美しいままで氷結させて 5/13

最後に映る、瞳の中で…


絶頂と最後

よく聞くことわざ「終わり良ければ全てよし」は心理学的にも言えることだそうだ。



ピーク・エンドの法則(ピーク・エンドのほうそく、英語:peak–end rule)とは、われわれは自分自身の過去の経験を、ほとんど完全にそのピーク(絶頂)時にどうだったか(嬉しかったか悲しかったか)ならびにそれがどう終わったかだけで判定する、という法則である。

例えば失恋して、それまで散々な日々だったとしても別れ際が良いものだと、日々全部を良いものだと錯覚して、一番良かった頃ばかり回想してしまう…とか。


ある実験では、あるグループの人が大音量の不快な騒音にさらされた。2番目のグループは、1番目の人々と同じ大音量の不快な騒音にさらされたが、その最後に幾分ましな騒音が追加されていた。この2番目のグループのこの騒音聴取の体験の不快さの評価は、1番目のグループの人たちよりも低かった。最初の同一の騒音区間に加え、不快さを抑えた引き延ばされた区間があり、1番目のグループよりさらに不快であったはずであるにも関わらずである

これって怖いなと思う。

例えば、好きな景色をスケッチして、色までつけて、じわじわ形になってきた……あと少し…と思ったときにうっかり絵具をこぼしてしまった。 乾かしても乾かしても修復不可能、だめになってしまった…ということが起きたら。

いくら途中が楽しくても、というか途中が良いほど、ショックを受けちゃうなあ…。

似たようなやらかしはよくある。小さなことから大きなことまで。そこからリカバリーできればよいけど、辿り着けなかったハッピーエンドばかりを夢見てしまう。

なんでも「そこに向かう過程が一番!」なんて目をキラキラさせて唱えられても、失敗を繰り返すたび、怖くなってしまう…



ただ今書いてて思った。

過程が楽しければ、納得しちゃうんじゃない?と

さっきの絵も、もちろんショックだろうけど、一周まわって一人で笑ってしまいそう。それから、あれだけできたのだから、また描こうと思うか、別の形で少し理想から外れても完成させるか。それも芸術だと言いながら。


結局あとあと不満に残るのは、途中でやりきれなかった後悔があるからじゃないかな。


ピリオドはどこにある?

途中に後悔があるのなら、そこでやめず、続ければいいんじゃないか。

最後の最後、自分が納得いくところで自分で区切りをつける。

高校や大学受験、20歳、就活、卒業、年齢、一年、1週間、1日…

当たり前のように生きた時間の中で、社会的に区切られている。今までよーいどんで色々経験してその区切りを過ぎ去っていった。これからももっとあるのだろう。

でも、でも…

その区切りは、本当に自分で納得してつけたのか?そこで終えて、本当にいいのか?

続けていって少しでも納得できれば、途中でうまくいってなくても、やりきれないまま終わることはないんじゃないのか。 

過程を夢中になって進んでいけば、区切りなんてどうでもよくなるのではないか。

画像1

イメージ図笑


もちろん、決まりはあるし世間的な目もある。勝手に区切られてしまう。少しでも遅れると負い目を感じがちだ。

ただ、ゴールをずっと先遠くにおくことで、気持ちが楽になることもあるはず。


いつかたどり着く先が美しい場所なら。

そこに笑顔で向かっていく。


死ぬときに笑って死ねたらいいなと誰かが言ってた。それって過程の積み重ねの結果だし、今わたしもそうでありたいなと、ひしひしと感じる。


p.s

今日は宝塚版『ロミオとジュリエット』のCDを聴きながら記事を書いていた。(2010年星組の。凰稀かなめさんのティボルトだいすき…)

ロミオとジュリエットが死んだ後に歌われる歌の歌詞に、"二人の名前は永遠に残る"とある。ロミオとジュリエットはお互い気持ちが最も高まっているうちに死んだことで、愛を氷のように永遠のものに、そして美しくも悲劇的にしたのだろうな…と感じた。


ここまで読んでくださりありがとうございました。明日もあなたにとって良い一日になりますように。















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