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ついついがんばりすぎてしまうあなたへ。

三が日が明けて3日ほど経ったころ、前職の職場で仲良くしていた子にメールを送った。

しかし、翌日になっても返信はない。

あれ、おかしいな。
何かあったのかな。

私がメールすると、わりとすぐに返信してくれる子だったから、ちょっと違和感をおぼえた。

もしかして、スルーされたかな?
そんな考えが、私の頭をちらっと横切った。

いや、彼女はそんなことをする子ではない。
横切った考えを振り払うように、すぐさま否定する。

彼女にメールするのは昨年末以来だから、1年ぶりだ。

半年前、退職するときに、私から彼女にそれを伝えることができなくて、それがずっと気がかりだった。
だから、久しぶりにメールを送ってどんな反応をされるのか、たしかに不安はあった。

やっぱり、返信しにくいのかなぁ。
休職して1年半、退職して半年経っても、まだ気を遣われてるのかなぁ。

それならそれで、仕方ないか。
そうであれば残念だけど。仕方ない。

相手に期待してはいけない。
最初から期待せずにいれば、必要以上に傷つくこともない。

人は変わってしまうから。簡単に裏切ることができるから。
それをよく知っている私は、誰のことも100%は信じない。

うーん、ちょっとモヤモヤするけれど、あんまり考えないようにしよう。
何か事情があるのかもしれない。
もうちょっと待ってみよう。


彼女は「ゆりちゃん」という。

私は大手IT企業(いわゆる「SIer」ってやつ)に7年ほど、システムエンジニアとして勤めていた。

彼女は、新型コロナの影響により緊急事態宣言が発出された2020年4月に新卒で入社し、ちょうど在宅勤務でのリモートワークがメインになったころに配属された。

例年であれば、上長が新入社員の紹介をしてくれる。新入社員の子たちはその場でみんなの前で挨拶をして、歓迎会という名の盛大などんちゃん騒ぎに参加したりして、すぐに職場に馴染むことができた。
コロナ禍のせいで、この年はそれができなかった。本当にかわいそうだなと思う。

私も、会社に出向くのは月に1回か2回程度にとどまっていた。

ある日の出社日、私のデスクの近くに見かけない女性が座っていることに気づいた。
配属されて間もない彼女は、デスクに着いた私に気づくやいなや、自分から「ご挨拶させていただいてもいいですか?」と私に近寄り、首から下げた名札を私にしっかり見せながら丁寧に挨拶をしてくれた。

そのときから、とても感じのいい子だなと思っていた。

今風でもなく、キャピキャピした女子っぽい感じもなく、派手さはなくどちらかといえば大人しめで、やわらかくほんわかとした空気をまとっている。
その第一印象は、まるでソフトフォーカスで撮影されたポートレートを見ているかのようだった。

「この子とは合うかも。いっしょに仕事してみたいな」

直感で、そう思った。

私には4人の妹がいるが、いちばん下の妹とは19歳離れている。
ゆりちゃんとはそれ以上に年齢が離れているので、ずっと歳の離れたかわいい妹、という感じがする。

「もし私に娘がいたら、こんな感じなのかな」

なんてことも考えちゃうくらい、本当にいい子で、素直で、かわいくて。
あぁ、こんな妹(あるいは娘)が欲しかった!

そう、私は彼女が大好きなのだ。


その翌年の4月、新規の顧客先での仕事が決まった。
その仕事を、ゆりちゃんと二人で担当することが決まり、私の心は躍った。

「やったぁ、ゆりちゃんといっしょに仕事ができる! よっしゃあ!」

心のなかで大きなガッツポーズをしたものだ。

業務内容は、システム運用。
私は運用業務の経験が長く、「上流工程」と呼ばれる設計や構築よりも「下流工程」である運用の仕事のほうがずっと好きだったし、自信も持っていた。
だからきっと上手くできると思っていたし、ちょっと楽しみにしていたくらいだった。

しかし、その期待は、ものの見事に打ち砕かれた。

一日でこなすべきタスクの量が、とにかく多い。ハンパなく多い。
そのうえ、顧客先の上長がなかなか面倒な人で、その人の対応にずっと追われっぱなしだった。
ひっきりなしにやってくる毎日のユーザー対応と定常業務と、それ。しかも上長対応は優先度も高めだから、後回しにもできない。
やってもやってもタスクは減らないばかりか増える一方だった。

結局、この業務は4か月という短期間で終了した。
その間、ゆりちゃんと二人で力を合わせて、ときにはまわりを巻き込んで、最後までなんとかやりきった。

私がリーダー役として、彼女に少々無茶な仕事をお願いしたりもしたが、彼女は本当によくやってくれた。
本当にさんざんしんどい思いをしたけれど、ゆりちゃんと仕事ができたことは本当に楽しかったし、いい思い出になったと思っている。

だが、すっかり疲れ果ててしまった私は、この業務が終わって会社を半月ほど休むことになった。
そのときにメンタルクリニックでQEEG検査(定量的脳波検査)を受け、中等度のASDとADHDであることが判明したのだった。


メールを送って2日後、返信があった。
ゆりちゃんから返信があったことにめっちゃ喜んでいた私だったが、その中身を読んで驚いた。

「いま休職中なんです」

私の体調を気遣う文章の後に、そう書かれてあった。

まじか・・・

喜びに沸いて上がりきった私のテンションは、一気に急降下した。

メンタルなのか、フィジカルなのか?
どんな具合なのか?
いつからなのか?

そのメールを読んだだけでは、よくわからない。
向こうの状況がわからないから、どう返事しようか悩む。
聞きたいことは山ほどあるけど、さすがに聞きづらいし。
休職経験者として話を聞いてあげたいと思うけど、余計なことはできないし。
陰ながら見守ることしか、できないのかな。

そうか。
あぁ、こんな気分になるんだ。

身近な人がそういうことになって、
逆の立場に初めて立ってみて、私もわかった。

そりゃ、気を遣うよね。
ちょっと距離をおくべきなのかなとか、嫌でも考えちゃうよね。

私が休職のことを伝えたときも、きっとみんなこんな思いをしたんだろうな。


もしかして、私が変な流れをつくってしまったのではないか?
休職者を立て続けに出してしまって、「これやから女はダメやねん」などと、現場で言われたりしていないだろうか?

なんて、そんなことがちょっと気になった。
気にはなるが、私はすでに現場を離れて1年半も経っている。そんなことを私が気にしたって、いまさらどうしようもない。

またいつか、ゆりちゃんと会って話せる日が来るかなぁ。

「ごはん食べに行こうね」って、ずっと前から約束してたのに、まだ果たせてないよね。
その約束、今年こそは果たそうと思っていたんだけどな。
もうちょっとだけ、お預けかな。


休職を伝えるメールをもらってから、2日ほど置いて、ゆりちゃんにメールを送った。
「無理には聞かないけど、もしよかったらどんな状況なのか聞かせてくれると嬉しい」と書いた。

翌日、ゆりちゃんから返信があった。
そこには、休職に至った経緯が書かれていた。

やっぱり、私と同じだった。
なんで、ゆりちゃんが……。

ゆりちゃん、がんばりやさんだからなぁ。
きっと、がんばりすぎちゃったんだろうなぁ。

状態は回復してきていて、復職に向けて頑張っているところだと前向きに書かれていたので、ひとまず安心。
だけどやっぱり、陰ながら見守ってあげることくらいしか、私にはできないのかな。

私にできることって、何だろう。
何でもいい。ほんの少しでもいい。力になりたい。

私も経験者で、せっかくこれまでいろいろ学んできたんだから。
この経験と知識を活かして、必要としている人たちに届けたい。
ゆりちゃんの現状を知って、よりいっそう強く、そう思うようになった。


休職すると、まわりの人たちには何かと気を遣わせてしまう。
これは仕方のないことだとわかっているし、気を遣ってもらえるのはとってもありがたいんだけれど、「できるだけ普通に接してほしい」というのが、私の願いだった。

だから、私もそんなふうに接してあげたいなと思う。
彼女の負担にならない程度に。

そうだ。
彼女は私の休職中に、メールで私にこう言ってくれたんだった。

「ゆっくり待ってますので、カナタさんのペースで少しずつ元気になっていっていただけたらうれしいです」

あの言葉、うれしかったな。
今度は私が、ゆりちゃんにエールを送る番だね。


がんばれ。
ゆっくり、ゆっくりでいいからね。

がんばらなくてもいいけれど、がんばれ。
やっぱりそう言いたくなる。
大好きだから。
声にも文字にも出さないけれど、心のなかでずっと応援してるよ。


私の大好きな吉田拓郎さんの名曲を贈ります。
この曲を聴いて、どうか癒やされてください。


ついついがんばりすぎてしまうあなたへ。そしてわたしへ。
そんなにがんばらなくてもいいんだよ。
あせらずゆっくり、ゆっくりいきましょ。

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