大学を中退した僕が「自分が選んだ道を努力して正解にする」を貫いていたら、IPOを実現できた話【金子健人・自己紹介note】
はじめまして!金子健人(かねこ・けんと)と申します。
インフルエンス・プラットフォーム事業を展開する株式会社トリドリ(https://toridori.co.jp/)という会社で、取締役をやっています。
株式会社トリドリは、お陰様で2022年12月、東証グロース市場に上場させて頂きました!
そして、上場以降、ありがたいことに、様々な方からこのようなご相談をいただくようになりました。
などなど…
企業の規模や領域、フェーズにより持つ課題は千差万別です。
そんな皆さんの課題解決のお手伝いをする中で考えたこと、自分の実体験から伝えられることを今後noteにまとめていきたいと思ってます。
よろしくお願いします!
僕はどういう人間か
まずは、簡単に、僕の今までの経歴をご説明します。
1991年兵庫県川西市生まれ。根っからの関西人です。
アセットの最大化とチームで動くことへの熱狂
今思い出すと、常に「自分がどう動けば自分の持っているアセットを最大化できるか」を考えている子供でした。良く言えば現実的、悪く言えば現金な子供でした。
お小遣いやお年玉一つとっても、「今もらったお小遣いをここから最大化する方法はないか」を考えて試行錯誤していたし、アルバイトをするにしても、「自分の能力を活かし、最大限の結果を出し、評価される物は何か」を考えて仕事選びをして、働いていました。
正直勉強はあまり得意ではありませんでしたが(笑)、子供の頃から事業向きの思考を持っていたのかもしれません。
アセットの最大化の他に、もう一つとても好きだったことがあります。
高校時代にはじめたラグビーです。ウィングとフルバックを担当していました。
ポジションごとに長所やスキルが異なるメンバーとチームになって勝利を目指す経験は、「自分一人で出来る事には限りがあること」「チームであれば、どこまででも可能性は広がること」を僕に教えてくれました。
ラグビーで感じたチームで勝つ喜びが、今もチームで働くことにこだわる原点となっていると思います。
「早く社会に出たい」、大学を中退してITベンチャーへ
大学時代も、自分で事業を立ち上げてみたり、知り合った社会人の皆さんに事業について教えてもらったり、知り合いの企業の内部でお手伝いさせてもらったりと、勉強よりもビジネスの事を考えている大学生活を過ごしていました。
そして就職活動に突入しました。
僕が新卒での就職活動の企業選びの時に意識していたのは、下記の3つです。
この3つだけを軸に、幅広い業界の選考を受けていました。
何故かと言うと、僕がなりたかったのは「どんな企業でも勝ち残っていける、強い人材」だったから。
「成長」「裁量」「仲間」が揃う環境であれば、どんな事業・業界であっても、その先のキャリアは無限に広がっていくという確信に近い気持ちがありました。
そして、ありがたい事にいくつかの企業様から内定を頂く事が出来ました。(面接では今までの自分の事業経験や企業での経験をたくさん語らせてもらいました。企業の中に入った経験があると、就職活動での視野がぐっと上がるのでおすすめです!)
内定後、企業で働く社員の方や人事の方と関わり、一つの強い思いが僕の中で芽生えました。
「あと1年以上大学にいたら、内定先の企業の成長に追いつけない。
1日でも早く、企業にジョインして、成長環境に身を置きたい」
僕には、何かを思いつくと、その選択肢に全力疾走してしまう癖があります。
すぐに大学を中退し、内定先の会社に上記の想いを伝え、「明日から働かせてほしい!」と直談判に出てしまいました。(今考えれば、自分が人事の立場だったら困惑しかしない暴挙だと思います)
そんなとんでもない大学中退の僕を受け入れて、新卒社員として扱ってくれた懐の深い株式会社Donutsには今でも感謝しかありません。
SaaS企画、メディア立ち上げ、サービスプロデュース
Donutsでは主に3つの仕事を経験しました。
①勤怠管理SaaS『ジョブカン』のセールス・企画
入社して最初に配属されたのは勤怠管理システム『ジョブカン』のセールスチームです。
今や業界No.1のビジネスSaaSに成長したジョブカンシリーズですが、その頃はまだサービスが立ち上がったばかり、日本の企業の中でSaaSという領域の認知があまり無いフェーズでした。
僕自身、「勤怠管理はタイムカードで良いじゃない」というお声を、営業先で何百回も聞きました。
そんな中で、企業の皆様にタイムカードでの勤怠管理で悩んでいることはないか、こうなったら便利になるのにというWantはないかをヒアリングする、企業の皆さんの声を開発にすぐFBする、開発側と話をしながら機能改善をする、機能改善をしたジョブカンを改めて営業しに行く、というPDCAを回すことで、少しずつ『ジョブカン』の契約を取れるようになっていき、最終的には営業で1位のMVPを頂くことができました。
『ジョブカン』での経験で一番学んだことは、「エンジニアと仕事をする楽しさ」です。
自分のヒアリングした企業の課題がすぐシステムに落とし込まれ、爆速で課題解決にたどりつく機能が生まれる。
このような経験を無数に積む中で、開発技術へのリスペクトと自社に開発組織があることの重要性を身に染みて感じるようになりました。
②若年層向けWebメディアの立ち上げ・バイアウト
次に任されたのは、10~20代向けの女性向けWebメディアの立ち上げの仕事です。
Webメディアに携わることは初めて、10~20代の女性の気持ちも正直よくわからない、何もかも門外漢の状態でジョインしました。
何も知らない、ターゲットのマインドもわからない、そんな僕に残された武器は「知らないからこそ、これから学べる」という、ある意味楽天的な性格でした。
大学時代の後輩に頼んで、これから作るメディアのターゲットとなるような若年層の女性の方々へのインタビューやアンケートを依頼。(数百人の女性から意見をもらいました!)
調査から見えてきた、「既存女性メディアでは得られないけれど本当はターゲットが知りたい情報」の方向性を元に、Webメディアのコンセプトを決めていきました。
また、メディアの成功になくてはならないのが、SEO対策の強化です。
SEOのことも何も知らなかったので、PV数が多いWebメディアを徹底的にリストアップして、そのようなメディアの運営会社に片っ端から「SEOのこと、1時間でいいから教えてください!」とお願いの連絡をしまくりました。
大体はもちろん無視されましたが、そんな不躾な若者にSEOのいろはを教えてくださる奇特な方々もいて、僕はそんな皆さんから徹底的にSEO対策を学ぶことが出来ました!
ターゲットとなる若年層女性のマインドと、SEOの知見をインプットした上で立ち上げたメディアは、リリースから2~3か月で軌道に乗り、最終的には10~20代女性向けのサービスを運営している企業様にバイアウトに至りました。
何の知識もない自分がメディアのバイアウトに成功できた理由は、「知らないことは知っている人にとことん教えてもらう」ことをやり切ったからじゃないかと思っています。
自分が無知であることを認められる人って意外と多くないので、それが出来る人には必ず手を差し伸べてくれる誰かが現れるというのが、僕の今までの経験から感じていることです。
③動画投稿・ライブ配信アプリ『MixChannel』のマーケティング・プロデュース
入社して2年弱経った頃、中高生向けの動画投稿アプリ『MixChannel(現・ミクチャ)』事業部へのジョブローテーションが決まりました。
当時『MixChannel』は女子中高生の3人に2人に使っていただいている人気サービスで、サービスの中から流行を作るインフルエンサーが生まれつつある段階でした。
『MixChannel』では、若年層女性向けWebメディアで培ったユーザーインサイトの知見を買われ、中高生の間でこれから流行りそうな投稿者をインフルエンサーに育成したり、アプリ内の企画へのインフルエンサーのキャスティング、大手クライアント向けのインフルエンサーマーケティングを担当しました。
ここで初めて知ったのが、「インフルエンサーの力」です。
同じ商材の広告でも、芸能人をキャスティングするよりもインフルエンサーの方がコンバージョンも反響もはるかに大きかったり、MixChannel内でインフルエンサーが流行らせたものが数週間後世界的な大ブームになったり…(実は、ピコ太郎さんの『PPAP』は、ジャスティン・ビーバーさんがSNSで取り上げる10日前くらいに、『MixChannel』では流行のピークを迎えていました!)。
全国に住む普通の中高生たちが、スマホ一つで流行を作る時代になった。
そんな個人が活躍する時代に対して、僕がビジネスで作れる価値は何だろう?と常に考え続けて動いていました。多分人生で一番ハードワークしたのは、この頃だったと思います。
チームにメンバーを迎え、教育やマネジメントにもコミットしました。
目指したのは、ラグビーと同じく「一人ひとりの強みを生かして可能性を広げていくチーム」です。
その頃の仲間とは、トリドリに来てもらったり、所属先の会社さんと業務提携をさせてもらったりと、形は変われど、今もチームとして働いている感覚はあります。
そんな中、『MixChannel』がライブ配信アプリにリニューアルするという大きな意志決定がありました。動画投稿アプリとして大きな支持層がある中での方向転換で、サービスチームも僕含め右往左往したのも今ではいい思い出です。
まだ日本では今のようにライブ配信が普及していない時代だったので、ライブ配信文化の浸透のためのテレビCMやテレビ番組の企画などの今までやったことのない業務にも携わりました。
実は、ライブ配信アプリへのピボットの際、僕は「仕事において、自分の意志決定で出来ないことが多い歯がゆさ」を感じていました。
ライブ配信という文化を日本に広げるというのは大賛成で、自分もそれに関わりたいと強く思っていたからこそ、上から言われて方向転換の仕事をするのではなく、どういう領域に対して広めて、どうやって施策を展開するかまで自分で決めて走り抜けたい。「自分が責任をもって意志決定をして仕事したい」という強い気持ちが芽生えた瞬間でした。
時期を同じくして、僕は、トリドリの代表である中山と親しくなりました。
自分とほぼ同年齢ながらインフルエンサーとして活躍しながら起業して、自分の意志決定で事業を動かしている中山を見て、とてもまぶしく感じたのを今でも覚えています。
経営サイドとして、自分の意志決定に責任を持つ
大学中退の時と同様、何かを思いつくと、その選択肢に全力疾走してしまう僕は、Donutsを退職し、”仕事において、自分が責任をもって意志決定する”の究極系ともいえる、個人での起業に挑戦することにしました。
事業ドメインは、『MixChannel』で実感したインフルエンサーの影響力を活用したマーケティング事業です。
幸い、事業はすぐに軌道に乗り、大手旅行会社さんや音楽レーベルさんなど幅広いクライアントから、インフルエンサーマーケティング、SNSコンサルティングのお仕事をいただけるようになりました。
ただ、正直、個人でやる仕事は、自分のスキルや自分の範囲を超えないので、ワクワクしたり楽しいという感覚があまり湧かなかったんですよね。
やっぱり僕はチームで仕事をしたいんだと気づきました。
「自分が責任をもって意志決定したい」と「チームで大きな結果を出したい」、わがままな僕はどちらも捨てる気はありませんでした。
そこで、「経営陣として意志決定しながら、中山とチームで働ける」場所、トリドリに足を踏み入れることになります。
そして、IPOを選んだ
toridori入社から2022年秋くらいまでの話は、会社のnoteで詳しくお話しているので、もし宜しければ読んでみてください!
今日は、上のnoteの記事以降の話をします。
上場直前期(N-1期)秋ごろから上場申請期の2022年は、正直苦しいことも多かったです。
コロナ禍の影響を受け、2021年11月ごろから僕たちが上場を目指していた東証グロース市場は大きく市況が悪化しはじめました。
特に、会社の最注力サービスである『toridori marketing/base』のようなSaaS領域の事業をドメインとする企業が苦戦する時期が続き、「自分の努力でコントロールできない大きな流れ(市況感の悪化)に対して、自分たちの出来る事(企業努力・事業成長)でどう立ち向かっていくか」を常に考え、難しい選択のくり返しの1年になったと思います。
そして、最も難しい選択だったのが、
「IPOをするか、しないか」でした。
公募売り出し金額が前年までの8割減となっていて、IPOの件数自体も大きく減った2022年。
他のIPO直前といわれていたスタートアップ企業たちは次々と延期を選択していました。
このタイミングで上場するべきなのかを、僕も、経営陣も、会社全体が本当に悩みまくりました。
でも、経営判断として、最終的にIPOを選ぶことにしました。
「”やる”というリスクを取らないと、大きな成功を得られる打席に立てない」と決断したからです。
そして、2022年12月19日、株式会社トリドリは東証グロース市場に上場しました。
「IPOをする」という選択肢を選んだ僕たちが、この選択を努力して正解にできるのかは僕たち次第です。
僕は今日も、全力でIPOという選択を正解にするべく全力疾走しています。
大事にしていること
さて、僕が今までの人生において一番大事にしてきたのは、「自分が選んだ選択肢を、自ら努力して正解にしていく」ことです。
正直、僕の大学中退は、日本の学歴主義の中ではハンデとなってもおかしくない経歴です。
だけど、自分でそうしたいと思って決めたことだから、何が何でもこの「大学中退」という選択を正解にしたい、そう思ってどんな仕事も手を抜かず走り続けてきました。
結果として、今、僕はトリドリという会社を上場させることが出来たし、取締役として経営に携わることも出来ていて、手前味噌ながら「この選択肢は、ちゃんと正解に出来たんじゃないかな」と思っています。
自分の選んだ選択肢を正解にするために、僕は自分の行動に対して三つのルールを作っています。
知識を貪欲に吸収する
駆け引きをせず、素直に思っていることを伝える
最短距離で問題を解決する
僕は特別に賢いわけでもないし、コミュニケーションもそこまで上手くないです。
だから、日常の中に生まれる小さな違和感はその場で潰し、自分の得たいものにより近づけるように生きています。
今の所、この三つのルールを守ることで、僕は人生の選択肢を正解にしてきたし、今後もそうしていきたいと考えています。
このnoteで書いていくこと
自分のキャリアや価値観について長々と書いてしまいました。
今後、このnoteでは自分の経験で身につけてきた
について、出来る限り知っていることを文章にできればと思っています。
最後に
noteでお伝えしていくことは、あくまで僕の体験と一般論を元にしたお話になると思います。
皆様の会社の課題に合わせた個別のご相談やアドバイスも可能ですので、お気軽にメールやDMよりご相談ください!
※こういう話も書いてほしい、などのnoteへのご要望も大歓迎です!
Mail:k_kaneko@toridori.co.jp
Twitter(X):https://twitter.com/kaneko_knt
それでは!
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