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ロスジェネの回生|二十年前、献血も断られるほどだった私が身も心も成長したハナシ

これは、ビジネスの世界においてその姿を探すことが難しいといわれる希少世代(ロストジェネレーション)の残党が、時代にのまれながら身と心の成長新記録を出し続けていくサクセスストーリーです。

━◆もう就活はヤメだ。うん、バイトしよ。

ミレニアムだなんだと世間が盛り上がっていた2000年。
私は「広告の仕事をするんだ」とそこそこに意気込んで就活をしていたが、世は大不況の真っただ中だった。

くさい夢を語りたがる二十二歳の私に内定を出してくれたのは、広告部門へ配属できるかもと誘いながら、結局はミレニアムが笑うほどバカでかいテレビ電話システムの営業をさせるつもりだったグレイッシュ企業と、出版の仕事をさせてあげるとささやきながら子供向け教材のピンポン営業をさせようともくろんでいた杢グレー企業の2社のみだった。

私は、「いったんもういいや」と就活をさぼり始め、ほろほろとすぎゆく学生時代を堪能することに心をささげ、就活のために辞めていたバイトを再開することにした。

━◆はじまりは、ゼロ。広告業界に入れてしまった。

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せっかくなので、バイト先くらいは広告っぽいことしよう。

軽い気持ちで週三日の広告ライティングアシスタントに応募したものの、面接会場にはスーツ姿のおっちゃんやらバシンバシンのレディたちが集っていて、大学生がやってよい仕事ではなかったのだと思い知る。

しかし、いわゆるキャリア転職組との違いは「ちょっと前まで現役バリバリで就職活動していた」というイキの良さ。あれよあれよという間に難関を突破し、学生バイトという非常においしいポジションで広告業界への潜入に成功した。

\成長指数±0/

━◆サポートしたのは広告作成じゃなく営業マンだった。

同期は私含めて計三名。私と同じく当時大学四年生の女性一名と、七歳上の団塊ジュニアの女性一名だ。あとは五つほど歳上の女性アルバイトの先輩一名。

さて広告アシスタントだと思って入社を決めたが、実際は営業アシスタントだった。初めてのオフィスワークだ。ただ想像していたよりのほほんとしていた。というより、二十代の女性四名で集まると、そこはほぼサークルだったし、「だまされたぜコノヤロー」的なことは感じなかった。

私含め二名の女子大生を採用したボスから「お前ら、卒業したらそのまま契約社員になれや」と勇ましい口調で誘われた。今考えれば究極の青田買いだったが、そういえば就活をさぼりっぱなしであったことに思い当たり、承諾することになった。

\成長指数まだまだ±0/

━◆会社がなくなる=南の島でミニスカで踊る。

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変わらずサークルノリは加速していた。

契約社員へ転向するにあたり、こんなスタンスで大丈夫なのかと心配していたところ、
「年度末でグループ三社が統合されるから。今の社名も子会社も全部なくなるから。なので、南の島で踊って
といわれた。

なぜ、会社がなくなるから、南の島で踊るのだ。理由と結果が結びつかない。
どうやら、おかしな業界に入った様子だとこのあたりでようやく気が付いたが、若かった私はおかしな会社イコール楽しい会社だと解釈した。

同期三名、「ちょうど某アイドルと同じ人数だね」と言われてミニスカドレスを着て会社の解散会で踊ることになった。

一日中会議室で衣装を縫った。手を休めようとオフィスに戻ると「なんで仕事してんねん。衣装はよ仕上げやー」とニコニコと追い返され、無数のスパンコールを無の境地で留め付け続けた。

「ああ、とっても楽しい会社。仕事より衣装づくりを容認してくれるのね。楽しいね」三人の女子は会議室でケタケタと笑った。

\成長指数は安定の±0/

━◆広告業界の洗礼。半身だけに鳥肌が立つ新現象を知る。

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楽しかったサークル時代は、子会社たちの統合と私の契約社員登用を以て終了した。

アシスタントたちにはそれぞれに専属の営業マンがあてがわれ、マンツーマンで仕事を叩きこまれた。

当時の私にとって営業の言葉は大きく、仕事の進め方も顧客との距離の詰め方も何もかもが営業の言うとおりに進めることが正義とすら思っていたので、自分が知らぬ間に折衝業務をしていたことにすら気が付けないまま時は過ぎていき――。

広告関連業界にありがちな「残業できる奴がエライ」に違和感も抱かず、二十代前半をゴリゴリと過ごした。

そんな時だ。体に異変が出始めたのは。

朝。バブル時代に入社したというその営業社員が私の左隣の席に着席した瞬間、左半身にだけぶわりと鳥肌が立つようになったのだ。

「あの顧客一覧はもう必要ないから僕が捨てたよ。この一覧上から下まで全部電話して広告の効果検証しておいて。ねえ、なんで泣かないの、泣いたら許そうと思っていたんだけど」

営業は営業先でひどい目にあっている。どこかにぶつけたいのだろう。

エスカレートする言葉にも「あ、はーい」と返事さえしておけば何とかなることが分かり始めていたが、体の反応は隠せなくなってきていた。

\成長指数+5/

━◆「あぁん!?寝不足だよ!!!」というニュージャンルの怒りを知る。

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自らの身体の異常に気が付かないようにしていたが、周囲が先に異変に気が付きだした。そして、担当営業が変更になった。

次はやや小太りな男性で、前評判が異様に悪い人物であったが、それでも心機一転だと全身全霊でアシスタント業務という名の折衝業務に専念した。

しかし、顧客管理はおろか、自分のスケジュール管理もできないそいつは、うまくいかないことはすべてアシスタントのせいだと言い出した(アシスタント、ああ、私ね、私のことね)。

話しは変わるが、営業マンは基本的に正社員だった。
でっかい企業だったのでとんでもないお給料をもらっている。
この新しい私の相方もまたバブル世代だったこともあり、当時の給与相場よりはるかにもらっていたに違いない。

ロスジェネ契約社員の私なんか、残業してやっと月収20万に届く感じだったが、この時ばかりはヤツの子守り業務が圧迫していて月収はコンスタントに30万円は超えていた。

それなのに言うのだ。

「ああ、仕事が忙しい、忙しい。架電やっといてくれたの? はやくしてくんなきゃさー、あーもうダメダメじゃーーん(スタバの何たらラテをグビグビ)」

神経性咳嗽という変な病気になった。

奴が同じ空間にいる間中、咳が止まらないという世にも珍しい病だ。

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夕方には全身に蕁麻疹が出たなあ。

それでも、ヤツがデコに冷えピタをはって登場した時には、なんかのアピールかと思ってわざわざ
「あれ、どうしたんですか、風邪ですか」
と訊いてあげたのだが

「あぁん!?寝不足だよぉっ!!!」

とすごい勢いで怒られた。
この世に、風邪じゃない、寝不足だ、というジャンルの怒りがあるのだとこのとき初めて知った。

\成長指数+10/

━◆ロスジェネは思い続ける「雨なんて、いずれ止むのだ」と。

ロスジェネの不憫なところが、それでも耐えることに違和感を持てないことだった。

なんとかして、自分は不幸じゃないぞと思いこめるように持っていくすべを持っている。

私の場合は、当時の彼氏を見た。

彼が新卒で入った会社は、早朝に出勤させ「高性能時計を持っていないヤツは営業失格だ、すぐに買ってこい」と近くの商店街へ新人を放つのだそうだ。
早朝にもかかわらず一店舗だけ、古びた時計屋が営業をしているらしい。
ここに書くのも怖い想像が働く。

彼を見て「かわいそう」と思いながら、自分はそうでないことに安どした。

画像5▲自分はきっと真ん中らへんだ、と思いこめるの図。

その後数年かけて、いろんな営業担当とタッグを組んだ。億の売り上げを支える唯一のアシスタントとなったときはそれなりにデッカイやりがいを実感したし、クソみたいなマネージャーに嬉々としてパワハラを受けたこともあったし、商品企画なんかの裏方に徹する機会も得られたし、スケールのでかい“変な会社”でそれなりのポジションを確立できたと実感するようになっていた。

ただ、どの世代よりも鈍感力だけは長けているロスジェネは、致命的な痛みに気が付かない。

様々な不思議病の種を与えてくれたバブル入社の彼らとは圧倒的に待遇が違うのに
「うちは正社員も契約社員も、同じ責任と同じ業務を任せている。すごい仕事を任されてよかったね」
といわれて、喜んで激務をこなした。

\成長指数+12/

━◆つわりは魔物。減らすチャンスはきっとここだった

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私の精神安定剤(=比較剤)になってくれていた彼は、半年でその会社を辞めた。で、ようやくまともな会社に転職した。……ので、結婚した。

妊娠したのは、結婚からおよそ一年後。つわりがヤバイ。
臭覚は犬並みに進化し、あれだけ好きだったコーヒーのにおいが一切ダメに。ニンニク料理を作る夫を殴りそうになった。

他にも頭痛、腹痛、めまい、食べづわり(空腹だと気持ち悪くなる)、吐きづわり(でも食べもの見たら吐き気がこみ上げる)とオンパレード。

あげくには切迫流産・切迫早産と妊娠中のリスクをフルコースで味わうこととなって早々に傷病休暇に入り、産休に突入し、第一子を出産した。

\成長指数+5くらいへ戻る/

━◆目覚めよロスジェネ。私たちはまだ、人生を変えられる。

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育休もそこそこに職場に復帰したら、メンバーが全員入れ替わっていた。

会社の体制もすっかり変わりつつあったが、あいかわらずゴリゴリゴリゴリやっているようで、私もその渦中でゴリっていた。

深夜残業が続き、息子の保育園のお迎えは夫がほぼすべて担当に。

そんなある日、事件が起こった。

「俺の会社、なんか、すんげー遠くに引っ越すらしい」

と夫が言う。

すんげー遠くって?

「▲市で、●駅から徒歩二十分くらいらしい」

▲市は中心部から微妙に遠い工場地帯だった。引っ越すほどでもなく、かといってこれまで通りお迎えに行ける距離でもなくなった。

そのときふと、濁流のように体中から何かが抜け落ちていく感覚を覚えた。

「わたし、やめる。会社」

これまで何があっても頭に浮かぶことはなかった言葉だ。

「転職して、私がお迎えに行けるようにしてあげる」

”何か”が抜けきった頭脳は澄み切っていて、するすると言葉が出てくる。
憑き物のが取れたような顔ってこんな顔、というお手本のような表情をしていたに違いない。

あっという間に、転職先が決まった。
私なんかになれっこないと決めていた正社員で、ライターの仕事に就けた。

干支を一周以上まわるくらい契約社員のアシスタントをやってきたのに、三十代半ばなのに、正社員で転職できるんじゃん。

ストレスフルな日々、むさぼるチョコレート菓子、深夜のタクシー帰宅、丑三つ時の夕飯……。

もっと早く抜け出すことができたのかもしれない。
もしかすると、「規定未満につき受付できません*1」と献血すら断られていた学生時代、もうひと頑張りしていたら人生は変わっていたのかもしれない。

\ときすでに遅し、+15キロ/

社会人生活15年。
“何か”は抜け落ちた。あとは、この脂肪だけだ。

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*1…大学生当時、献血車に血を差し出そうとしたら「規定の体重未満」という理由で断られた。

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