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マインドフルネス瞑想で、いつもの脳は変えられるーやめられない習慣をやめてみる生き方。

今回の有料noteは、【マインドフルネス瞑想で、いつもの脳は変えられる】「やめられない習慣をやめてみる生き方」についてです。

(約42000字 途中まで無料で読めます)。

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普段から、SNSやオンラインゲーム、ネット通販、間食や喫煙、飲酒といった、頻繁にしてしまうのを少し控えたいけれどどうしても一度始めるとやめられないでいる、何らかの習慣をお持ちではありませんか?


あるいは、日常生活における仕事や人間関係の、

ストレス、不満、イライラ、怒り、嫉妬、不安

などを解消するために、

「ショッピング、SNSへの投稿、過食、お酒、タバコ、ギャンブル」

など、ついやってしまうのだけれど、しすぎることで結果的にネガティブな感情のみにとらわれ、落ち込んだり、後悔したりすることが、日常生活のなかで何度かありませんか?


もちろん、ランニングであれ筋トレであれ、ストレス解消目的の習慣として実践したあとに、達成感や満足感が存分に味わえる習慣ならば、ずっと続けていても何の問題もありません。


しかし、明日までに仕上げなければならない仕事があったり、試験のために勉強しなければならなかったりするのに、長い時間集中できず、注意散漫になり、ほかのことに気をとられ、ソワソワしてしまって気づいたらスマホをチェックしたり、ゲームやインターネットを始めてしまっていたりしたらどうでしょうか?

そして、もし、そのような経験をお持ちで、いつものパターンや同じサイクルの繰り返しを何とかして変えたいと日頃から思っているのであれば、毎日マインドフルネス瞑想(もしくは仏教におけるヴィパッサナー瞑想)を実践してみることをオススメします。


というのは、マインドフルネス瞑想をこまめに実践すれば、当たり前だと思い込んでいる、自分自身の毎日の習慣や生活パターンを変えられるかもしれないからです。

すなわちこのことは、「いつもの脳の神経回路のパターンから脱け出す」ということでもあります。


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そういうわけで、今回の有料ntoeでは、マインドフルネス習慣で、いつもの「脳」は変えられるということについて述べていきたいと思います。


まず、第1章では、脳における報酬系や快感回路について述べています。

次に第2章では、瞑想の脳科学について分かりやすく述べています。具体的には、神経可塑性やデフォルト・モード・ネットワークの話題を中心に、マインドフルネス瞑想を実践すると、脳にどのような変化がもたらされるのか、ということについてです。


第3章では、「習慣」というものに焦点を合わせ、実際にマインドフルネス瞑想を習慣化していくにはどうすればいいのか、これからずっと続けていけるように、継続するための道筋を提案しています。

第4章では、まずは10秒や1分間のマインドフルネス瞑想を行なうための、具体的な方法について述べています。


内容そのものはどちらかといえば初心者向けになっておりますので、特に、マインドフルネスに興味や関心がある方や、試しにやってみたけれどすぐにあきらめてしまったという方、もしくは何をやっても満たされないという方は、マインドフルネス瞑想を、これからの「習慣」として始めてみてはいかがでしょうか?


なお、何らかの持病があり通院している方や、重篤な心の病や深刻な依存症を抱えている方は、かかりつけの医師に相談したり、専門家に指導を仰いだりしたうえでマインドフルネス瞑想を実践するようにしてください。


第1章

やめられない習慣を変えるためにマインドフルネス瞑想を始めてみる意義とは?

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そもそもマインドフルネス(mindfulness)とは、「ポジティブ/ネガティブ」「良い/悪い」など、一切の判断を介さずに「今、この瞬間」に注意を向ける事であり、対象に没頭することなく、常に心の流れを観察し、そのつど気づきを入れるようにすることです。

このように気づきを深めていくことで、結果的にストレスが緩和されたり、集中力が持続するようになったりするといった効果が期待出来るようになります。


マインドフルネスに期待出来る効果

◎ストレスの軽減

◎集中力のアップ

◎感情・情動の調整

◎自己の変容


もちろん、このマインドフルネス瞑想をとりあえず試してみたからといって、すぐに、普段の生活パターンや、どうしてもやめられない習慣を変えられるというわけではありません。

ですが、呼吸を中心にして日頃から地道にマインドフルネス瞑想を実践することは、以前よりもすこやかに生活していくための心の訓練になることは確かです。


そのため、マインドフルネス瞑想を始めてみる意義とは、不快な感覚や、これまでの経験をもとに湧きあがってくるイライラやモヤモヤなどの情動に対して、いつものように反応せず、なるべくニュートラル(中立)でいられるよう、心のトレーニング・練習をしていこう、ということなのだと、わたし自身は考えるのです。


そして、そのように自分自身を冷静に観察し、今の状態に気づくことで、自動的に決まった行動をしてしまう自分自身との間に距離を置いてみるようにするのです。

【マインドフルネスとは?】

過去や未来にとらわれず、「今この瞬間」に生きること

感覚にとらわれることなく、感じているものごとに「気づく」こと

感じていることや失敗したことによって自分を判断するのではなく、「ありのまま」の自分を確認すること

あらゆるものに対して幸福を感じられるようにする手段

(『図解 マインドフルネス』(ケン・ヴェルニ 著 中野信子 監訳 医道の日本社 p10)


マインドフルネスでいつもの<脳>・「やめられない」サイクルから脱け出してみる。

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『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』という本もあるくらい、現代社会では、

「もっと欲しい」
「わかっちゃいるけどやめられない」

と、依存症的に同じことを繰り返してしまうヒトの脳の習性や報酬系の仕組みを利用して、思わずハマってしまうゲームや美味しい食べものなど、様々な商品やサービスが一部の企業によって生み出されています。


したがって、ストレスを感じる度に、つい魅力的な商品を高額な値段で購入したり、SNSでたくさんの「いいね!」を期待したりするようになってしまうのは、生き延びるために目の前の報酬を求めてしまうという進化心理学の考察を鑑みても、当然のことなのかもしれません。

ですが、そのような商品やサービスを消費し続けても、心が本当の意味で満たされるか分かりませんし、欲望がさらなる欲望を生みだしてしまう資本主義のサイクルにはきりがありません。


しかし、『あなたの脳は変えられる 「やめられない! 」の神経ループから抜け出す方法』(ジャドソン・ブルワー 著)の監訳をしている久賀谷亮氏が、本書の冒頭の「解説 やめられない脳をどうにかする」において、


「瞑想を継続すれば、脳の仕組みから生まれるやっかいな渇望を、外敵報酬とは異なる仕方で、いわば〝内側から〟満たせるようになります」

「そんな脳が手に入れば、スマホに多くの時間を奪われたり、独善的な振る舞いをして恋人を失ったり、暴飲暴食や禁煙失敗を繰り返したり、感情的になって怒鳴ってしまったり、いつまでも思考をループさせたりすることもなくなります。」


と述べているように、マインドフルネス瞑想の実践を継続すれば、同じ思考パターンや当たり前になっている生活サイクルから脱け出せる可能性が高いのです。


すなわち、外からの報酬ではなく、マインドフルネス瞑想の実践で内側から満たされるようになれば、やめられない習慣を続ける必要はなくなってくるのです。


 マインドフルネスを学べば、気づきと気遣いを深める生き方を身につけることができる。ドーパミンの分泌を求めて機械的にレバーを押し続けるよりも、あらゆる行動に注意を向けつつ、関わるものすべてを意識的に選択する生き方である。そのとき私たちは、浅い興奮に満たされるだけの人生ではなく、より幸せで健康的な人生を見出すだろう。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p325)


どうしてもやめられない習慣の正体とは?

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では、ネットサーフィンやゲーム、間食、ギャンブルなど、ついやってしまう、「依存症」の問題も関わってくるような、どうしてもやめられない習慣の正体とは何なのでしょうか?

これらのやめられない習慣に関わってくるのは、「報酬系」(reward system)や「快感回路」(pleasure circuit)と呼ばれる脳の領域だといわれています。

そして、「報酬系」には「ドーパミン」という化学物質が関与していることは、よく知られています。

すなわち、脳の腹側被蓋野と呼ばれる部位からドーパミンが放出され、側坐核を中心とした「報酬系回路」が活発になるのです。


 おいしかったレストランにはまた行くし、まずければ行かなくなる。ぼくたちは、行動の結果得られた楽しさや、嬉しさといった感情を、何度でも味わおうとする。ドーパミンを媒介にして作動するこの「報酬系」と呼ばれるシステムは、古い回路でラットも人間も変わらない。そして食事、セックス、仲間との交流など生存に役立つ行動をすると快感を感じることができる。

 そしてこの行動と快感の結びつきは、行えば行うほど強化されていく。神経細胞のつなぎ目であるシナプスで、信号を受け取る「スパイン」という出っ張りは、何度も信号を受けると、実際に大きく成長する。

(佐々木典士『ぼくたちは習慣で、できている。』 p86)


 非合法な悪習であれ、エクササイズ、瞑想的な祈り、慈善的な寄付行為といった社会的に認められた儀式や習慣であれ、私たちが生活の中で「日常から外れた」と感じる経験はほとんどの場合、脳の中の、解剖学的にも生化学的にも明確に定義される「快感回路」(報酬系)を興奮させるものである。買い物、オーガズム、学習、高カロリー食、ギャンブル、祈り、激しく続くダンス、オンラインゲーム、これらはいずれも、脳の中の一群の脳領域は、まとめて内側前脳快感回路と呼ばれている。人間の快感は、この小さなニューロンの塊の中で感じられている。

(デイヴィッド・J・リンデン『快感回路 なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』 岩坂彰 訳 p12~13)


 報酬系の中心となる神経は、ドーパミンを分泌する神経、A10です。A10は中脳の腹側被蓋野(VTA)という部分から出て、脳の各部に伸びています。

 A10が伸びている先、つまりドーパミンを受け取るのは、前頭連合野、扁桃体、側坐核、帯状回、視床下部、海馬です。こららはすべて、快感に関する脳の各部分とほぼ同じです。

 A10が活性化するとこれだけの部分がドーパミンを受け取るのです。まさにA10は快感を運ぶ神経といっていいでしょう。

(中野信子『脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体』 p29)


つまり、やめられない習慣には、「報酬系」や「ドーパミン」が深く関係しているのですが、たとえば目の前の美味しそうなスイーツに飛びついてしまうことになかなか抵抗できないのは、単純な話、「刺激」⇒「行動」⇒「報酬」というサイクルが働いているからだと考えられます。

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 おいしそうな食べ物を見つけると、脳が「カロリーだ! 生き延びられるぞ!」と叫ぶ。そしてそれを食べ、味わう。おいしい。とくに糖を摂取したときには、身体が脳に「この食べ物を見つけた場所を覚えておくように」という信号を送り、経験と場所に基づく記憶として残していく(専門的には文脈依存記憶と呼ぶ)。こうして、次の機会に同じ手順を繰り返すことを学習するのだ。(1)食べ物を見る、(2)食べる、(3)おいしい。つまり、刺激→行動→報酬をリピートする。単純な話だ。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p35)


しかし「刺激」⇒「行動」⇒「報酬」というサイクルは、決して悪いことではなく、進化のうえで生き延びるために構築された「報酬に基づく学習プロセス」であるのだと思われます。


 最新のスマホゲームにはまっているとき、あるいは好みの味のアイスクリームに病みつきになるとき、私たちは、現在科学的に知られているかぎりで、進化上最も古くから受け継がれている学習プロセスを働かせている。人間はそのプロセスを無数の生物種と共有する。最も原始的な神経系を持つ生物でも同じだ。それは、報酬に基づく学習プロセスである。


(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p35)


ところが、ドーパミンの放出量が最大値まで高まるのは、これまで食べたことのない美味しそうな食べ物にかぶりつく直前であり、食べてしまった後や、再度食べた時は、初めて最初のひと口を食べる瞬間よりも、量が少ないといいます。

つまり、ドーパミンの放出量は、慣れたり飽きたりすればするほど減っていってしまうのです。


 私たちが新しい種類の快楽に出くわしたらーーたとえば、これまでの人生をなぜか粉砂糖がけドーナツなしですごしてきたとして、ためしに食べてみてと一つ手わたされたらーードーナツの味が全身にしみわたったあと、ドーパミンが盛大に放出されるだろう。しかし、その後、常習的な粉砂糖がけドーナツ食らいになってしまうと、ドーパミン放出の最大のピークは、実際にドーナツにかぶりつく前にものほしそうにドーナツを見つめているあいだいに訪れるようになる。ぱくりとかぶりついたあとに放出されるドーパミンの量は、はじめて粉砂糖がけドーナツをかぶりついた至福のときに放出された量よりはるかに少ない。

(『なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』 ロバート・ライト 著 熊谷 淳子 訳 早川書房 p19~20)


もちろん、ドーナツにかぶりつく瞬間でなくても、たとえば、ストレスが溜まるとつい買い物をしてしまうという方は、お店やインターネットの通販で何か魅力的な商品を見つけた時や、その商品を購入したり注文したりする時は、ワクワクしますが、買ってしまった後は、買う前よりも高揚感がだいぶ薄れているという経験があるかと思います。

すなわち、ドーパミンがたくさん分泌されるのは、目の前に幸福がぶらさがっており、それを得ることで幸福感に包まれる、もしくは幸福になれるという期待値が高まる瞬間なのです。


しかし目的を達成した後は、逆にドーパミンの放出量は減ってしまうというのですから、目の前にぶらさがるご褒美によって幸福を得ようとしても、残念なことに、なかなかうまくいかないのです。


さらに、特定の刺激に対して、同じように反応し、いつもと変わらない行動を気づかないままとってしまっているケースは、数多くあります。

たとえば、朝食の後に必ずコーヒーを飲んだり、信号が青になるのを待っている間にスマホをチェックしたりすることがそうですが、このような、何らかの「トリガー」(引き金)によって、気づかないうちに同じことをしてしまう行動のことは、「自動操縦」とも呼ばれています。


そしてこのような、経験によってパターン化した「自動操縦」は、車の慣れた運転のように、ほぼ無意識でも行えるため、自分自身の意志はそれほど関係ありません。

つまり「習慣」と呼ばれることのほとんどは、意識的に行わないで勝手に実行しているということなのです。

しかし、マインドフルネス瞑想の実践によって、「自動操縦」のようなパターン化した行動に対してアプローチすることができるとされています。


<わたし>のなかの「主観的なバイアス」とは?

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次に、<わたし>のなかの「主観的なバイアス」についてですが、たとえば目の前にリンゴとイチゴとキウイがあったら、どの果物を選ぶでしょうか?

たいていの場合、どれも同じ果物であるのに、一番好きなものを選んでしまうと思います。

リンゴかイチゴかキウイを選ぶのに、無意識のうちに自分が最も好きなものを選択するのは、毎日の生活において、たいした問題ではないかもしれません。


ですが、大きな失敗をやらかしてしまって、親や上司に叱られて強い心理ストレスを感じたあとに、どのような行動を選択するか、といったことについてはどうでしょうか?

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その際に考えられる選択肢は、

●じっと我慢しながら、心のなかで失敗したことの言い訳を考える。

●感情的になって、その時に思ったことを相手に言い返す。

●何もしないで黙っている代わりに、スマホのゲームや買い物、ギャンブルで憂さ晴らしをする。

などがあり、「逃走」であれ「闘争」であれ、ストレス反応に対してどのような行動をとるのかは、人それぞれ性格なども関係してくるために違ってくると思います。


 私たちはみな、ストレスの引き金になる何らかのボタンを持っている。そのボタンがどんなものであるかは、報酬による学習で身につけてきた人生への取り組み方(あるいは取り組まないやり方)でほぼ決まってくる。また、そのストレス因子が自分の生活や周囲の人間にどの程度影響するかで、問題の重症度が決まってくる。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p98)


しかしながら、先程も述べたように、基本的には、

刺激→行動→報酬

というサイクルなのであり、「ストレス」などの刺激を受けた時に、どのような方向へ進むのかは、自分自身が身につけてきた「習慣」や育ってきた環境によって決まるのかもしれません。


つまり、自分自身の何気ない「習慣」には、自分自身の「こだわり」や「思い込み」が含まれているのであり、「A」、「B」、「C」の選択肢のうち、どれが最も好ましいと感じるかは、ある意味、バイアス(偏り)のかかった眼鏡を通して、自分が生きる世界を眺めることでもあるのです。



 ごく単純に言うなら、私たちは、1つの行動を繰り返せば繰り返すほど、世界について1つの決まった見方をするようになる。繰り返してきた行為がもたらす報酬と罰に基づいて、バイアスのかかった眼鏡を通して世の中を見はじめるのだ。私たちは生活の中でさまざまな習慣を身につけていくが、身につけた習慣的なものの見方が、ここでいう眼鏡である。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p42)


 特定の眼鏡をかけて特定の見方で世界を見ることに慣れるに従い、眼鏡をかけているのを忘れ、いつしか私たちの身体の一部となり、それを通して見たものはすべて真実だと感じるようになる。

 主観的バイアスは、ごく基本的な報酬学習のプロセスから生じるものであるため、食べ物の好みだけでなく、ほかのさまざまな面にも表れる。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p43)


マインドフルネス瞑想でいつもの習慣をストップできる理由とは?

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ところが、普段からマインドフルネス瞑想を実践し続ければ、選択肢「A」「B」「C」のうち、これまでは必ず「B」を選んでしまったとしても、その「B」を選ぶ前に、一度立ち止まることができるのです。

たとえば、恋人にひどいことを言われて激しいストレスを受けたときにどう行動するかで、選択肢「A」「B」「C」があったとします。


「A」・・・感情的になって言い返す。もしくは相手に別れ話を切り出す。

「B」・・・その時は我慢して、あとでやけ食いなどで憂さ晴らしをする。

「C」・・・なぜひどいことを言ってきたのか、その理由を冷静に聞き出してみる。


このとき、普段だったらすぐに「A」や「B」を選んでしまうところを、マインドフルネス瞑想を実践することによって、一度立ち止まることができるようになるのです。


ここでいう「一度立ち止まる」とは、呼吸を中心にしながら、今の状態に気づくことであり、自分の感覚に意識を向けたり、身体や心の状態を観察したりすることです。

そしてそうすれば、そのあとに、なぜ恋人がその時、自分自身に対してひどいことを行ってきたのか、たとえば「たまたま体調や機嫌が悪かったのかもしれない」など、相手の立場に立つことで、その理由を探ることも出来るようになるかもしれません。

もちろん、そのことで実際に「C」を選択できるかどうかは、自分次第ですし、もしかしたら、「あえて何もしない」という選択肢である「D」や、「E」などの問題解決のためのより良い選択肢も思い浮かぶかもしれません。


しかしここで強調したいのは、いつもの「主観的バイアス」によって、「A」や「B」を選んでしまうという、「自動操縦」のような習慣が勝手に動き始めるのを、マインドフルネスでストップすることができるということなのです。

このことは例えば、肥満解消のためにダイエットをしなければならないのに、夕食後にどうしても甘~いデザートを口にしてしまうという場合に、少しでもマインドフルネスのトレーニングをしておくことで、デザートを食べるのを思いとどまれるようになるということでもあります。


『あなたの脳は変えられる』のなかでジャドソン・ブルワー氏は、このことを「森の中で迷ったときは、立ち止まり、深呼吸をして、地図とコンパス」を取り出すことだと説明しています。


マインドフルネスとは、世界を今よりもはっきりと見ることだ。主観的バイアスのせいで道に迷い、同じ場所をぐるぐると回っているとき、マインドフルネスはそのバイアス自体に気づかせてくれる。その結果、自分がどうやって迷ったかが見えてくるのである。どこにもたどり着かない道を歩いていることにいったん気がつけば、そこで立ち止まり、不要な荷物を捨て、違う方角に歩き出せる。たとえて言うなら、マインドフルネスは、人生を歩む際に役立つ地形図となりうるのだ。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p52)


 森の中で迷ったときは、立ち止まり、深呼吸をして、地図とコンパスを取り出せと私は教わった。位置関係がわかり、方角がはっきりした時点で、初めて歩きはじめるべきなのだ。本能に反するやり方だが、私は実際、これで命拾いをしてきた(今でもこのやり方を守っている)。同じように、物事をはっきりと見極めつつ、それに反応せずにいることで、自分が不ー快をどのように悪化させているか、また、どうすればもっとうまく取り組んでそこから離れられるのかを学んでいけるだろう。

(ジャドソン・ブルワー『あなたの脳は変えられる』 岩坂 彰 訳 p53)


やめられない習慣をつい続けてしまうのは「ストレス」のせい?

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ここまでマインドフルネス瞑想でいつもの習慣をストップできる理由について述べてきましたが、では、ゲームやネット、過食、飲酒や喫煙、ギャンブルなど、一度やり始めるとなかなかやめられないことを、つい始めてしまうのはなぜでしょうか?

その引き金になるのは、私自身、身体的、心理的なものも含めた、広い意味での「ストレス」であると考えています。


すなわち、「ストレス」を感じすぎることで、そのことに対する何らかの「報酬」を求めてしまうようになるのです。

たとえば、「会社での仕事を生活のために仕方なくやっている」ことでストレスを感じている場合、そのストレスに対する報酬は言うまでもなく、月に一度もらえる「お給料」です。

ところで普段私たちは、「近所から聞こえる騒音がストレスだ」「あの人といると何だかストレスを感じる」、「仕事で上司に怒られてストレスが溜まってしまった」などと何気なくストレスという言葉を使っていますが、そもそも「ストレス」とは一体何なのでしょうか?


<ストレス>とは、分かりやすく言えば、外側からかけられた圧力によって、私たちの生体にひずみやゆがみが与えられることですが、誰もがよく口にしたり、聞いたりするこの「ストレス」という言葉は、実はカナダのハンス・セリエという科学者が1930年代に提唱した「ストレス学説」から来ています。


 セリエは当初「ストレス」という言葉を、動物に加えられる有害作用(種々の物質の注入など)そのものを指すのに使用しようとしたが、後に考えを変えて、有害作用によって引き起こされる状態、つまり肥大した副腎皮質、萎縮したリンパ組織、潰瘍を起こした胃腸壁などを「ストレス状態にある」と考え、これらの状態をストレスと呼ぶことにした。一方、これらの組織のストレス状態を作り出す作用を「ストレッサー」と呼んだ。

(杉晴夫『ストレスとはなんだろう』p91)


「闘争か逃走か」というストレス反応

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ちなみに、体がストレスを感じると、副腎皮質や副腎髄質からコルチゾールやアドレナリンが分泌され、ストレス反応に対処しようとします。このことはストレスに対する生体の適応現象です。

そして、この「闘争か逃走か」(「fight-or-flight response」)という「ストレス反応」は、

「私たちが進化の過程で獲得してきた「身を守る仕組み」であることが明らかになっている」

といいます(参考 NHKスペシャル取材班『キラーストレス 心と体をどう守るか』)。


 いまから数万年前。私たちの祖先がもっぱら狩猟で生きていた頃、周囲には、多くの点適が潜んでいた。どう猛な動物にいつ襲われるか分からない。万一、出会ってしまったときはどうするか。命がけで闘うか、もしくは必死で逃げるしかない。このような追いつめられた場面で威力を発揮したのが、「ストレス反応」だ。

(NHKスペシャル取材班『キラーストレス 心と体をどう守るか』p27)
人間の体は危険に遭遇したとき、心拍数が増え、血圧が上がるようにできている。また、肝臓から糖が放出されて血糖値が上昇すれば、エネルギー源が全身に供給される。闘う姿勢、逃げる態勢の双方が、瞬時に準備されるのである。

 このように、ストレス反応とは、私たちの祖先が「命をつなぐために進化させた大切な体の機能」だったのだ。

(同 p27~28)


「ストレス反応」は現代にも受け継がれている。

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ですが私たちが現代社会を生きていくうえで問題になってくるのは、この「ストレス反応」の仕組みが残っており、いきなり猛獣に遭遇することはなくなったとしても、人間関係による悩みや過剰労働などによって必要以上にストレスを感じてしまうことなのです。

また現代社会は、電磁波や食品添加物、化学物質など、体がストレスだと感じ、体内で細胞の老化を促す活性酸素を増やすものが身の回りに溢れているといえます。


近年、必要以上の「ストレス」は慢性的な炎症を引き起こして生活習慣病の原因になったり、「キラーストレス」となることで命をもおびやかしたりするとして問題になっていますが、ストレスを溜め込んでしまうことは、記憶力の低下や病気・老化の原因になってしまうだけではなく、「依存症」の問題をも引き起こす可能性が高いといえます。


しかし、生きていくうえで「ストレス」は避けられないものですし、適度のストレスは、私たちの人生に充実感をもたらしてくれるのも確かです。

つまり、ストレスを「良い/悪い」で捉えるのではなく、どのようにして「ストレス」と向き合っていくか、その付き合い方が大切になってくるのです。


イヤな記憶を反芻(はんすう)することがストレスを増幅させる。

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先程、ストレスは向き合い方が大切だと述べましたが、ぼんやりと過去の傷つけられた記憶を反芻(はんすう)したり、まだやって来ていない未来に対して不安を感じたりすることで、余計なストレスを増やしているのであれば、そのような状態は避けるべきだといえます。

たとえば、気づいたら心が過去や未来にさまよいだしてしまうことは、一般的に「マインド・ワンダリング」と呼ばれていますが、現状の自分に不安を感じたり、過去のイヤな記憶を思い出したりすることで、しばらく心が「ここにあらず」の状態になってしまうと、そのことが心身にジリジリとダメージを与え続けてしまうことは十分考えられます。


このように述べるのは、じつは私自身が、マインドフルネス瞑想を始める以前は、何らかのきっかけによって過去の苦い記憶を反芻しやすく、その度に、ストレスを自分自身で作り出してイライラすることが多かったからです。


 私たちはちょっとでも空き時間があると、スマートフォンを手に取り、メールやSNSをチェックしてしまう。そこで目にするテキスト情報は、私たちの思考を回転させる。ついいろいろなことを想像してしまい、心は過去や未来へとさまよい出してしまうのである。

 取材で出会ったある精神科医は、スマートフォンが普及して以降、うつや不安の症状を訴える患者が急に増えたという実感を語った。

 人類の進化と文明の発展に伴って、ストレスは日々増え続けている。私たちは、無意識のうちに、膨大かつ継続的なストレスと共に生きており、それが過剰になったとき、脳が〝物理的に〟破壊されることを肝に銘じなければならないだろう。

(NHKスペシャル取材班『キラーストレス 心と体をどう守るか』p62~63)


また、私たちはスマートフォンやSNSの普及によって、日々、膨大な量の情報に接することになっています。

さらに、テクノロジーの進歩によって出来ることが増えたために、職場環境などでは、「マルチタスク」といわれるような、短時間で同時に様々なことをこなさなければならない状態にも陥りやすくなってきています。

そのことで、インターネットが社会に浸透する前よりも注意力が散漫になりやすくなり、現在の時間の流れに集中できなくなっているという意味で、私たちの心が、「今・ここ」ではなく、どこか遠くへさまよいやすくなっていることは確かです。


そして心がさまよっている状態が続くことが、知らない間にストレスになってしまっていることは十分考えられるのです。


 マルチタスクによって自分の注意をばらばらに切り裂くことは、気づかぬうちに、低量だが有害なストレスをつくり出すもとになる。ほとんどの人々は、自分の心が大半の時間どこかにさまよい出すのを止められない。ある種の心のさまよい方は、創造の源泉すらになる。だが、過去をネガティブに思い返すばかりなら、おそらくあなたは悲しい気持ちになる。それは、静まっていたストレスホルモンをわざわざ煽り立てる危険すらある(略)。ネガティブな心のさまよいが、目に見えない葛藤の源泉になりうることは、徐々に明らかになってきている。

(エリザベス・ブラックバーン、エリッサ・エペル 著 森内 薫 訳『テロメア・エフェクト』 NHK出版 p136)


マインドフルネス瞑想はストレス低減に役立つ。

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ここまで現代における「ストレス」について説明してきましたが、実は「マインドフルネス瞑想」は、ストレス対策として非常に有効だと考えられているのです。

そもそも近年日本で人気が高まっている「マインドフルネス瞑想」は、アメリカではジョン・カバットジンらによる「マインドフルネスストレス低減法」(MBSR)という、ストレス・クリニックで行われているストレスを減らすための心身へのアプローチや、うつ病の再発予防プログラム「マインドフルネス認知療法」(MBCT)などの臨床技法が主流であったことが知られています。

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