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"ブログ"に熱中していたころ

もう一つ熱中していたものでいうと、多分「ブログ」だと思う。

ブログといってもアフィリエイトとかをしていたわけではなく、ただただシンプルに日記として使っていただけのブログだ。

「ブログやらない?」

4月から高2、という時期の春休みに、友達にアメブロ(懐!)を誘われたのがきっかけだった。そろそろ受験の雰囲気も近づいてきたということもあって、息抜きになれば良いかな~くらいでぬるっと始めた感じだった。

日記はいままで続いた試しがなかったから自信がなかったのだが、1, 2週間と書いていくうちに、勉強の息抜きになって面白いよという内輪の優しい言葉に気を良くしてしまった。

気づけば自分のルーティーンに「ブログ」がぴたりとはまって、毎日投稿を続けるようになっていた。

一度やり始めるとやめ時が判らず、まぁここまでやってきたし・・・という損切できないタイプの性格も手伝って、なんと最終更新は就職前まで続いた(毎日投稿は大学卒業まで)。

ブログが軌道に乗った要因は、一緒に始めた友達というペースメーカーが居たことと、周囲の反応が嬉しかったことかなと思う。やっぱり周囲の反応って大事だ。

中二病の記録

書き始めた当時はスクールカーストの2軍のど真ん中を行くような位置で息をしていた自分は、中二病の搾りかすみたいな感じの文章を書いた。本当の中学2年生ほど現実を判っていないわけではないけど、斜に構えた感じで、特別な努力もしないくせに現実ってこんなもんですよね~みたいなスタンスで、ひねた日記を量産していた。

大学卒業を機会に毎日投稿がストップしたのは、深夜に過去の日記を一気に閲覧して、穴に入りたくなったためだ。深い深い穴に。

とはいえ、子供から大人に変わる人間が書き続けた文章って貴重だよなとも思い、記事は消さずに閲覧制限をかけた状態で残してある。江戸時代の作家:○○が記した日記、的なものは現代にも多数伝わっているけれど、著者は絶対にうわきっつ・・と思っているだろう。

運命のネットリテラシー

しかしながら、当時の自分を一番褒めたい点は、ネットリテラシーというか危機管理意識みたいなものが割と備わっていたため、普通で、幸せなブログ生活を全うできたことだ。

基本的に、

「学校の人が見ているんだから、そこまで変なことは書けないよな」

という意識が強く働いていたのだ。中二病を引きずりがちだったとはいえ、書いてはいけないことは何となく判っていたと思うし、書かなくてもいいような余計なことは、自然と書かなかった。

プライベートな文章にありがちな愚痴っぽい話題も書いたこともあるが、学校の友達がたどり着けないエリアでの話題に限定したり、万が一のことを考え少しフィクションを織り交ぜて匿名性を高める記述を心掛けた。

また、自分の写真も載せなかったし、自分を良く見せようとしたりするようなことも全くなかった(自分に自信もないし、ネットに顔出るの怖いし)。

こうした姿勢が幸いしたのか、前述したように友達からは普通にコンテンツとして楽しんでもらえたし、特に親交のなかった同級生からもブログ見たよ~と感想をもらうことができて、それをきっかけに仲良くなったりするミラクルも起きた。

インスタもLINEもなかった時代だったし、同級生とはいってもネット経由で人と仲良くなれることなんてあるんだなぁと、なんだかすごく感心したことを覚えている。

ちなみに自分をブログに誘ってくれた友達は記事の書き方がまずかったのか、本人のブログを模した裏ブログみたいなものが校内の有志によって立ち上げられてしまい、開始半年くらいでネットのおもちゃになってしまった。

ブログ、おそるべし。


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