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このサイトの目的: 鈴木大拙の霊性思想を共有すること

 このサイトは、鈴木大拙だいせつの霊性思想を、現代の日本語で正しく要約し、紹介することを目的としています。「霊性思想」と「知性思想」は筆者の造語ですが、霊性思想というのは知性思想に対して言うもので、従って、知性思想とはまったくおもむきが異なる思想です。大拙先生の一生の仕事は、先生の霊性思想を後世に伝えることを目的にしています。

 まず、霊性思想と知性思想の違いを明確にしておきます。知性思想というのは論理的な思考を基礎とし、従って矛盾を嫌う思想です。これは、私たちの生活になくてはならないもので、人類を科学的・哲学的に導いてきた、合理的な思考の集まりです。これに対して、霊性思想は真の意味で宗教的な思想です。大きな特徴は、知性思想と違って矛盾を許容し、むしろ矛盾によってしか表現できない思想であることです。なぜそうなのかと言うと、霊性は知性の限定に縛られないからです。

 人類を滅亡の危機から救い出すためには、知性思想では力不足だと筆者は思います。そのことは、人類の歴史を見れば明らかです。知性は、人々の欲望を満たすため、また武力強化のために使われすぎています。そもそも知性の目的は、強力な自我を築き上げて自己を温存することにあります。その論理的帰結として、人知の最終目的は、自分と所属集団を強力に護持するところにある、ということになります。いくつかの組織がそれぞれに、積極的な自己保存を最優先するときには、集団間の対立は激化せざるを得ないでしょう。つまりは、世界平和は知性思想には実現不可能で、霊性思想によってはじめて実現するものだということになります。

 それと、わざわざ言うまでもないことですが、大拙の霊性思想は、あるいは禅は、知性思想の限界を破り、矛盾や非合理を許容するものだと言っても、これはオカルトではありません。知性的な思想におさまらないからと言って、独裁者やテロリストやカルト教団の思想を支持するものではありません。そうではなくて、知性の限界を超えるということは、真の自由、真の平和を見出つけだすことです。禅の本来の目的も、また、大拙先生から読者への助言の狙いもそこにあります。

 21世紀になっても、世界中で戦争が頻発しています。その背後には知性の暴走があります。こういうと、情性や意欲も暴走していると思うかもしれませんが、感情的な憎悪や貪欲さが裏にあるにしても、それを決定的な組織的対立へと導くものは、本質的に「二分的」性格を有する「知性」なのだと思います。ただし、知性がすべて悪いというのではありません。知性の使い方が悪いのです。

 最近では、知性の延長のAIが世界中で幅を利かせつつありますが、これは今のところ知性思想の延長に過ぎず、今のままでは、人類を世界平和へと導くものではないでしょう。世界平和への鍵は、鈴木大拙の霊性思想を見直すことにあるというのが筆者の意見です。残念なことに、現代の学者は頭でっかちで、霊性を排除して、大拙を知識の上でのみ推し量ろうとします。

 現存する鈴木大拙の解説本を読んでみても、大拙の見性経験を軽視し、彼の思想を単なる知性思想として狭く解釈しているものが多いです。知性で理解できない部分は読み飛ばしておいて、文献学的に解説するものが増えている気がします。最近の解説本には、大拙の霊性思想を正しく取り上げているものは殆ど見かけません。大拙には40巻の日本語著作の全集もありますが、これは古い文字を多量に含んでいて、既に、一般の読者には読みにくいものになっています。

 そこで、なんとかして大拙先生の霊性思想を正しく後世に、今の若い人たちに伝えたいというのが、このサイトにコツコツ投稿を続けている、筆者の願いです。

Aki Z

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