鈴山善秋  ~布枠庵~

鈴木大拙のファンとして、大拙先生の霊性思想を現代語で要約し、投稿していきます。

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このサイトの目的: 鈴木大拙の霊性思想を共有すること

 このサイトは、鈴木大拙の霊性思想を、現代の日本語で正しく要約し、紹介することを目的としています。「霊性思想」と「知性思想」は筆者の造語ですが、霊性思想というのは知性思想に対して言うもので、従って、知性思想とはまったく趣が異なる思想です。大拙先生の一生の仕事は、先生の霊性思想を後世に伝えることを目的にしています。  まず、霊性思想と知性思想の違いを明確にしておきます。知性思想というのは論理的な思考を基礎とし、従って矛盾を嫌う思想です。これは、私たちの生活になくてはならないも

    • 「対同性」 仏教思想の根本原理

       鈴木大拙に「即非の論理」があり、西田幾多郎に「絶対矛盾的自己同一」がある。基本的に同じものだが、筆者はこれらを短く「矛盾同一」と呼んで来た。今朝、更にコンパクトな表現として、対立同一を意味する「対同」という語を思いついた。それで、絶対的に矛盾対立するものが同一する性質を「対同性」と呼び、対同性をもつ識在(認識・存在)を「対同子」と呼ぶことにした。鈴木と西田は禅的思想家であり、特に鈴木大拙の思想は「対同性」を柱としている。  「対同性」の反対語には、「対立性」「二分性」「概

      • 「ヒト型・先行原意識仮説」 悟りの正体

        更新 2024.7.14  本論は、禅の悟りを「先行原意識」の活動だとする仮説である。この背景には、受動意識仮説がある。現代の脳科学は、私たちの意識は、行動開始を指示する脳内の信号よりも0.5秒ほど遅れて現れることを明らかにした。人間は、意識に従って行動するのではなく、行動が先に動き出して、意識は行為の後を追って現れるのだと。この現象を顕在意識を中心に見たのが「受動意識仮説」である。  今、これを反対に、行為を引き起こす神経活動の方から見て、行為発動の神経の側に「先行原意

        • 精神と霊性 ~知の衝突~ 無位の真人 ノンバイナリー 

          更新 2024年6月16日  私たちは男でなく女でなく、ノンバイナリーでもない。これに限らず、ステレオタイプの既成概念を持つと、思考は自由を失います。しかしこれは、特定の既成概念の問題ではありません。知性というものはすべて概念化に基づくため、知的概念の固定化は、知らぬ間に私たちの思考の自由を制限するのです。どのような用語でも、一度固定化されてしまうと、それらの固定概念から離れることは難しくなります。ところが、禅は、そのような固定概念から、私たちの精神を解放します。そして、人

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          鈴木大拙の見性内容

          更新 2024年5月31日  大拙先生は、渡米前の1897年(明治30年) 、27才のとき、釈宗演老師のもとで、これが最後との思いで命がけで「無字」に取り組み、12月の臘八接心にて、見性に至りました。そこに至る経緯については、小川隆先生の「禅思想史講義」に簡潔にまとめられています。下記引用は、後に、大拙がアメリカから生涯の友である西田幾多郎に当てた手紙の抜粋です。  上記の引用から、大拙の見性経験の核心を明確化してみたいと思います。大拙の経験を明確化するなど悟りを知らない

          鈴木大拙に「体用論」はあるのか?(2) ~蓮沼直應氏の体用論~

          更新 2024.6.8  蓮沼直應氏は、小川隆氏と同様に、「大拙の体用論」という言葉で鈴木大拙の思想を跡づけようとします。(本投稿では現代的に「たいよう」とします。)しかし、大拙は体系家ではないので、固定的な言葉の使い方はせずに、むしろ、文脈ごとにニュアンスを変えて、言葉を自由に使っています。大拙の「体用観」ということならまだ分かりますが、筆者には、「大拙の体用論」というのはないように思われます。  蓮沼氏は、大拙の思想を知的に分析して、その変遷を辿り、大拙の「体用」観の

          鈴木大拙に「体用論」はあるのか?(2) ~蓮沼直應氏の体用論~

          鈴木大拙に「体用論」はあるのか? ~小川隆氏の体用論~

           はじめに、鈴木大拙は、二分性の分別を凌駕する「無分別」「不二」「即非」の解説者です。世界を固定的に「体」と「用」とに二分して語るようなことはあまりしない気がします。体用を語るときには、むしろ、「体は用で、用は体だ」と、回互的に語るのが、普段の大拙の語り口です。  ところが、「禅思想史講義」(春秋社、2015年発行)で、著者の小川隆氏は、「大拙の体用論」という節を設けて、以下の図式を提示しています。  小川先生は広く大拙の著作を研究して、これを大拙の思想として紹介しているの

          鈴木大拙に「体用論」はあるのか? ~小川隆氏の体用論~

          鈴木大拙の「即非の論理」とは ~般若系思想~

          更新 2024年5月13日  鈴木大拙の言葉に「即非の論理」があります。この不可解な論理を明快に説明することはとても難しいです。先生は即非を、霊性の論理で禅の論理だと言っていますが、易しく言い直せば、言語道断・不立文字としてもいいかもしれません。「そくひ」、「すなわち・あらず」、「yes and no」、これは人が言語思考を静め、知性を超えた不生の位相を一瞥して、初めて体感される超知性的論理です。従って「即非」は、文献学的あるいは論理的アプローチで解析できるシロモノではあり

          鈴木大拙の「即非の論理」とは ~般若系思想~

          鈴木大拙「日本的霊性」Keyword で見る

          更新 2024年5月5日  今回は、1944年(昭和19年)、大拙73才のときに、大東出版社から発行された『日本的霊性』(以下、同書)について、下表で、他の書籍と比較しながら、目立つ Keywordを拾っていきたい。書籍毎に文章量が大きく異なるので、総ヒット数も参考にして眺めてみてほしい。  「霊性」の文字から始めよう。「霊性」は同書には754回、また、3年ほど後に発行された『仏教の大意』には172回出てくる。そして、タイトルにもなっている「日本的霊性」の文字については、

          鈴木大拙「日本的霊性」Keyword で見る

          日本的霊性 抄(要点まとめ)

          鈴木大拙著「日本的霊性」の入門的紹介 (更新 2024.6.2) はじめに  鈴木大拙の「日本的霊性(i)」は、仏教を題材にして、霊性を探究していく。太平洋戦争末期の言論統制の下にあって、本書で大拙は、無鉄砲な「日本精神」の宣揚をやんわり批判する。戦後に発行された続編では、今度は明示的に「御稜威」の思想を批判している。戦争が世界に再び蔓延しつつある令和の今、平和を願うすべての人に読んで欲しい良書であり、また大変な難書でもある。  結論から言えば、大拙のいう「霊性」とは、大

          日本的霊性 抄(要点まとめ)

          鈴木大拙の不生思想 「ただ不生のまま」

          更新 2024年5月12日  盤珪禅師は江戸時代前期に活躍された臨済宗の僧で、いわゆる不生禅の生みの親である。禅師は「不生を念に変えるな」、「30日間だけ念を消す努力をしてごらん」と言う。  (不生禅の要旨は ↓ 参照)  この不生禅だが、後世に残された盤珪禅の聞き書きを読むと、「仏心」の文字が目立っている。また、現在世に出ている解説書を見ても、盤珪が「不生」とのみ言っているところを「不生の仏心」と修正していることが多いようだ。なぜかというと、現代の仏教者がこの「不生」

          鈴木大拙の不生思想 「ただ不生のまま」

          識在 ~物質は記憶と意志の粒~

           〜精神と物質の統一理論〜 更新 2024年5月13日 二元的一元性  識在を、認識と存在の二要素に分けている限り、精神と物質の本当の関係を理解することはできない。鈴木大拙は、精神と物質の架け橋として「霊性」という文字を用いたが、どのような言葉を使ってみても、言葉の世界にいる限り、二分性の罠を抜け出せはしない。言葉で呼び分けている限り、精神と物質を隔てる溝は決して埋まらない。そこに留まっていては、個人の意志と物質運動の間にある神妙な関係を知り尽くすことはできない。  

          識在 ~物質は記憶と意志の粒~

          意識の原点 〜悟りの境〜

          更新 2024年7月20日 はじめに 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり。それも結構だが、誰がこれを言うのか。また、名月をとってくれろと泣くという、それは一体誰がするのか。自分が自分を探す二分性の旅には終わりはありません。ただ回頭し、即非の目で見れば、結論は決まっています。 今此処に 宇宙の自然をせり上げて 自由な自分がいる  仏教宗派はすべて、現世で苦悩する人々を悟りの安心に導こうとしています。悟りなくして仏教はありません。本論では、仏教的世界観を

          意識の原点 〜悟りの境〜

          荘子の「機心」 鈴木大拙の解説

          更新 2024年5月26日  鈴木大拙は、90歳代に書いた二つの文章で、荘子の「機心」を題材にしています。これは、井戸から水をくみ上げるハネツルベという仕組みの使用にまつわる話です。孔子の弟子の子貢が、あるとき、一人の農夫が井戸から手作業で畑に水をやっているところに出くわして、、、まずは、【東洋的な見方】から、大拙の文章を短く引用します。  大拙は、儒教の形式的・律法的・機械的なのに対して、老荘的なものは無規律的放蕩性を帯びていて、自由性・創造性に重きを置いていると説明し

          荘子の「機心」 鈴木大拙の解説

          90歳代の大拙「東洋的な見方」Keyword で見る

           こんにちは。鈴山です。  大拙の晩年93歳頃に発行された『東洋的な見方』と、95歳頃発行の『東洋の心』には、90歳前後に書かれた短編が収められています。ここでは、『東洋的な見方』に出てくるキーワードを多く出てくる順に並べてみました。これら二冊の本には、「即非の論理」「超個」「宇宙霊」などの文字はあまり出てきません。「霊性」の文字は『東洋的な見方』に20回出ていますが、『東洋の心』には4回しか出てきません。意外なのは「華厳」で、『仏教の大意』以降は増えているのかと思っていま

          90歳代の大拙「東洋的な見方」Keyword で見る

          「趙州無字」と「不生」 鈴木大拙の解説

           こんにちは、鈴山です。  禅で最も有名な、趙州和尚の「無字」について、鈴木大拙の解説を見つけましたので、ご紹介します。これは、盤珪禅師の「不生禅」の説明の中に出てきます。  大拙は、つづけて、趙州和尚の「無字」について、以下のように説明します。長いので、説明文章は一部省略します。  ここにも、大拙のいう「禅の思想」、すなわち「矛盾同一」が見てとれると思います。もうひとつ、大拙は不生禅について、つづけて、以下のようにいいます。  分別難、行為の上では有も無も無く、何の

          「趙州無字」と「不生」 鈴木大拙の解説