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掌編「四時に集合なって言ったじゃん」

 エアコンが壊れた。夏の盛んな一番暑い日に。冗談にも程がある。
 ワンルームの自室にとてもじゃないが居られなくなった俺は、窓の外を瞳に映すだけでうんざりしたけれど、新たなる涼みの土地を求めて、灼熱の世界へ半ばやけくそに身を投じた。熱を帯びるコンクリ踏みつけて七分、近所のカフェへ流れ着く。早速火照った体を冷やして生き返る。冷たいカフェオレを手に、空いているテーブル席に陣取って、ポケットからスマホを取り出す。待ち合わせ場所が変わった事を伝えるためだった。
 あいつら元気にしてるだろうか。

 社会人になって初めての夏が来て、カラフルなシロップのかき氷、こちらの耳を圧倒する蝉の鳴き声、夕暮れの灼けたバス停、開襟シャツの日焼けした自転車の集団、そんなものを目にする内に、あいつらに会いたくなった。無性に顔を見たくなったのだ。


「四時に集合な」
 かぶと虫が欲しかった。俺も廉次も、かぶと虫を捕まえたかったのだ。だが陽ちゃんだけは嫌だと云った。俺と廉次が何故と聞いても、訳を話してはくれなかった。結局、半ば強引に集合時間だけを決めて家に帰った。
 翌朝、まだ少し薄暗い街の中、俺と廉次は校門の前に約束通りやって来た。けど時間になっても陽ちゃんは本当に来なかった。何をするにもいつも三人で実行してきた俺たちは、やっぱり三人がよくって、その日はかぶと虫を諦めることにしたのだ。

 午後のプールへ行くと、陽ちゃんが居た。早速今朝の事を尋ねようとした時、廉次が止めた。俺は全然納得がいかなかったけど、夏休み中にクロールのタイムを縮める目標があったから、その話は後回しにしてプールに入ったんだ。
 帰りに先生や親には内緒でコンビニに寄って、三人でアイスを食べた。当たり棒が出たかの話はしたけど、やっぱりかぶと虫の話は出来なかった。何故か廉次も、かぶと虫の話をしなくなって、盆踊りはあるし、花火大会もあるし、プールには通うしで、段々俺もどうでも良くなってきて、かぶと虫の話をしなくなっていた。

 廉次と陽ちゃんと俺。三人で自転車乗り回しては、夏のアスファルトが冷めるまで遊んだ。公園でじっとしてることが出来なくて、俺たちはいつも町内を動き回っていた。あんまり暑い日と、雨の日だけは、俺の家に逃げ込んでゲームをした。母さんがたこ焼き器を出してくれて、みんなで焼きながら食べたのが、実は結構思い出だったりする。

 思い返せば小学生時代の夏休みが最高に楽しかった。中学も三人同じだったけど、部活が違うとか、クラスが違うとかで、いつも一緒ではなくなったんだ。けれど一度だけ、二年の夏休みだった。三人で海まで自転車で行くプチ旅行を計画した。陽ちゃんの家は中々許可が下りなくて、もう無理かと思ったけれど、三人で頭を下げて、どうにか許して貰ったんだ。滅茶苦茶しんどかったけど、海が見えた時は最高に嬉しかった。あの日浴びた潮風と、廉次と陽ちゃんの笑った顔は、俺の一生の宝物だと思ってる。内緒だけど。


 カフェの扉が開いて、若い二人が入って来た。
「遅いよ、四時に集合なって言ったじゃん」
「悪い、陽ちゃんが服の色で迷っててさ」
「私の所為じゃないわよ、廉次が遅刻したんだもん」
 高校時代から付き合い始めた二人。薄々感じていたんだ、俺は。だってお似合いなんだ。不貞腐れてなんかいねえ。ただ、いつから両想いだったかなんて、考えたくないね。
「なあ」
 陽ちゃんがぱちんと開いた瞳を俺と合わせた。
「なんでかぶと虫嫌だったの?」
 陽ちゃんは首を傾げて、それからああ、と思い出した様に笑みを零した。
「だって山の中でしょ。私蛇嫌いなの。一回出くわした事あってさ」
「それを白状して、また馬鹿にされたら嫌だからって」
「なんだ、やっぱ廉次は当時聞いてたんだな。くそ、俺だけ仲間外れにしやがって」
「だって京也、私の誘いは断ったじゃん」
「え?」
「恐竜を探しに行こうって言ったら、馬鹿にして笑った」

 その拍子に小学生の俺たちが目の前に蘇った。映画に触発された陽ちゃんは恐竜を探しに行こうと興奮気味に持ち掛けて来たんだ。けど俺は、大笑いして無理だって返したんだ。
「根に持ってたんか?」
「当然。だからかぶと虫なんて捕まえに行くか!と思ってね。意趣返しだよん」
 十年の時を経て、真相を知った俺。今度は俺の方が口を尖らせる番だった。でも、この久し振りに遠慮の要らない感じが、心地よかった。
「わかった」
 俺が膝を叩くと、二人は同時に顔向けて来た。
「明日三人で恐竜を探しに行こう」
「はい?」
「明朝四時に集合な」
「馬鹿」
 廉次が突っ込みを入れて笑い出した。言った俺の方も笑っている。陽ちゃんは俺たちを交互に見て、やっぱり可笑しそうに笑った。みんな大人になったんだ。不意にそう思って、妙に切なくなった。

「早く飲み物買って来いよ、大事な話があるんだろう」
 そう言ってやると、二人は急に笑みを引っ込めて顔見合わせた。俺は得意だった。先日誘いをかけた時、丁度良かったと言われて、その時点で大体察したんだ。注文に向かう後ろ姿を盆槍眺めながら、俺は氷の融けかけたカフェオレをぐんぐん飲んだ。式の日取りはもう決まってんだろうか。仲人だか幹事だか知らないけど、絶対俺がやってやるからな。

 俺は二杯目のカフェオレを注文する為に、二人目掛けて席を飛び出した。

                              おしまい

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