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痛みに麻痺することを強さと思いたくない

思えばずいぶん「痛み」を感じなくなった。

高圧的に詰められた時の痛み。
夜遅くまで働いて目の奥がジンとした時の痛み。
自分の論理を他者に押し付けたときの痛み。

昔はもっと「痛み」に敏感で、それこそいつも痛がっていた気がする。

だからあの頃の僕は、もっと「強く」なりたいと思っていた。

こんなことでへこたれちゃダメだ。
いちいち落ち込んでたら前に進めない。
自分でなんとかできるようになりたい。

そんな「強さ」を求めていた。欲しがっていた。

そしてどうだろう。
今の僕は、確かにあの頃の自分よりも「痛み」に強くなった。

打たれ強くなったし、ちょっとのことではへこたれなくなった。
自分の意見も言えるようになったし、自分で自分の機嫌も取れるようになった。


でも、それは「強さ」なんだろうか?

隣で「痛み」を感じている きみ を横目に、
「こんなことでオレはへこたれないぞ」と思うこと。
それは本当に僕が欲しかった「強さ」なんだろうか?


痛みを感じなくなること、痛みに麻痺してしまうこと。
それは「強さ」とは違うと思う。

少なくとも、昔の僕が欲しかった「強さ」じゃない。


僕が欲しかったのは、
「痛み」を痛みとして受け入れた上で、
それでも前を向けることだ。

「痛み」を感じている人と自分に線を引くのではなく、
一緒に「痛み」を感じられる優しさだ。

「痛み」を感じないことじゃなくて。
「痛み」と共にあれる「強さ」が欲しい。


そんな話を、あの頃の僕としてみたい。

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