通勤・通学をするだけで、毎日もの凄く頑張っている。
「あ、今日すごく洗濯物少ない」
とある日。
長男・次男共に発熱をして一日中家に引きこもっていた日の夜。
洗濯物を干そうとしたら普段より遥かに少なかった。
保育園へ行けば、着替え1~2セット、タオル、コップ袋。
小学校へ行けば、給食袋、ハンカチ。
週末になれば、+αで沢山の洗濯物が発生する。
「どこにも行かない日って楽だ」
「どこにも行かない日」の余裕
朝起きると子供が発熱していた。
正直、平熱が高めな子供にとっては38度だろうが39度だろうが、基本的にはとても元気である。
とは言え、発熱した子供が登園・登校はできないのでお休み決定。
するとどうだろうか。
「熱があるから」という大義名分のもと、いつもは朝食後に必ず行っていて「朝の勉強(宿題)」もやらずにのんびりゴロゴロ。
夕方、学校や保育園に行けば帰宅後に
「上着をかけて、洗濯物を出して、翌日の準備」という取り組めば3分もかからない仕事を促す…という私の仕事がなくてラク(笑)
夜も、熱が高いうちはお風呂をパスするので時間にゆとりがある。
そして洗濯物がめちゃくちゃ少なくてラク。
そういえば、コロナ禍の前は夫婦共に「リモート」という選択肢が全くなかったので、子供が発熱すると両家どちらかの祖母を呼び出して面倒を見てもらっていた。
当時は「夜はワンオペ」だったので、発熱によって祖母を呼び出した日は帰宅すると夕飯が出来上がっていたり、子供の相手をしてくれたりして、いつもより遥かにラクだった。
そう、仕事の興奮冷めやらぬまま保育園へお迎えに行き。
帰宅後に、子供にテキパキ行動するように促しつつ夕飯を作り。
お風呂、夕食、片付け、寝る準備、遊び、絵本、寝かしつけ…って。
当然の様にこなしている「日常」は、めちゃくちゃ疲れる。
〇〇しなければ
とんだ「ナマケモノ発言」をしますが。
私、よく思うのです。
夕方になると
「あー、夕飯を作らなければ、すぐお風呂入って眠れるのに」
子供がいるので、夕食抜きというワケにはいかないけれど。
もし私が1人暮らしだったら夕食は食べない気がする。
就寝まで3時間空けるとか意識するのも面倒だし(笑)
他にも結構思う事がある。
「メイクしなければクレンジングしなくてすむのに」
「シャンプーしなければドライヤーしなくてすむのに」
「外出用の服に着替えなければ、全部乾燥機に丸投げできるのに」
「ごはん食べなければ、作らなくて済む上に歯磨きもサクっと終わるのに」
酷い…!
きっと皆さんドン引きだろう(笑)
でも、ふとした瞬間に思うのです。
休むと普段の頑張りを実感する
産休・育休(産後1ヵ月位)の時なんて、本当にこんな感じだった。
一日中部屋着で過ごすのが普通だった(笑)
検診とか予防接種の予定を入れたとしても「予定は1日1個まで」みたいな感じだった。
とは言え、かろうじて「家事」はしていたのでまだ働いていた方だ。
それよりも入院中は本当に極楽だった。
1日3食、栄養バランスが抜群な食事+おやつが提供される。
作ったり、片付けたりが一切ないのに品数は凄く豊富。
それ以外の時間は、シャワーを浴びるとか回診しか「やること」がない。
1日中本を読んだり、自由な時間を過ごしていた。
夜、窓から町を歩く人を見ると
「あの人達はこれから帰宅して、夕食を作り、夕食を食べ、家事をして寝るのか。大変だなぁ」等と思っていた。
そしてふと思うのだ
「私本当に、毎日家事と育児をしながら仕事へ行く生活に戻れるのだろうか?」って。
毎日本当に頑張っている
そう考えると、日々「通勤・通学」をしているだけで凄く頑張っていると思う。
勿論、仕事をしないと生きていけないから行くんだけど。
いつものリズムが途切れた瞬間に「毎日頑張ってるな」と、実感する。
逆を言えば
「学校へ行くもの」
「仕事は外でするもの」
みたいな、ある意味で思考停止状態なのかもしれないけれど。
気分が乗らなくても
台風、大雨、雪でも
「決まった時間に、決まった場所へ行く」という自分を律する事ができるのは、それだけで十分凄い事だと思う。
でも、時代は変化していく。
ネットを介して、家で学ぶ事も、家で働く事もできる。
「本当に行かなきゃいけないのか?」と、自分や社会へ問いを立てられる事も凄い事だと思う。
つまり、みんな毎日頑張っている。
congratulation頂きました!
有難うございます(^^)
今日も有難うございました!