鈴山善秋  ~布枠庵~

鈴木大拙のファンとして、禅意識について考察しています。

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最近の記事

鈴木大拙の不生思想 「ただ不生のまま」

更新 2024年4月14日  盤珪禅師は江戸時代前期に活躍された臨済宗の僧で、いわゆる不生禅の生みの親である。禅師は「不生を念に変えるな」、「30日間だけ念を消す努力をしてごらん」と言う。  (不生禅の要旨は ↓ 参照)  この不生禅だが、後世に残された盤珪禅の聞き書きを読むと、「仏心」の文字が目立っている。また、現在世に出ている解説書を見ても、盤珪が「不生」とのみ言っているところを「不生の仏心」と修正していることが多いようだ。なぜかというと、現代の仏教者がこの「不生」

    • 意識障害と妙覚

      更新 2024年3月16日  禅の立場、「妙覚」の立場の理解は、パニック障害や統合失調症などの意識障害の自力解決に役立つと思う。筆者自身、10年ほど前に軽いパニック障害を経験した。はじめてのパニックのキッカケは、満員電車に乗っているときに突然やって来た。それで、心の変調には、他者に理解されない苦しさがあることを知っている。診療内科ではいくつかの薬を試し、最後はサインバルタやデパスに行き着いた。現在は、薬は保険として、安心のため持ってはいるが、使ってはいない。  筆者は30

      • 知性の二分対立性

        更新 2024年4月2日  知性の特徴をひとことで言えば「二分対立」が適切であろう。知性はコミュニケーションのツールであり、人と人とを調和させ、社会性を生み出す鍵とも言えるが、本質的には、知性は「分けて制する」二分性に根差している。人間が常に対立・闘争し、苦悩が止まない背景には動物的生存本能があるが、知性がそれを助長しているのだ。その生存本能は、本質的には認識世界の現象であり、生物的感知の性能に起因し、最も深いレベルでの知性に基礎づけられている。  識在仮説において、存在

        • 識在

           〜精神と物質の統一理論〜 更新 2024年4月3日  識在を、認識と存在の二要素に分けている限り、精神と物質の本当の関係を理解することはできないと思う。鈴木大拙は、精神と物質の架け橋として「霊性」という文字を用いたが、どのような言葉を使ってみても、言葉の世界にいる限り、二分性の罠を抜け出せはしない。認識と存在とを呼び分けている限り、精神と物質を隔てる溝は決して埋まらない。そこに留まっていては、個人の意志と物質運動の間にある神妙な関係を知り尽くすことはできない。  識在

          意識の原点 〜悟りの境〜

          更新 2024年4月6日 はじめに 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり。それも結構だが、誰がこれを言うのか。また、名月をとってくれろと泣くという、それは一体誰がするのか。自分が自分を探す二分性の旅には終わりはありません。ただ回頭し、即非の目で見れば、結論は決まっています。 今此処に 宇宙の自然をせり上げて 自由な私がいる 自分の分を知り 宇宙の運行を担う 欲望に踊らされず 現前に安心を観る  本論では意志とは何か、意識とは何かという「根本問題」あ

          意識の原点 〜悟りの境〜

          90歳代の大拙「東洋的な見方」Keyword で見る

           こんにちは。鈴山です。  大拙の晩年93歳頃に発行された『東洋的な見方』と、95歳頃発行の『東洋の心』には、90歳前後に書かれた短編が収められています。ここでは、『東洋的な見方』に出てくるキーワードを多く出てくる順に並べてみました。これら二冊の本には、「即非の論理」「超個」「宇宙霊」などの文字はあまり出てきません。「霊性」の文字は『東洋的な見方』に20回出ていますが、『東洋の心』には4回しか出てきません。意外なのは「華厳」で、『仏教の大意』以降は増えているのかと思っていま

          90歳代の大拙「東洋的な見方」Keyword で見る

          「趙州無字」と「不生」 鈴木大拙の解説

           こんにちは、鈴山です。  禅で最も有名な、趙州和尚の「無字」について、鈴木大拙の解説を見つけましたので、ご紹介します。これは、盤珪禅師の「不生禅」の説明の中に出てきます。  大拙は、つづけて、趙州和尚の「無字」について、以下のように説明します。長いので、説明文章は一部省略します。  ここにも、大拙のいう「禅の思想」、すなわち「矛盾同一」が見てとれると思います。もうひとつ、大拙は不生禅について、つづけて、以下のようにいいます。  分別難、行為の上では有も無も無く、何の

          「趙州無字」と「不生」 鈴木大拙の解説

          大拙禅学まとめ図

           2020年9月、龍雲寺での、円覚寺横田南嶺管長のご講話「鈴木大拙に学ぶ」がとても素晴らしく、管長の図式をアレンジして、大拙思想の要点を整理してみました。(管長オリジナの図式は、下のリンクからYouTubeでご覧になれます。)  まず、大拙思想の中核をなす用語のひとつの「超個の個」という言葉の位置づけです。これは、見性経験に伴う個人のあり方の変化として示すことができそうです。 分別 ⇒ 無分別 ⇒ 無分別の分別 個  ⇒ 超個  ⇒ 超個の個 図1 見性による個人の在り

          「当軒の布鼓」大拙の「禅の思想」より

          更新 2024年4月14日  孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、筆者は六十年をかけて、「少し惑わず、なが~く惑わず」で行きたいと思います。それはそれとして、布枠庵という雅号ですが、禅経験の中には枠がないと、それを現したものです。自分もない、他人もない、個物もない。ただし、本当は「無い」というと嘘になるので、自分も他人も森羅万象もありますが、確固とした区分けはない、差別がないということで、固い枠は無いぞという気分を表しています。動見不二の現前意識とは、そのような場です

          「当軒の布鼓」大拙の「禅の思想」より

          大拙さん、誕生日おめでとう。

          忘れるところやった。 今日は、鈴木大拙の誕生日。 旧暦では10月18日ですが、 新暦に変わったときに11月11日、 エンジェルナンバーの1111になった。 笑える。 遅くなってごめん。 誕生日おめでとう。

          大拙さん、誕生日おめでとう。

          鈴木大拙「禅の思想」Keyword で見る

          更新 2024年4月14日  今度は、大拙の「禅の思想」のキーワードを多く出てくる順に並べてみました。2021年3月岩波文庫発行の文庫版の巻末の解説で、鎌倉円覚寺の横田管長は、禅の思想という本は「無分別の分別」「無功用」「無作の作」を中心に書かれていると説明します。そして、「禅語録、禅行為、禅問答を通して一貫して『無分別の分別』『超個の個』が縦横無尽余すところなく説かれていて、実に妙である。」と、その解説を締めくくります。  なるほど、「無分別の分別」というキーワードが他の

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          話頭「橋は流れて水は流れず」「黒豆」鈴木大拙の「霊性の思想」

          更新 2024年4月16日  鈴木大拙の名著に「日本的霊性」というのがあります。この霊性ですが、哲学的に記述しようとすると、どうしても経験事実から離れてしまいます。例えば、大拙ならば「体が用で、用が体だ」などと回互的に表現するところを、学者は、「体はこうで、用はこうだ」と言って分けたがるのです。それが知性と思考の弱点です。正確に定義するほど、霊性的直観を離れて、知性的解説になってしまい、宗教経験の直叙からは遠く離れてしまいます。  ここでは、主客未分の現前意識の風光を示し

          話頭「橋は流れて水は流れず」「黒豆」鈴木大拙の「霊性の思想」

          鈴木大拙の思想 Keyword で見る

          更新 2024年4月14日  鈴木大拙の代表作で使用されている用語をKindleで検索し、カウントしてみました。下表が、用語のヒット数です。  26歳の臘八接心で見性経験を得た大拙は、95才で亡くなるまで、さまざまな形で、大乗仏教に関するみずからの思想を説き続けました。大拙の思想というと「即非の論理」「霊性」「超個」「無分別の分別」などの言葉が思い当りますが、実際には、どれも思ったほど多くの著作にまたがる用語ではないようです。  「即非」の文字は、本丸の【日本的霊性(金

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          禅の思想「驢馬が井戸を覗く」~現前の意識化

          更新 2024年4月8日  これは、曹山和尚の驢覰井(ろしょせい)の話頭の考察です。禅問答には無意味の意味があり、哲学的詮索は、かえってその妙を壊しかねません。が、曹山の真意を再確認するために、私なりに説明をつけてみます。下記 1~10 項は、鈴木大拙の「禅の思想」の解説をもとに執筆し、11 項は「東洋的な見方」の解説を読んで追加したものです。 1. 話頭の概要  まず、大拙の「禅の思想」の第二篇の「驢覰井」の節から、この話頭を現代的に書き下します。  曹山和尚が強上

          禅の思想「驢馬が井戸を覗く」~現前の意識化

          禅問答:馬祖・百丈「鴨はどこに」

          更新 2024年4月8日  百丈懐海と馬祖道一の間に起こった問答は、「現前の意識化」に狙いを定めています。まず、円覚寺横田管長のページからカモ(野鴨子)の問答を引用します。オリジナルは、小川隆先生の現代語訳で、春秋社の『禅思想講義』にあります。 馬祖と百丈が歩いていたとき、カモの飛んでゆくのが目に入った。 馬祖、「何だ?」 百丈、「カモです」 「どこへ行った」 「飛んで行ってしまいました」 すると、馬祖は百丈の鼻をひねりあげた。 ---- イタタタタ! 百丈は思わず、悲鳴

          禅問答:馬祖・百丈「鴨はどこに」

          盤珪禅師の不生禅「6つの教え」

          更新 2024年4月7日  盤珪禅師の教えはシンプルで、「不生で一切が調う」と言い、「まずは30日間、ただ思念を静めてごらん」と提案します。  1. 不生で一切がととのう  人はみな、「不生の仏心」ひとつを抱えて生まれてくる。ところが、人は、その尊い仏心を、怒りや欲などの念に変えてしまう。不生のままでいれば、一切がととのうのに。 2. 仏心は不生で霊明  不生であれば不滅は言うまでもない、それで盤珪は、不滅の文字を省略して、ただ不生というのである。禅師は、「仏心は不

          盤珪禅師の不生禅「6つの教え」