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空を飛ぶ土竜
2023年7月3日 21:52
誰も僕を知らない街でただ僕は迷子になっていたかったのだ死にたいと思ったことはただの一度もないが、どこかに行ってしまいたいと思ったことなら数えられないくらいある。
2022年7月17日 08:45
僕がただ生まれて死ぬという ただそれだけにすぎないんだが何だかわからないけれど何かを待っている雨の午後ただここにこうしていたい 降る雨にただ濡れている紫陽花字足らずのつぶやきでした。
2022年6月1日 22:54
蜘蛛の糸きらりと流れ わたくしはわたくしの道をゆくほかはない
2022年4月23日 16:41
谷崎潤一郎に「春琴抄」という小説がある。春琴を思う佐助は、顔に大きな火傷を負い、その顔を見られることを嫌う春琴の思いを考え、自ら両目を針で突き、失明することで春琴に仕えた。人は一途に思いつめるとき、自らの視覚の遮断を斟酌しないものか。趣は異なるが、若山牧水にこんな歌がある。海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり園田小夜子という女性との恋とその破局に傷ついた牧水の悲
2021年12月23日 18:51
身のうちに白銀の蛇棲みしより生きゐることはひそかなる燦「燦」とは、「燦々と」「燦然と」などと使われる、光り輝くこと。自分の身に「白銀の蛇」という、不気味?不可思議?神秘?なものが棲むようになってから、生きていることは「燦・きらめき」だという。その繋がり?飛躍?は何だろうと、自分のことながら自分でもよくわからないまま、できてしまったというような歌。そんなこともあっていいか、というような歌。
2021年9月17日 22:23
ウィキペディア(Wikipedia)によれば彼岸花は曼珠沙華死人花地獄花幽霊花蛇花剃刀花狐花捨子花はっかけばばあなど様々な名を持つらしい名前が多いのは恐らくその不思議さにあるのだろうが彼岸花の不思議さはあの紅さとあの茎に花がにょきっと立った姿と一瞬の生命の燃焼のように姿を消すことにあるひとは地上に現れることを「萌ゆ」と言い地上から消えることを「枯る」
2021年4月18日 21:47
生きるとはただ佇つことにほかならず 初夏 夕暮れに葱坊主佇つ
2021年2月20日 16:44
生きるとは所与を生き切ることだろう 老人のひく 老犬がゆくまったく及びもつかないほど必死で与えられた生を生きようとしている命がたくさんあるに違いない。それを思い描く想像力があれば僕らは、どんな困難にもきちんと向き合えるのだろう。