「当軒の布鼓」大拙の「禅の思想」より
更新 2024年4月14日
孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、筆者は六十年をかけて、「少し惑わず、なが~く惑わず」で行きたいと思います。それはそれとして、布枠庵という雅号ですが、禅経験の中には枠がないと、それを現したものです。自分もない、他人もない、個物もない。ただし、本当は「無い」というと嘘になるので、自分も他人も森羅万象もありますが、確固とした区分けはない、差別がないということで、固い枠は無いぞという気分を表しています。動見不二の現前意識とは、そのような場です