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映画作品について

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2021年8月の記事一覧

【ジャームッシュ流ペルセウス】『デッド・ドント・ダイ』(ジム・ジャームッシュ)

イメージ大喜利というものがあったとして、メドゥーサの首を掲げるペルセウスへのジム・ジャームッシュの回答は、田舎に遊びに来た都会っ子セレーナ・ゴメスがモーテルでゾンビに殺られたところで漁夫の利的に首を刈り取り何事もない顔で掲げるメガネサイコ然としたアダム・ドライバーになるのかと。このナナメでオフビートなユーモアが映画全体に染み渡っていて、結局のところゾンビもゾンビになるやつも憎めない愛おしさを放つ。

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【明るすぎる部屋】『ライトハウス』(ロバート・エガース)

不在の母を巡るエディプスコンプレックスの物語において、"明るい部屋"改め、男根の先端で輝く明るすぎる部屋に存在するのはおそらく原"光"景。とするとそこでナニをしていたデフォーは極まれし変態で、母なる大地に回帰できて嬉しそうに土をモグモグするのも分からんではない。

ライトハウス(The Lighthouse)/ロバート・エガース(Robert Eggers)/2019

【誰しもの小宇宙】『ノマドランド』(クロエ・ジャオ)

ノマドたちが自らを疎外したものの象徴とも言える油を飲む機械仕掛けの鉄の箱を住まいとしていることを筆頭に、放浪という概念とは相反する何かへの執着を隠さない矛盾に慣れるにつれて、ヴァンが車輪の付いた小さな家にすぎず、誰しもの世界が小石の穴から覗く世界すなわちノマドランドであることに気付く。凡庸な世界観だがだからこそ普遍なのか。曙光を浴びて透き通るファーンの左目とそこに浮かぶ虹彩が印象的。

ノマドラン

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【現実愛(憎)という映画監督のテネット(主義)】『TENET テネット』(クリストファー・ノーラン

想像力という子による現実という親殺しを敢行せんという強靭な意志の極北を遥か後方に観客の理解を置いていくイメージの連鎖にまざまざと見せつけられた気がする。幼少期の記憶を回顧し、自ら映画を現実逃避と呼ぶ謙遜の裏にある現実への根源的な怒りと畏怖。実写に執拗にこだわる愛憎模様。世界の時間反転不変性に対して有限に順行することしかできない我々の意識はどのような気持ちで意識していればいいのかという煩悶に現実愛と

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【概念の発見、そのセンス・オブ・ワンダー】『未来のミライ』(細田守)

はじめの嫉妬、サーカス小屋のような子供サイズのテントに入ったあの場面にその後の流れを象徴させたつもりなのだろうか。犬になって家の中を走り回るくんちゃんにお母さんはゆっこ?とペットの名前を囁くのであって、ここに変態マジックリアリズムが始まり、そう僕ゆっこだよ!と矛盾した名付けを喜びを持って全力肯定する奇怪はその突き抜けた疾駆と相まって、簡潔明瞭これ以上なく的確にくんちゃんの心の内を、嫉妬という概念を

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【石は石、世界にとって】『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ)

石はどこにでもあるが、価値のある石もあれば価値のない石もあるという抽象性。あの石を有象無象の石ころの中に返したとしても、世界にとっては振り出しに戻ったに過ぎない。地を滑るように根本的な着地を許すことのない物語はポンジュノ節か?

パラサイト 半地下の家族(기생충)/ポン・ジュノ(奉俊昊)/2019

【迷子と郵便配達人のリアリズム、儚き意味に意味を】『トイ・ストーリー4』(ジョシュ・クーリー)

ブリコラージュという遊びそれ自体から生まれた神の子フォーキーを鏡としてウッディが聞いた内なる声は、極めて現実的な交換・流通される商品としてのおもちゃの声。自らの使命を郵便配達人とするウッディは子離れを決意する親そのものである。ネオン煌めく移動遊園地、そして迷子。圧倒的交流の中で迷子をできる限り少なくしようという、ある理想へ向かう現実的な運動。つまり、元は先割れスプーンだろうが今やカラーモール・アイ

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【メメント・モリ、現世の死神を殺しに来た中世の亡霊】『サマー・オブ・84』(フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル)

鳥肌が立ったのは決して恐怖のせいではない。喜怒哀楽から距離を置いたシンセサウンドの意味付けは、スクリーンに映し出された映像が私に与える通俗的な意味と多くの箇所で半歩ズレていて、この映画はその意味作用の場において、少なくとも私にとっては、安逸を許さないものであった。そんな中、音を立てずに、スクリーンの枠外、屋根裏から降ろされるはしご階段、その登場の滑らかさこそが、この映画の白眉であったことは間違いな

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【シケモク拾いの物理法則】『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ)

これでもかと吸いまくるタバコ。トリップするにもタバコ。そしてERでもタバコ。タバコは今もいつの時代もたしかにそこに写っていた映画の名脇役である。そんなタバコこそがタランティーノにとっては映画のアイコンとなる。ERではそんなタバコをマズいじゃねーかと自嘲気味に一蹴してみせたりして、それは、マズくても吸ってしまうどうしようもない愛であって、そっくりそのままタランティーノが持つ映画への愛なのである。つま

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【戦い、神=父=男の受肉の儀式】『オンリー・ゴッド』(ニコラス・ウィンディング・レフン)

戦いとは男にとって受肉の儀式に他ならない。
「さあ神よ、俺は男だ、かかってこい。」

両の手を見ると拳は赤く染まっていた。悪魔的な母親は、息子がエディプスコンプレックスを無意識に忘却、克服することを断じて許さず、抑圧の効かない不能者に仕立て上げることで、その男を支配下に置いたのだ。男にとって拳はペニスであり、ペニスは拳であった。暴力と性欲が同一化した男は自分の男性性に原罪を背負っていた。幸いなこと

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【現象界、人類の罰を背負うレプリカント】『ブレードランナー 2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)

ホログラムを彼女とし、赤の他人を父親とすることに命を賭けるレプリカント"K"の惨めな生き様が、現象界から抜け出せない全人類の惨めさを背負っているところがこの映画の妙である。だからこそ、なぜ最後のシーンが親子再会なのか解せないのである。ホログラムの雪にクロースアップして終わればよかったのに。

ブレードランナー 2049(Blade Runner 2049)/ドゥニ・ヴィルヌーヴ(Denis Vil

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【マジックリアリズム、世界にはn乗の鏡像しかないという認識の頂点】『ネオン・デーモン』(ニコラス・ウィンディング・レフン)

自我という器に入ったナルシシズムという水。器は自らの内に水を保つことではじめて器としての存在価値を確認できるという点で、ナルシシズムの水面の高度こそが生と死を分かつラインなのである。問題は、これほどにも重要なラインがあまりにも捉え難いことであり、この捉え難さが人生をかくも生き辛くさせるのだが、この測量不可能性において人は夢を観ることができるのだから、ナルシシズムを祝福しようじゃないかというのがこの

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【Act、行為すなわち演技】『スリー・ビルボード』(マーティン・マクドナー)

閑静な自然に囲まれ朽ち果てた三枚の広告看板は平穏な日常の中で記憶が風化していくことをミルドレットに思い出させた。あるいは、時間経過と記憶の後退により痛みが薄れていってしまうことへの罪悪感がミルドレットに朽ち果てた広告看板を発見させた。両者の歩み寄りの結果として、両者は出会ったのであり、結果論としては必然的な出来事、運命的な出会いであった。この運命的な出会い、すなわち三枚の広告看板の触発によって彼女

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【時間錯誤の汗と涙】『カメラを止めるな!』(上田慎一郎)

ワンカットのカメラの目は私たちの目になるから私たちは撮影現場にいるわけで、はじめから私たちは制作スタッフの一員なのだ。そして映画鑑賞を通して、あの時に汗と涙を流したという記憶を事後的に知る不思議な経験をする。その時間錯誤が催すノスタルジー、それがこの映画になにか特別な熱量が加えている。

カメラを止めるな!/上田慎一郎/2017