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アドバイスは誰のための言葉か

人の言葉は、ありがたく聞かなければ
と思ってしまうのは何故だろう。

なにかを相談すると、
大抵は「あなたのためを思って」と言葉を渡される。

「善意」のカタチをした言葉に対して、
「ありがたい顔」をして
受け取らないとダメな気がして気が重くなる。

その言葉に混じった、
その人の気持ちや考えやプライドが
聞こえてくる気がして。
その言葉を丁寧に受け取らないと、
その人を傷つけてしまうように感じて気を遣う。

もちろん、純粋に私に届く言葉もある。

でも、純度の低い言葉も多く、
私はあまり人に相談をしない人になった。
(単にコミュ力がないだけかもしれない)

言葉の純度は、
どこで決まるのだろうと考えたとき、
「視点」かもしれないと思ったことを書きたい。


どの視点からの言葉なのか

例えば誰かに相談すると、
大体は3つのパターンで返ってくると思う。

①自分の処世術や武勇伝を語りたくなる人

②悩みについて、もしくは関係性について
 マウントを取って優位に立とうとする人

③その悩みの重みを理解しようとしてくれる、
 その上で言葉をくれる人

①②は、私の悩みをテーマに相手起点の話が展開される。

それに引き換え、
③は、私起点の話をしようと努めてくれている。

聞き手である私に届く言葉は、
圧倒的に後者である。

でも、悩み相談やアドバイスというのは、
大抵の場合、①②の要領で行われる。

その方が、その場に居る全員が等しく楽しめるからだ。

一人の悩みにフォーカスするというより、
その悩みを肴に語り合う方が、みんな楽しいのだ。

その瞬間、真剣に悩みの渦中にいるその人は
置いてけぼりを食らったような気持ちになるとしても。

悩みは相談しない方が良いのか?

じゃあ、悩みは人に相談しないで
一人で抱え込んだ方が良いのかというと、
全くそんなことはない。

私は、あまり人に悩みを話さないけれど、
それでも人に悩み相談をすることはある。

それは、自分の中に解決策の引き出しが無くなってしまったとき。

相談する相手は、自分のことをよく知る人か、
過去に同じようなことで悩んでいた経験のある人

相談するときは、必ず1対1の場を用意する。

なぜかといえば、私が大勢の前で悩みを笑い飛ばして
解決していける屈強なタイプではないということもある。

それ以上に、相手にきちんと向き合ってもらえるシーンで
悩みをネタにするのとは異なる真剣さで
掛けてもらう言葉を自分も真剣に聞きたいからである。

純度の高い言葉は、純度の高い関係や
場面から生まれると思う。

私は、大勢と刹那的に会うよりも、
1対1でゆっくりと対話するほうが
お互いの人となりがわかるから好きだと思う。


ご清聴ありがとうございました。




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