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荘子の「機心」 鈴木大拙の解説

更新 2024年5月26日

 鈴木大拙だいせつは、90歳代に書いた二つの文章で、荘子そうじの「機心きしん」を題材にしています。これは、井戸から水をくみ上げるハネツルベという仕組みの使用にまつわる話です。孔子こうしの弟子の子貢しこうが、あるとき、一人の農夫が井戸から手作業で畑に水をやっているところに出くわして、、、まずは、【東洋的な見方】から、大拙の文章を短く引用します。

 「君、それは容易ならぬ労働だ。はねつるべと言うのを君はまだ聞いていないか。」

 「それは、わしも知らないことはない。しかし機械というものを使うと、機心きしんというものが出る。それは力を省いて功を多くしようという心持だ。わしはそれが嫌だ。結果を考えて仕事をやるということは、功利主義である。この考えが胸中に浮かぶと、心の純粋性が乱れる。これは道に反する。ものに制せられるということは、わたしの好まないところだ。」

 「功利主義こうりしゅぎ」という字は、自分が加えた説明であるが、お百姓さんの心持ちは、これで十分に出ている。つまり、オートメーションでは、人間精神の自由性・創造性が損なわれるということなのである。

全集第二十巻277頁【東洋的な見方】、『荘子』の一節 ~機械化と創造性との対立への一つの示唆~、昭和35年11月


 大拙は、儒教じゅきょうの形式的・律法的・機械的なのに対して、老荘ろうそう的なものは無規律的放蕩性ほうとうせいを帯びていて、自由性・創造性に重きを置いていると説明しています。また、「この話の裏に、東洋的なものと西洋的なものとの交渉が潜んでいる」と付け加えています。

 法則・機械・必至ひっし・圧迫などという一連の思想、そうして、これと正反対の思想・・・人間・創造・自由・遊戯自在ゆげじざい、これらがどういうふうに協調していけるか、あるいは、また、どうしても協調していけないか。自殺か、自活か。これがいろいろの形で、歴史の上に現れてくる。近代は、これが、ことに著しい厳しさをもって、われらに臨んできている。

全集第二十巻279頁【東洋的な見方】、『荘子』の一節 ~機械化と創造性との対立への一つの示唆~、昭和35年11月


 この文章は、昭和35年11月に雑誌「帰一きいつ」に掲載された短い文章です。そして、五年ほど後の昭和41年4月、大拙は同じテーマで別の短編を「読売新聞」刊行の【大拙つれづれ草】に掲載しています。

 問題はこの「機心きしん」である。これは何の義か。一口にいえば、機心ははからいのある心である。これがあると「純白」でない、何やら「しん」が動いて不安である。心が動くことは、本来の無意識から、仲介物なしに流出せぬと、不純白になる。荘子そうじはこれを嫌う。機械にたよると、その働きの成績にのみ心をとらわれる。早く効きめがあれとか、多くの仕事ができるようにということになる。

 ときによると、この働くことさえもしないで、ひたすらに、効果のみあがれかし、と考える。機心きしんは、人をだまかすことに成功すれば、この上なしとさえひそかに喜ぶことになる。危険千万きけんせんばんな心得であるといわなくてはならない。ところが、今日の世界はこの危険千万なことが、いたるところに動き出している。騒がしい世界だ。

全集第二十巻349頁【大拙つれづれ草】、機心ということ、昭和41年4月


 しんが動くの意味が分かりにくいですが、まあ、神は心と同義とみて、本来の純白な心が騒ぎだすことをいうのでしょう。五年前には「心の純粋性」と言っていたところに、今度は「純白性」という言葉を使っていますね。そして、この短編は、以下のように締めくくられています。

 「機心」のある限りは、はからいがある。対抗意識がある。対抗はこの世界に免れないところだが、これにとらえられていてはならない。これをこえたもの、あるいは包むものを見なくてはならない。無功用行むくゆうぎょうはこれから出る。華厳けごん菩薩行ぼさつぎょうはここにある。「真空妙用しんくうみょうゆう」の義、「目的なき祈り」の義を悟らなくてはならない。

全集第二十巻352頁【大拙つれづれ草】、機心ということ、昭和41年4月


 この締めの文章の一つ前に、大拙は、「挑戦・征服」などの文字について、以下のように警鐘を鳴らしています。

 近ごろ「挑戦」ということを、よく聞く。人間はこれに応じて、防戦し、対抗し、克服する、これが文明化であるということをきく。渾沌の分かれて二つになったところから見れば、これがなくては、生の意義も感じられないかもしれない。が、またこの外にまた一つの立場があることを忘れてはならない。この立場は、挑戦者も応戦者も、一つに包まれたところである。ここでは、征服とか克服とかいうような物騒な文字がなくて、何ごとも調和でかいである。

全集第二十巻352頁【大拙つれづれ草】、機心ということ、昭和41年4月

Aki Z


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