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手取り15万2児の母が会社の社長になるまでの話

はじめまして。
株式会社Smile meal 代表取締役の
渥美まゆ美です。
今更ですが、noteをはじめてみようかなと思いました。

今更noteをはじめた理由

後ほど経歴は綴りますが、個人の料理家として料理や仕事の発信は昔アメブロを使っていました。会社のHPを持つようになり、最近は仕事の発信はスタッフがHP更新をしてくれるようになったので、私から何か仕事に対する想いや発信をする場所がなくなっていたのですよね。

それはそれで良いのですが、Smile mealという会社をTwitterやインスタ以外の不特定多数の方にもっと知ってもらいたいな、という想いや
自身の「仕事リリースのお知らせ」以外の場面での、仕事に対する想いなどを綴れる場所が欲しいなと思ったからです。

今後、商品開発やレシピ開発など仕事の裏側のお話や想いなどお話ができたらと思っています。

あと1つは経営者としてはひよっこのひよっこ過ぎる規模なのですが(社員とパート合わせて2022年は7名規模です)、なんせ題名にもした「手取り20万もなかった私」がここに来るまでの道のりを綴ることは、フリーランスとして仕事をしてみたい方、経営に興味がある方の少しはお役に立てることもあるのではないだろうか?と思い、時々思いのままに歩いてきた道のりや、やってきたことを綴ってみようかなと思ったのがきっかけです。


はじめまして。渥美まゆ美です

改めまして自己紹介をさせてください。
(個人的には自分を綴るとかあまり好きではないのですが・・流れ的に必要だと思うので書かせていただきます。)

50歳が目前の歳です。成人の息子と高校生の息子がいる4人家族です。
(あと数年で社会人30年になるみたいです・・・汗)

私の社会のスタートは管理栄養士から。
管理栄養士と言っても、私は志も意識も低く、高校入ってから大学卒業までまあとにかく勉強をしない子でした。高校でもクラスでいつもビリ争い・・
大学も少々ナメておりまして・・
(先生すみません…汗)
料理が好きだったので料理少しでもできそうという浅はかな理由で管理栄養士専攻コースを選び、入学後は遊んでばかりおりました・・。(中身空っぽ)
想定外だったのは、理系なので授業が多すぎて、思っていた以上に遊べなかったことです(学費を払ってくれた親に謝りたい苦笑)

ですので就職もやりたくないことの消去法からの選択。
(くずですね・・・)
本当は料理の仕事をしたかったのですが、今のようにSNSがあった時代ではなかったので、頑張って自分で発信したら料理家になれる、とか、活躍している人を探し出して弟子入りしてフードの世界に入る、なんて、全く現実的ではない時代だったので、普通に企業や施設に就職を考えていました。

そこで消去法で残ったのが保育園。
もともと保育士や学校教員にも興味があったので、子どもと触れ合える保育園栄養士として就職を決めました。

それぞれの業界についてはまた改めて細かく語りたい部分もあるので以下ざっくりと経歴を綴ります。

経歴1:保育園栄養士


今は職場に数人管理栄養士がいる保育園も多いみたいですが、私の時代は1人でした。離乳食も作ったこともなければ、給食管理だって授業のどこかでやったよねえ?レベルでの就職です。
はい。焦りました。さすがに毎日勉強しました。(やっと学びだした・・)
今思えば大変勉強熱心、仕事にも真摯なベテラン保育士さんに囲まれていたので恵まれていたのですが、そのベテランさん達の求めるスキルと知識に、そして調理師さんとの関係に、当時の私には胃が痛くなるような日々でして・・
でもそこで乳児食、幼児食、アレルギー食、子どもの発達の勉強・・必死で勉強したことは身について、良かったと思っています。

全力で仕事をしました。子どもたちの喜ぶ顔がたまらないご褒美だったのです。残業代が出なくても、行事食とか頑張ってアイディア出して作っていました。ただそこの行事食で成し遂げた後の快楽が、次のステップに行きたいという衝動に代わっていったのです。

※ここで積み上げたもの:離乳食、幼児食、アレルギー食の知識と実践。保育園給食の運営、子供の発達の知識と働きかけ。食育指導(保育士さんバリに媒体作って教室担当させてもらった)、行事食提案


資格追加:フードコーディネーター養成校


保育園で仕事をしながら自分が一番好きなのは、おやつを作ってあげたり、行事食を作ることだと整理がつきました。やはり料理が好き。
そんなタイミングで目にした習い事が「フードコーディネーター養成校」。ここから料理を仕事にする道が開けるかもしれない。そう思って夜間学校に通うことを決めました。
仕事も慣れてきたので、夜別の勉強をする余裕も出てきたタイミングでした。ちなみに私が通ったのは東京四谷にある「SUKENRI YOKOクッキングアートセミナー」でした。

※ここで積み上げたもの:レシピの組み立て方、盛り付け方、スタイリングの仕方、写真の撮り方、フードコーディネーターとして仕事をしていく上で必要な知識全般。何より「フードコーディネーター」とうたえるように看板をもらったこと。同業とのつながりもここの卒業生きっかけに沢山今もご縁がつながっているので人材と出会う、というメリットも。

経歴2:料理教室講師&営業


フードコーディネーターの資格を取得してから結婚をしたこともあり、昼夜問わず働くフードコーディネーターのアシスタントの世界に飛び込む、という選択はせず、ベンチャー系料理教室の講師&営業に転職しました。そこで料理、パン、ケーキのスキルを身につけましたが、それ以上に個人営業のスキルが嫌でも身につきました笑
はい。巨大ベンチャーが続々生まれてきた時代の話でして(サイバー、ライブドア等)馬車馬のように働き、数字(売上)が全ての時代にもまれました。

でも振り返ると、ここでの個人営業スキルが、私の仕事に対する向き合い方といいましょうか、仕事をするときは常にメンタルを安定させていること、という一番大切なことを学んだのでした。。

まあですがやりたかったのは営業ではなく料理講師だったので、料理スキルを身に着けた後は、営業のない料理講師の会社に転職しました。その後は料理講師として、平和に過ごしました。その時の手取り、15万円。(ベンチャー営業の時は出来高制だったので、給料は変動でした。)保育料にほとんど消えるようなワーママをしていました話はまた別のテーマで話ができたらと。

※ここで積み上げたもの:料理、パン、ケーキの講師ができるくらいのスキル、料理講師としての話し方や調理の仕方、ベンチャーでは個人営業で契約をしてもらうためのスキル。

経歴3:健保組合管理栄養士

主人の転勤についていってキャリアを一度全て捨てた話、35歳子持ちでの再就職はとても難しかったことは、また女のキャリアとして後日語れたらと思うのですが、3年大阪で小さな子供2人抱えて専業主婦をして、東京に戻り、改めて就職をした先は健保組合でした。
恐らくここでの仕事が私が独立するきっかけになったのです。

そこでは健保組合が持っている保養施設の一流料理人さん達が作るメニューがバブルを引きずりひたすら豪華な食べきれない料理を提供しているので、健保組合として健康にも配慮しているというコースメニューを料理人と作り上げて欲しい。
というお題があっての入社でした。

ここでの経験が「美味しい」と「健康」は共存できる!の確信に変わったのですが、ここでのプロの料理人さんとのお仕事のコツや「美味しいと健康を共存させるためにやれること」はまた改めて書きたいなあと思います。

どんな料理も美味しくて健康になれる。という学びだけではなく、健康に対する「予防」で社員教育や社員の健康づくりを助けるサービスに着目したのも、この時期でした。今で言う「健康経営」と言うやつです。

保養施設やレストランを使った健康セミナーの提案をバンバンしました。納めた保険料で美味しいものを食べながら自分の将来の健康な体づくりのために学べるとか、最高過ぎる。世の中の役に立ちすぎると思ったんですよね笑

でも少し時代が早すぎました。提案したものの半分も実現できませんでしたが、未だにそれらのサービスはまだまだこれからニーズが増えると思っているので、10年以上、諦めずに弊社がもっとやりたい仕事の一つとして、持ち続けています。

※ここで積み上げたもの:保健指導の大枠を学んだ。健康セミナー講師登壇の経験を積めた。プロのシェフ&料理人の料理を3年毎日料理と詳細を知り食べて舌を肥やし知識を積んだ。プロの料理のヘルシーコースを組み立て健康的な料理を美味しく作るコツを学べた。健康経営の可能性を探り健康セミナー合宿を組み立てた。健康運動指導士も取得した。

経歴4:フリーランスとして独立する

言い訳になりますが、料理と健康を軸に健保組合でもっと仕事が開拓できていたら、独立しなかったと思います。

料理×管理栄養士に大きな可能性をとにかく感じ、余力を余らせてじっとしていられず、会社に内緒で料理ブログと、月に1〜2回、料理教室を始めました。
子どもも小さく週末は全力で子どもと遊ぶと決めていたので(平日は健保組合に勤務)料理教室は週末の月に1〜2回にとどめました。

自分の料理のテーマは美味しい健康的な料理でした。あえて簡単おもてなしをかけたので、見栄えの良さが写真等で伝わりやすかったのかなとも思います。

管理栄養士×料理家はその時代そんなにいなかったので、仕事が増えていくまでは、あまり時間がかかりませんでした。

社員をしながら副業の許可をもらい、個人の仕事を膨らませていきましたが、3年目にして社員の給料より個人の収入が1年間毎月全然上回ったので、旦那さんに独立したいという相談をしました。
ようやく、本当に独立です。
(もう育児と仕事と副業で半分白目な時期でした笑)

家族も子供もいたので、いきなりフリーランスには飛び込みませんでした。
でも結果それが、着実に焦ることなくキャリアを積めて、良かったと思っています。

経歴5:法人設立を選ぶ

よく1000万個人事業主が売り上げを超えたら法人化した方が税金が~・・等耳にする方もいらっしゃると思いますが、私も浅はかに法人化を考えるきっかけになったのは売り上げが1.000万円を超えた時になります。

好き勝手に稼いでいて、納める税金が増えていくことに少々震えたりしたりもしたのですが、経理をしてくれていた人がたまたま財務に長けていたので、法人にする場合、個人で進む場合等、シミュレーションを具体的にしてくれたりして、自分は今度どうありたいのか?と考えるきっかけになったのが大きな転機です。

その時に私の出した結論で一番大きかったのが
「自分がどんどん売れたいわけではない」でした。

「食を通して人々を笑顔と健康にする」は自分がインフルエンサーになって発信していきたいわけではなく、社会に様々な形でひっそりと関わり貢献できるような仕事を広げていきたいという想いでした。

その時たまたまチームで商品開発に挑む仕事も増えてきていたので、
「会社として食で社会に貢献する。社会を動かす。」の選択をしたのです。

株式会社Smile mealはこんな会社です


弊社のミッションは

 食を通して「おいしさ」と「笑顔」と「健康」を創り社会に貢献します。

です。

これら3つにつながる事業は、今後何でも手掛けたいと思っています。
それが現在形になっているのが

・企業様の商品などを使ったレシピ開発(家庭向け、業務用含む)
・企業様の商品開発
・健康セミナー講師

です。細分化するとコラムを書いていたり、コンサルティングをしていたり、もっと色々仕事は展開しているのですが、大きな柱となっている仕事は上記3つです。

ミッションがブレないので、仕事に対する方向性に迷子になったことはありません。きっと個人の料理家のままだったら自分のブランディングに悩んだりしたのかもしれませんが、実現したい未来のために仕事をする、ということが性に合っているので、大変ですが、法人化して良かったと思っています。(もう一度言いますが、大変ですが笑)

今回は自分の略歴だけでこんなボリュームになってしまい、申し訳ありません。若くないので、軽く書いてもまあまあな長さの経歴になりました苦笑

具体的な頭の中とかを言語化できるnoteの良さを全く生かせなかったと思うのですが(すみません)今後は、日々の思いのたけを綴れたらと思っております。

人を美味しい食べ物を通して笑顔と健康にするためのSmile mealの奮闘記を今後眺めていただけたらと思いますし、ここに来るまでの女性ならではの仕事と家庭の葛藤やワーママの現実など個人的なお話もできたらと思います。

自分の経歴を書いてみて、何が伝えられたのだろう?


・・・そうですね・・・。大した経歴はなかったという結論なのですが、
人は積み上げた場所からしかスタートができない。でしょうか。

ホップステップ、からの3段飛ばしの大ジャンプとか、無理です。
そう見える人も、必ず小さな積み木を見えない所で積んでいます。

よく引き寄せとかという発言を目にしますが、個人的には、別に運やら運命やらはこの果てしなく広大な宇宙の中のチリのような生き物の人間の脳みその思考なんてちっぽけ過ぎてつじつまが合うわけがないと思っていますし、努力が必ず報われるわけでも、非情な運命に突き当たることもあると思っています。(半世紀近く生きると色々ありました・・。)

今までやってきたことが役に立った、という発言も「やってきたことに対してのアンテナが張られているだけ」と考えています。人生は積み上げてきた場所から次の積み木をどう積んでいくか?でしか歩けないと思うのです。

ですので、私が今ここでレシピや商品作り、健康づくりの会社を運営しているのも、過去の積み木が積み重なった結果でしかありません。背伸びした案件は、結果ボロも出て請け負いきれないので、そこにたどり着けるまでさらに積み木を地味に積んでいくしかないと思うのです。

これから様々な過去の積み木や、これから積みたい木のお話を皆様にお伝えしていけたらと思いますのでよろしくお願いいたします。

長文最後まで読んでくださりありがとうございました!




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