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短歌・詩・俳句

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短歌・詩・猫を中心とした川柳などを掲載しています。
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#生きる

迷子

迷子


誰も僕を知らない街でただ僕は迷子になっていたかったのだ

死にたいと思ったことはただの一度もないが、
どこかに行ってしまいたいと思ったことなら数えられないくらいある。

あぢさゐ

あぢさゐ

僕がただ生まれて死ぬという ただそれだけにすぎないんだが

何だかわからないけれど何かを待っている雨の午後

ただここにこうしていたい 降る雨にただ濡れている紫陽花

字足らずのつぶやきでした。

わたくし

わたくし

蜘蛛の糸きらりと流れ わたくしはわたくしの道をゆくほかはない

遮断

遮断

谷崎潤一郎に「春琴抄」という小説がある。

春琴を思う佐助は、顔に大きな火傷を負い、その顔を見られることを嫌う春琴の思いを考え、自ら両目を針で突き、失明することで春琴に仕えた。

人は一途に思いつめるとき、自らの視覚の遮断を斟酌しないものか。

趣は異なるが、若山牧水にこんな歌がある。

海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり

園田小夜子という女性との恋とその破局に傷ついた牧水の悲

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ひそかなる燦

ひそかなる燦

身のうちに白銀の蛇棲みしより生きゐることはひそかなる燦

「燦」とは、「燦々と」「燦然と」などと使われる、光り輝くこと。
自分の身に「白銀の蛇」という、不気味?不可思議?神秘?なものが棲むようになってから、生きていることは「燦・きらめき」だという。
その繋がり?飛躍?は何だろうと、自分のことながら自分でもよくわからないまま、できてしまったというような歌。
そんなこともあっていいか、というような歌。

彼岸花と猫と

彼岸花と猫と

ウィキペディア(Wikipedia)によれば
彼岸花は
曼珠沙華
死人花
地獄花
幽霊花
蛇花
剃刀花
狐花
捨子花
はっかけばばあ
など様々な名を持つらしい

名前が多いのは恐らく
その不思議さにあるのだろうが
彼岸花の不思議さは
あの紅さと
あの茎に花がにょきっと立った姿と
一瞬の生命の燃焼のように
姿を消すことにある

ひとは地上に現れることを
「萌ゆ」と言い
地上から消えることを
「枯る」

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生きるとはただ佇つこと

生きるとはただ佇つこと


生きるとはただ佇つことにほかならず 初夏 夕暮れに葱坊主佇つ

所与を生きる

所与を生きる

生きるとは所与を生き切ることだろう 老人のひく 老犬がゆく

まったく及びもつかないほど
必死で与えられた生を生きようとしている命が
たくさんあるに違いない。
それを思い描く想像力があれば
僕らは、どんな困難にも
きちんと向き合えるのだろう。