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故郷

「何か吹いてください」とベッドサイドに近寄ったスタッフが声をかけると

そうねえ、としばらく窓のほうに視線をうつし

そして



母は静かにハーモニカに息を吹き込んだ

阿蘇の道

一日中カーテンを閉め
一日中寝ている生活

足の怪我前からこうして暮らしていたのは認知症のせいで

退院後の施設でも
食事以外は寝て過ごすことが多かったようだ


震災で崩落した阿蘇大橋

震災で
住む場所も、家財も、思い出のつまったアルバムもなにもかも失い

震災前に病室に届けていた6本のハーモニカが手元に残った。

度重なる大きな余震でも怖かっただろう

そもそも治療が済んでも施設から出してもらえないこと

自分が認知症であり、震災で道が通行すら難しいこと、
自宅が入れる状況にないことすら理解できず

混乱の中で
時々施設から脱走を試み、
暴言を吐き、ケアが困難な状態のなか

せめて落ち着く何かをと、ハーモニカを手渡された母が奏で始めたのは

「故郷」だった

兎おひし彼の山
小鮒釣つりし彼の川
夢は今も巡りて
忘れがたき故郷

如何います父母
つつがなしや友がき
雨に風につけても
思ひ出づる故郷

志を果たして
いつの日ひにか歸らん
山は青き故郷
水は清き故郷


居室にいたスタッフ達の目から涙が溢れた

阿蘇の涅槃像

スタッフも皆被災者で
それぞれたくさんのものを失い、
大きな余震や食料の心配をしながら生活し、仕事をしていた

大きく変わり果てた故郷のなかで、懸命に仕事に取り組むスタッフ
奪われたそれぞれの日常とアイデンティティー

不安と恐怖のなかで
この曲は心の奥深くに染み渡り
それはまるで鎮魂歌のようだったのだろう

そして
幼い頃、戦争で故郷や兄弟をたくさん失い、
大きくなっても実家や家族と縁の薄い
苦労の連続だった母が

つかの間手に入れた自分の居場所が無くなり
それを見ることも許されない苦しさ

「ハーモニカはね、ポケットに入るし、電気も要らないし、
どんな時でも使えるんだよね」

ピアノもギターも弾いていた母が、晩年一番愛した楽器だった。

新しい阿蘇大橋

崩落した橋の代わりに大きな真っ白い橋が開通し、復興は進んでいく

あれから今日で6年


先日

主治医やケアマネからも、話すことはほぼ出来なくなったと言われ

面会時も、ただ黙ってガラス越しに座る母が

ようやく施設や主治医の許可が出て

6年前にリクエストしていた
大好きな寿司屋の握り寿司と赤だしを口にしたとき

これは美味しか

あんたの声はせからしか(うるさい)

と立て続けに
ガラス越しに話しだして

一瞬もとの母が現れたようで、故郷の味が起こした奇跡を感じた。

なま物を避けて

その後、母はまた話すことはなく

ただ椅子に腰かけて
黙って過ごしているという

話したのはあの瞬間だけでしたねえ、と
ケアマネが残念がった


ただ

私には、その場に亡き祖父母や父や子供が居て

「今日は怪我で痛いのによくここまで来て、お寿司持ってきたね。
二人ともよく頑張りました。お疲れ様。」

と労いの奇跡だったように感じた瞬間でもあった。

花が咲き誇る施設

6年間、病院以外外出出来なかった母

外出できる環境になったらきっと

自宅や母の実家のあった場所、熊本城、阿蘇など
たくさんドライブに連れていき

美しく復興されていく故郷を
こころゆくまで堪能させたいと願う

そんな4月14日

祈りの朝を迎えて

川岸でひっそりと咲く可憐な花

天におられる父なる神様

今日という日を無事に迎えられたことに感謝します

どうか故郷の復興が順調に進みますように

災害や戦禍に苦しむ方々が守られ

一日も早く穏やかな日常が戻りますように

これからの私の時間が

あなた様の聖心に叶い

必要とされるかたのお役にたちますように

その光をもって導いてくださいますようお願いいたします

この祈りを主イエス・キリストの御名によって

御前にお捧げします

                                                                                                                amen



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