鈴山明弘

鈴山明弘

    最近の記事

    仏教再考、悟りと現前意識、0.5秒の不戦境、認識の3境モデル

     自我は記憶です。ところが人類は、自我という亡霊のために殺し合っています。でも、現代人なら、自我や国家の仮在性を見抜けます。筆者はここに、不戦の心の在り方を描いてみたいと思います。  はじめに、「認識の3境モデル」を提案します。このモデルでは、存在と認識の世界を機能的にいくつかの「境」に区分します。伝統的な哲学や心理学、仏教学などとは少し異なりますが、少しずつ説明していきます。 【認識の3境モデル】 第0境「現前」  認識以前、自然界、物質の世界。 第1境「現前覚」

      • 【東洋の心】から「戦争の責任」 鈴木大拙

         こんにちは。鈴山です。  クリスマスだというのに、ウクライナへのロシアの侵攻が止まりません。Pooは悪いに相違ありませんが、Tin一人のせいかというと、残念ながら、そうとも言い切れない気もします。戦争や犯罪の責任について、鈴木大拙は、【東洋の心】と題した講演の最後の方で、以下のように言っています。少し端折って引用します。  戦争は、世界の全員に責任があるというのです。理屈は分かりますが、やはりPooの独裁が問題ですよね。それはそれとして、戦争に関する文章を、東洋の心から

        • 肯定的「空」からの創造 鈴木大拙

           こんにちは。鈴山です。  大拙の思想の根底には「矛盾同一」が潜んでいます。それで、「空」のような否定性の文字も、大拙の手にかかれば、直ちに、大いなる肯定の文字に転じてしまいます。以下、大拙晩年の【東洋の心】の序から引用します。  からりとして聖なるものもないし、自我というものもない、そういう風に実体というものを否定的に見るのではなくて、時間的に動いてゆくものを見ろというのです。瞬間性、空間性の否定は、時間の流れの中での肯定だと。大拙は、以下のように続けます。  書店に

          • 第三境「悟りの構造」本覚と始覚

             こんにちは。鈴山です。  思想は、霊性的直観の内容を他者に伝えるためであると同時に、その人の直観を深めるものです。親鸞の教行信証でも、道元の正法眼蔵でも、後進の指導もあるでしょうが、直観内容の再確認の役割が強いのかも知れません。その意味で、思想と直観とは廻互的関係にあります。また、祖師方の思想を自分なりに消化する努力も必要でしょう。それで、私は私なりに自分の無分別的体験についての表現を工夫をして、2相と3境という言葉で無分別の心理を整理してみたいと思います。  まず、2

            自我中心の「原恐」とパニック障害

             こんにちは。鈴山です。  以前、自分の軽いパニック障害の経験について投稿しました。生理学的な要因もあるとは思いますが、もう一つ思い当たるのは、30年間自己流で瞑想に取り組んできたことの影響です。幼少より、もともと臆病な方でしたので、自然に、自分の心を内観することは深く続けてきたわけです。パニックは、10年ほど前に、突然起こりました。どうして急にそうなったのかを振り返ってみると、仏教的探究の影響があるのではないかとも思うわけです。つまり、長期にわたる自心の探究によって、自我

            時宗の自己「原恐」自我の中心

             こんにちは。鈴山です。  仏教の教えに四聖諦があり、ブッダはその中心に「苦」を置いています。苦は古代インドのパーリ語では「dukkha (ドゥッカ)」で、ニー仏の魚川氏は【仏教思想のゼロポイント】という著書の中で、「Unsatisfactoriness (不満足)」という英語をドゥッカの適切な訳語として紹介しています。私は以前、北条時宗が仏光国師に「臆病」の出どころを尋ねて、「汝の抱ける時宗とは誰であるかを知れ」という指導を受けたという、鈴木大拙の解説を投稿しました。自分

            時空を超えた、名づけようもないもの【大拙つれづれ草】より

             こんにちは。鈴山です。  鈴木大拙は、よく時空を超えた話をします。以下は、大拙最晩年の【大拙つれづれ草】からの引用です。  普段、私たちは知的反省の中で生きているので、時間と空間はいつでも共にあります。しかし、禅意識の中には活動している絶対現在があるだけで、観察する自己中心はなく、宇宙が全体作用し、それが自覚するので、空間を仕切る境界はありません。また、経験しているのは絶対現在なので、そこには過去もなく未来もありません。時間と空間は、三昧を出たあとで体験内容を知的に反省

            禅意識と五感との矛盾について

             こんにちは。鈴山です。  禅の指し示すところを見ると、禅意識の中には主客の分離がありません。見ている自分が、見られている対象から分離しているようには感じられないのです。聞くことも同じです。このような非対象性の覚を経験すると、普段の知的あるいは分別による「ものごとの認識」というものは、知性による再構成の結果に過ぎないという理解に至ります。そして、本来の世界はそのようなに二元的なものでなく、「無」「無我」「空」などの言葉で表現されるような、「動くものが見るもの、見るものが動く

            日本の再発見「自由と自然」大拙の解説

             こんにちは。鈴山です。  自由とか自然という文字は、日本語の本来の意味で使われていないと、鈴木大拙は主張します。「自由」の文字は大拙90歳代の文書に頻出し、【東洋的な見方】で135回、【東洋の心】で108回出てきます。一方、「自然」の文字は【東洋的な見方】に32回出てきますが、むしろ70歳代に多く、【無心ということ】に72回、【東洋的一】に116回、【浄土系思想論】に99回出てきます。まずは、最晩年の【大拙つれづれ草】の「日本再発見」から、大拙の文章を、少し端折って引用し

            不生の霊明「15151」 谿声山色

             こんばんは。鈴山です。  真夜中にふと目が覚めたらデジタル時計の白い文字が浮かんでいて 1:51 を示していました。  このとき、加湿器の緑のデジタル文字は 51% でした。  なるほど。  これは、シンクロニシティの話ではないんです。  峯の色、渓の響もみなながら、  わが釈迦牟尼の声と姿と  「覚かる」という現前。  自己という宇宙霊。 Aki Z

            荘子の「機心」大拙の解説

             こんにちは。鈴山です。  鈴木大拙は、90歳代に書いた二つの文章で、荘子の「機心」を題材にしています。機心というのは、井戸から水をくみ上げるハネツルベという仕組みの使用にまつわる話です。孔子の弟子の子貢が、あるとき、一人の農夫が井戸から手作業で畑に水をやっているところに出くわして、、、まずは、【東洋的な見方】から、大拙の文章を端折って引用します。  大拙は、儒教の形式的・律法的・機械的なのに対して、老荘的なものは無規律的放蕩性を帯びていて、自由性・創造性に重きを置くと説

            般若心経は禅の公案「無自性もない空」大拙解説

             こんにちは。鈴山です。  鈴木大拙の、【般若経の哲学と宗教】という著作は英文で書かれ、「華厳の研究」の翻訳者でもある杉平シズ智氏によって日本語に訳されました。この文章はキリスト教圏の読者向けであることから、大拙は、「空」を虚無の意味にとられないように苦心して、「空」の意味を「神」のイメージに寄せて理解させようとしているように見えます。多少端折って、以下に引用します。  無とか空などの予備知識のない西洋の人たちに、この否定即肯定の文字を理解させるために大分苦労をして英語を

            ほどけ「大悲と大意」不立文字の禅

             こんにちは。鈴山です。  何かがすっとほどけてしまうことがあります。  何がほどけたのかというと、どうもそれがうまく言葉に乗らないようです。とにかくそれがほどけて、心の中の迷い、苦しみ、怒り、不安、疑いが、足場を失ってしまう。ある意味でいうと、宇宙がほどけたようであり、また自分がほどけたようでもあります。ですが、そのように何かの名詞で限定してしまうと、また、そのほどけたものを正確に捉えられないことになります。それで、古人はいろいろに工夫をして、無といい、無我といい、無常

            仏光と時宗「存在の矛盾同一」もうひとつの見方

             こんにちは。鈴山です。  以前、「矛盾同一」とは、存在を存在たらしめ、認識を認識たらしめるところの働きだという見方を示しました。今回は、「矛盾同一」について、大拙の文章からもう一つの捉え方を見つけたので、ご紹介したいと思います。大拙は、ウィリアム・ジェームスの『宗教経験の種種相』を読んだときに覚えた句として、"Man's extremity is God's opportunity. 「人間の窮処に神はその機会を持つ」を上げて、他力の働きを以下のように説明します。  大

            「思考は自然現象」仏教の根本原理 ~無我の自我~必然の自由~

             こんばんは。鈴山です。  「思考は自然現象」 これは、新たな表現による仏教の根本原理です。  このことを理解すると、仏教は全部分かります。鈴木大拙は、法身を「宇宙霊」と表現しました。そして、「霊は電子の旋回であり、原子の抱合と反発だ」と喝破されました。この見方を私なりに言い換えると「私たちの思考は自然現象だ」ということになります。この見方で、原始仏教も大乗仏教も全部わかると思うのです。  まず、思考は普通、個人持ちと思われていますが、思考が自然現象なら個人持ちではない

            パニック障害「盤珪の不生禅」で解消

             こんにちは。鈴山です。  個人的なことですが、10年ほど前に軽いパニック障害を経験しました。冬場のむせかえる超満員電車の中で、ふいに、「ここを脱出しなければ」という思いに頭が占拠されてしまったのです。突然のできごとでした。それまでは、学生時代から30年ほどの間は、満員電車は全然平気だったのです。私の場合、動悸や呼吸困難などは伴わず、ただ頭の中の脅迫だけでした。ですから、軽いといえば軽いのですが、脅迫は脅迫なのでどうしようもありません。それからしばらくは閉所恐怖症気味にもな