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鈴木大拙に「体用論」はあるのか?(2) ~蓮沼直應氏の体用論~

更新 2024.6.8

 蓮沼直應ちょくよう氏は、小川隆氏と同様に、「大拙の体用たいよう論」という言葉で鈴木大拙の思想を跡づけようとします。(本投稿では現代的に「たいよう」とします。)しかし、大拙は体系家ではないので、固定的な言葉の使い方はせずに、むしろ、文脈ごとにニュアンスを変えて、言葉を自由に使っています。大拙の「体用たいよう観」ということならまだ分かりますが、筆者には、「大拙の体用論」というのはないように思われます。

 蓮沼氏は、大拙の思想を知的に分析して、その変遷を辿り、大拙の「体用」観の変化を考察していきます。氏の解説は、全体的に、霊性とは何かがよく分かっていない人が、霊性を知性のレベルに押し下げて、理解可能な概念に当てて解説しようとしているように見えます。どうも話が知的でダメだと思います。これは大拙の文章を哲学的思想のように思ってしまうときに陥りやすい間違いです。しかし、大拙の思想は、彼の禅体験の直叙です。それを霊性的直覚の体験から切り離して、知性上の概念を扱うように解析しては台無しです。

 大拙に論があるとすれば「即非そくひ論」「霊性れいせい論」「盤珪ばんけい論」「超個己ちょうここ論」「無心論」「不生ふしょう論」「日本文化論」などで、それらの主題については大拙自身が熱く論じています。ですが、大拙が「体用たいゆう」について本格的に論じたものは、限られた読書範囲ではありますが、私は見たことがありません。大拙に「体用論あり」と誰が言い始めたのか知りませんが、それは、大拙の没後に学者たちが大拙の思想を解析して、勝手に言い出したものだと思います。

 体用という言葉は、一般的には本体とハタラキの意味と理解されるでしょう。そして体用は、体言たいげん用言ようげんという言葉があるように、文章の中で「何がどうした」と書けば、どんな文章にも体と用を見出すことはできるわけです。「サルが歩いた」とあれば、サルが体で歩くが用だと言うことはできます。蓮沼氏の「霊性が体で、自覚が用だ」という決めつけは、サルが歩くところに「体用論」を見出したようなものです。

 蓮沼氏は大拙の「日本的霊性」を題材にとり、霊性が体で、霊性的自覚が用だという自論を展開します。大拙はそのような峻別はしないと思いますが、もしそのように見える表現があっても、「説明できないものを敢えて説明すれば、霊性を体、自覚を用と言うこともできる」という意味合いのものでしょう。霊性的自覚の上では、見るものが動くもので、動くものが見るものです。霊性が自覚で、自覚が霊性です。体は用で体、用は体で用、そのように説明せざるを得ないのが霊性的自覚の本質です。

 蓮沼氏は「鈴木大拙-その思想構造」という著作の中で、1940年頃に大拙の体用観とでもいうべきものが「体用峻別」から「体用一致」に変化したと解説し、1940年以降の大拙の文章を6件引用しています。面白い視点だとは思いますが、これは体用観の変化というよりも、1940年代以降、大拙がより積極的に霊性的自覚の不二性を伝えようとした結果だと思います。1940年代以降の「体用一致」は確かに大拙の体用観と言えると思いますが、別に「体用論」を展開したというほどのものではなく、単に「体と用」の文字を使って「不二論」を展開したに過ぎません。

 それから、「体用一致」という表現はあまり良い表現ではない気がします。一致とは、元々独立した二要素があったことを連想させますが、どうしてそんな風に全てをキッチリ区分けできると思うのでしょう。禅行為があるとき、その行為の行為者を探してはいけません。行為そのものが行為者なのです。ですから、体は用で、用は体です。用と離れた体を探そうとしても見つからないし、そんなものは知性の上だけに現れる観察です。とにかく、二つのものが最初から不二だという感覚は、大拙の見性経験の中に始めから現れていた筈です。それが無ければ、見性など無いわけです。

 蓮沼氏が大拙の1930年代までの「体用峻別」の言説として取り上げている引用は、同じ著作中の第5章「体用論的思惟の受容」第三節「大拙を取り巻く体用論の文脈」に2件、第四節「中国禅思想の研究と大拙の体用論」に1件ありますが、引用された大拙の文章中には体や用の文字は出てきません。第三節の一つ目の引用は「禅宗第一義」からのもので、「じょうからを生ずる」とあります。蓮沼氏はそれを「体から用を発する」と勝手に読み替えて、「大拙自身も体用を二者として区別していることは間違いない」と結論づけています。以下、その部分を引用しておきます。

 看話かんな禅定ぜんじょうとは必ずしも同一物にあらず、看話は知に偏し易く、禅定は意に傾き易し。円満の発達を期せんとせば両者の融合を計らざるべからず。洪老禅師の「無学の歌」に、定より慧を生ずべしとあり、禅定の修行の上に慧力の光照りわたらんを要す。慧は眼なり、定は足なり、足ありて眼なく、眼ありて足なきときの不都合は多言を費やすまでもなし。

鈴木大拙全集第十八巻「禅宗第一義」、三七六頁、初出1940年

 ここでは、大拙は、看話と禅定という二つの修行形体が目と足のように共に働くことを言っているだけです。「足ありて眼なく、眼ありて足無きときの不都合は言うまでもない」というのは、定と慧の峻別を嫌い、定慧不二の行を推奨するものでしょう。蓮沼氏の、「定慧」から「体用」への読み替えという強引なアクロバットには賛成しかねますが、そこを譲っても、筆者にはこれは、むしろ「体用不二」の主張に見えます。いずれにせよ、万事がそんな調子で、氏は「体用」の文字の無い引用から、大拙の体用論なるものを導き出すのです。

 最後に、日本的霊性初版の第五篇「金剛経の禅」の中に大拙自身による体と用の説明があるので、別の投稿にも引用しましたが、以下に転載しておきます。

 仏教では体と用とを分けることがある。体は理に当たり、平等に当たる。用は事に当たり、差別に当たる。そういうことに見てもよい。禅では、体と用とを言葉で分けるが、事実は一つであるとして「体用一如」という。これが臨済の場合になると「全体作用」(本体まるだしの発動)という語を使う。用がすべて体であり、体がすべて用である。

【金剛経の禅】、六 禅概観、3. 体用・四料揀

 ただの大拙ファンの私の知る限り、大拙に「体用論」はありません。あるとすれば「体用不二論」ですが、それも「即非そくひ論」や「霊性論」ほどの迫力はなく、「大拙の〇〇論」などと呼べるものではないと思います。このような誤解は、蓮沼氏自身が「体が用で、用が体だ」ということを実感しておられないことから生じている気がします。大拙が知性の立場で語るときの言葉と、霊性の立場で語るときの言葉の間には、大きな隔たりがあります。つまりは、知性の上では体と用でも、霊性上では体即是用たいそくぜよう用即是体ようそくぜたいで、体即非体たいそくひたい用即非用ようそくひようです。そして、峻別は一致で、一致は峻別です。

 これは体でこれは用などと分けようとするのは、知性の働きで、霊性の技ではありません。体用峻別と体用一致を分けることは、思想の上では議論が必要かもしれません。しかし、禅経験の上では、すべては主客未分の現前の実働で、無分別むふんべつ分別ふんべつの上では、体も用も無い体用だと言わざるを得ません。1940年代以降、大拙はこの「不二論」とでも呼ぶべき思想を多く語るようになったので、体用不二の思想が強く主張されるようになったと、そんな風に見てはどうかと思います。

 蓮沼氏は、大拙の日本的霊性という著作をもとに、大拙思想の根底に体用論が据えられていると結論づけています。ですが、日本的霊性の中で体用論を探しても、上記「金剛経の禅」からの引用部分の他には、日本的霊性から体用論を探し出せそうにありません。

 ただ、蓮沼氏のこの本は大拙思想研究の力作で、大拙思想を考える上で貴重な参考書になるものだと思います。

Aki.Z




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