生生活の中で、「何も思わない、考えない」で少しの間を過ごしたことがある。
その時の記憶はあまり無いけど、消去法で自分を失くす選択をした。
それが1番楽だと思ったから。
でも、その代償に自分に自信が持てなくなった。
それに気付いて、自分を手放してはいけないのだと学んだ。
楽を選ぶと、その代償も大きいのではと思う。


でも幸いに、私はもうオトナで、学生の頃と違って、
色んなことを自分で考えて選択することができる。

その環境に自分を調和させようとすることも、
その環境を自分と近付けようとすることも、
今の環境を出て、自分と近い環境に身を置くことも、
自分で環境をつくることだってできるかもしれない。

もしも、何か違和感を感じながらも、流れに身をまかせる他に術がないと思う人がいるなら、
私はその人が違和感を取り除くために動いていけるように支援したいと思う。
諦めないでほしいと強く思う。


④私が選んだもの

前述した色々なことを考え、自分の想いに近いものを求めてはじめたのが、
キャリアコンサルタントの勉強だったり、
箕輪編集室というオンラインサロンだったりする。

キャリアコンサルタントは、自分のキャリア(生き方)について悩む人に寄り添って、一緒に答えを考える。
でも、決してコンサルタントが問題解決をしてはいけない。
解決策は、相談者自身が見つけて選び取るもの。
自分で考えて選んだという実感は、生きていくための糧になる。

そんな考え方で、相談者を支援する仕事。

私が今でも生き方について悩むように、
生き方について何か違和感や不安を持っている人は案外いるのではないかと思う。
そんな風に思う一人ひとりが、自分の人生は充実していると感じられるようになってほしい。
私はその力になれるようになる。

そして、自分の想いを大切にして生きていく人が1人でも多くなれば、お互いの想いを大切に受けとめ合える人が増えて、「変な空気」に包まれた場所は少なくなるのではないかと思っている。


箕輪編集室は、熱量の高い人たちが集まっていそうな感じがした。
熱に触れて自分も頑張りたいと思ったから入った。
予感はその通りで、私にとっては、ガソリンみたいな場所になると思う。
8月に入ってから、まだあまり活動できていないのが本音。

でも、初めて参加した集まりで繋がってくれたみんなと、2回目に飲み会をしたとき。
私のこんな話に耳を傾けてくれて、いいねと背中を押してくれたことが本当に嬉しかった。

箕輪編集室いる人たちは、たぶん自分の想いを大切にしている。
自分の想いを大切にしながら、世の中からの信頼も得ている人が多く見受けられる。


今の私に足りないもの。世の中と自分との調和。
それが出来ていて、心が生きていて、前向きな人が沢山居る。

だからこそ、自分の考えを押し付けようとする人も、誰かを利用してやろうとする人もいない。
それ以上にみんな、自分に忙しいのではないかと思う。

でも、熱量を持ってやれば、自然と誰かが賛同してくれる。
押し付ける必要もなく、自然といいなと思ってくれる人が集まる。
それを知っていて、実践している人ばかりだ。

私はまだ、それを知っただけで、実践できていない。
こんなにそれぞれに熱量の高い人たちに囲まれる経験もはじめてで、正直なところ毎回緊張している。

だからこそ、箕輪編集室に身を置くことは学びになると感じた。
手を挙げれば実践の場ももらえる。
インプットとアウトプットを同時に出来る場所だと思っている。

キャリアコンサルタントの資格を取ったら、キャリアコンサルタントとして何か貢献していけたらいいなと思う。

そして、キャリアコンサルタントとしてより沢山の人の力になるために、その役割を発信して、キャリアコンサルタントの知名度を上げていけるよう、今のうちに文章を書く力を身に付けたい。


私はまだ何者でもないけれど、
そんな選択と、想いがあって、このnoteを書くことにした。

何かあったときに、立ち返ることができる言葉になればいいなと思う。

でも、まだまだこれから先は長いから、やりたいことが変わるかもしれないけれど。


私が1番大好きなバンド、チャットモンチーが言っていた言葉。
「夢は変わってもいい。
自分で作った夢なんだから、自分が作り変えてもいいんだと思う。」


そんな言葉で少し逃げ道を作ってあげて、自分を応援する。
でも、作り変えるならちゃんと、納得いくまで頑張ってからね。

ご静聴、ありがとうございました。

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