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"パルクール的な何か"に熱中していたころ

熱中していたもの3つ目。中学~高校時代、今でいえばパルクール的な行為にはまって、友達と遊んでいた時期があった。

最近ではパルクールがスポーツとしてかなり認知されてきたから、仮に誰かに何か言われたとしても「パルクールを・・・」という釈明もそれなりに意味がありそうなものだが、当時はそうもいかない。

高いとこに登ったり、変なところから降りたりする行為を咎められたら、条件さえ揃えば普通に捕まっていたと思う。

実際、当時の自分たちのお手本はトレーサー(パルクールをする人のこと)ではなく、ビル壁登りで御用になるスパイダーマン容疑者だった。

「ここ、登れる?」

中学生男子の馬鹿さ加減と言ったら、筆舌に尽くしがたい。今もこの文章を書いていて、これって小学生レベルでは・・と思うのだが、そういう遊びにも平気で、なんなら得意げにすらなって参加していた。数年前まで小学生だし無理ないのかな。

一方で、新しく始めた部活や勉強に燃え、彼女が欲しいとかあの子がかわいいとか、そういう健康的な方向で中学生する人たちもいる。そういう人たちは、絶対に、小学生の延長みたいな遊びにはまらない。そして彼らの大体は、スクールカースト1軍のイケてるやつらなのだ。彼らの高校・大学生活がうまくいくことは、この時点から約束されている。

彼らだって、今では「昔は馬鹿やったよなぁ」などと当時を振り返ると思うが、やった馬鹿の内容が絶対に違っている。決して、どこかの登り降りとかではないことは明らかだ。この辺り、また掘り下げて考えてみたい。

話が逸れたが、自分は前者の方の、小学生レベルの遊びを中学生の力でやっちゃうぞ、タイプの馬鹿だった。選択ミスったなぁ。

ふるいに掛けられる馬鹿たち

"パルクール"は、誰が言ったでもない、「ここ登れる?」みたいな話題から自然に始まった。ありますよね、こういうノリ。

みんな軽い気持ちで挑戦して、登れる、登れない、降りれる、降りれないと結果が出ていく。誰だってそうだけど、できることは面白いし、上手くいかないことはつまらない。多感で繊細な中学生からしたら、できないことが続いたら格好悪いと感じるし、徐々にやりたくなくなってくる。そういう人たちは、自然とこの遊びからドロップしていく。

また、登り降りができていても、ガキっぽくてつまらんと思う人もいる。こういう人たちも、この遊びには二度と加わらない。本当に正しい選択だ。

このような厳しいセレクションを生き残り、"パルクール"に熱中するグループが誕生してしまったのだった。

"アツい"スポット

パルクール的な行為とはいえ、アクロバットな技術は誰も持ち合わせていなかった。とにかくひたすらに色々なところへ登る、降りる、跳ぶ、などが活動の中心だった。

ちょっとした壁や段差は勿論、公衆トイレの屋根、河川の橋げたの裏(伝わるかな…)、解体作業中の家や施設、学校の避雷針や体育館の屋根裏など、様々な場所を登頂していった。子供だから許されたことだなと心から思う。

学校帰りに制服でやっていることが多かったから、逆に子供が遊んでるな~位に見えて、大事にならなかったのかもしれない。

どうしてこんなことに熱中できたのかと振り返ると、登りきった時の達成感や爽快感、また、自分が何か珍しいことに携わっているという特別感、などが原動力だったかなと思った。"特別感"については、中2病も手伝って容易に肥大化した。治って本当に良かった。

ちゃんとパルクールしてみたい

実は、ちゃんとしたパルクールには今でもちょっと挑戦してみたい気持ちがある。スポーツとして有名になったし、今なら初心者がやる場所とかもありそうだ。いつか一度くらいは・・・と思いを馳せながら、年ばかり取っていくのだった。

ちなみに、最後にパルクールっぽい活動をしたのは大学院の時で、中学当時一緒に"パルクール"をしていた友達と行ったボルダリングだった。

登る体力や腕力は大学に置いて来てしまったようで、昔の様にはいかないなぁと笑い合った後、打ち上げで入った川崎の磯丸水産でやかんに入った熱燗を飲みすぎて2人で無事に死亡した。

風向きが悪いのか、それ以来ボルダリングにも行っていない。

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