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【メメント・モリ、現世の死神を殺しに来た中世の亡霊】『サマー・オブ・84』(フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル)
鳥肌が立ったのは決して恐怖のせいではない。喜怒哀楽から距離を置いたシンセサウンドの意味付けは、スクリーンに映し出された映像が私に与える通俗的な意味と多くの箇所で半歩ズレていて、この映画はその意味作用の場において、少なくとも私にとっては、安逸を許さないものであった。そんな中、音を立てずに、スクリーンの枠外、屋根裏から降ろされるはしご階段、その登場の滑らかさこそが、この映画の白眉であったことは間違いない。その瞬間、ラストシークエンスの始まりとともにマッキーという世界の裂け目が口を
【死体の冷凍保存、時間の固定、同一性への執着、アウラとしての芸術への拘泥】『ハウス・ジャック・ビルト』(ラース・フォン・トリアー)
振り返ってこちらを見つめる幼少のジャックが、カメラレンズのごとき無機質なその目で眼差しているのは草刈りの様子であると同時にスクリーンの前にいる我々観客であり、我々の中に原風景を見る目を我々は見るという映像構造によって、ERの反転した白と黒のようにはっきりとではないけれど、ジャックの目を通してネガの世界=遠い過去となった世界の背景を朧げに意識させられるようで、この映画の詩情の正体は結局忘れ去られたものへの郷愁なのではないかと考えれば、死体の冷凍保存として象徴的に表現される腐敗の
【マジックリアリズム、世界にはn乗の鏡像しかないという認識の頂点】『ネオン・デーモン』(ニコラス・ウィンディング・レフン)
自我という器に入ったナルシシズムという水。器は自らの内に水を保つことではじめて器としての存在価値を確認できるという点で、ナルシシズムの水面の高度こそが生と死を分かつラインなのである。問題は、これほどにも重要なラインがあまりにも捉え難いことであり、この捉え難さが人生をかくも生き辛くさせるのだが、この測量不可能性において人は夢を観ることができるのだから、ナルシシズムを祝福しようじゃないかというのがこの映画である。自分が夢を叶えられる人間であると思えるか思えないか、自分が夢を叶えら