コミュ障おばけ、爆誕
妹のあゆみが生まれて1年後、私は幼稚園に入園した。
入園してしばらくは、私の「登園しぶり」はひどいものだった。
母から離れてよく知らない子たちといっしょに過ごすことが、それはもう不安で不安でたまらなくて。
なぜ行かなくちゃいけないの?
子ども心に、そんな想いを抱いていた。
登園のたびに「行きたくない!」「おうちにいたい!」とギャン泣きして、園に着いてからも大声で泣き喚き、母や保育士の先生を困らせた。
「ほら、カナタちゃん。あっちでみんなが待ってるよ。いっしょに遊ぼう?」
母のそばから意地でも離れようとしない私を、先生がやさしくそう諭す。
私はしぶしぶ、差し出された先生の手を取って、重い足取りでクラスの部屋に向かうのであった。
人生で初めて経験する、幼稚園という名の「社会」。
望んだわけでもないのに、自分の意思とは関係なく勝手にそこに放り出されて、私は困惑した。
登園しぶりは次第に落ち着いていくのだが、その「社会」に馴染むのは、私にとっては容易なことではなかった。
2歳とか3歳くらいのときは、まわりの大人を困らせるほど、べらべらとしゃべりまくっていたはずの私なのに。いつからか人見知りをひどくこじらせ、まともに人と話すことができなくなっていた。
「トイレに行きたい」とすら言えなくて、頻繁にお漏らしをする始末。
そのたびに、幼稚園から着替え用のパンツを拝借することになった。
何の変哲もない白地のパンツに、幼稚園の名前がひらがなで書かれている。
私のような子のために貸し出す用として繰り返し使用されているのだろう。油性マジックで書かれたその文字が薄くなっていて、ちょっとくたびれている。
お漏らしをしたからといって、先生や母から怒られるわけではなかった。
母は、幼稚園から借りたパンツをいつも黙って洗濯してくれて、「ちゃんとお礼を言って返すのよ」と、私に持たせてくれた。
だけど、恥ずかしさと、なんともいえない物悲しさがあって、なんだかせつなかった。
恥ずかしさとせつなさと物悲しさと〜♪
って、歌にでもなるかな???
お泊まり保育なんて、苦痛でしかなかったよ。
そのときに記念として撮影した集合写真に写る私は、最前列で前屈みの姿勢になり、下半身を手で押さえながら座っている。トイレに行きたいのを必死に我慢しているのが一目瞭然だ。
行きたいならさっさと行きゃいいのに。
「トイレに行きたい」のたった一言が、私にはどうしても言えなかった。
いまとなっては笑い話だけど、当時の私はかなりつらい思いをしてたんだよねぇ。
ずいぶんと大人になったいまでも、ちょっと我慢しちゃうところがあるんだけどね。ダメだねぇ。
七夕が近づいてきた、ある日のこと。
七夕飾りを作ることになって、みんなで工作をしていた。
私は、天の川を模した(実は天の川ではなく、魚を捕る漁網を表しているのだそうだ)網飾りを作ろうとしていた。
七夕の時期になるとよく見られる、七夕飾りの定番のアレである。
折り紙を真ん中で半分に折り、さらに半分に折る。
そして、折り目側からハサミで交互に切り込みを入れていく。
調子よく作業をしていた、そのとき。
バチン!
私のハサミは、無惨にも折り紙を真っ二つに切り落としてしまった。
誤って上端までハサミを入れてしまったのだ。
「あっ……」
私は、途方に暮れてしまった。
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
私の頭のなかは、そんな言葉がぐるぐると駆けめぐる。
本来であれば、切り込みを入れ終わったら折り紙を広げて外側に向かって引っ張れば、びよ〜んと伸びる網飾りが完成するのだが、これではあまりにも寸足らずすぎて、飾りとして成立しない。
怒られる!
隠さなきゃ!
反射的にそう思った私は、真っ二つになった折り紙を、テーブルの下にひた隠した。
まわりのみんなは一生懸命に手を動かしているのに、私の手は止まったまま。
ただただ苦痛な時間と不穏な空気が、私のまわりにだけ流れていた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。
しばらくして、私の様子に気がついた先生が近寄ってきた。
「カナタちゃん、どうしたの?」
失敗してしまってから先生から声をかけられるまでの間が、とてつもなく長い長い時間に感じられた。まるで地獄を味わうようだった。
「……これ、間違って……」
すっかり短くなった折り紙を先生に見せながら、こわごわ口にする。
私は怯えきっていた。怒られることを恐れすぎて、ありえないほどビクビクしていた。
「短くなっても大丈夫だよ。これで作ったらいいからね」
先生から返ってきたその言葉を聞いて、私の表情は一転してぱあっと明るくなった。
間違ったけど、怒られなかった。それに心底ホッとした。
私はすっかり気を取り直し、切り込み飾りをなんとか完成させたのだった。
これが普通の子なら、
「先生、間違って切っちゃったの。どうしたらいいですか?」とか、
「新しい折り紙をください」だとか、
何かしらのお伺いを立てることができるのだろう。
だけど、私にはそれができなかった。
みんなよりずっと短くなってどこか不細工な、七夕飾り。
いま思えば、このときの七夕飾りって、まるで私みたいじゃないか。
自分の思っていることを口にできない。
自分の気持ちを人に伝えられない。
私の「コミュニケーション障害」が露わになりだしたのは、このころからだ。
幼稚園という、まだちいさな子どもの「社会」ではあるが、それと自分との間に、大きな大きな壁が立ちはだかっているように感じた。
そう。思えば、このころからだった。
「自分はみんなと何かが違う」
「みんなが普通にできることが、なぜ自分にはできないのだろう」
そんな違和感をおぼえるようになったのは。
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