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休校から始まる、地域の再定義

はじめに

「地方創生は愚策だ」なんてささかれる昨今に、アンチテーゼを静かに唱える場所がある。それは、少子化に伴って休校となった「新郷小学校」という場所だ。

福井県あわら市の田園風景の中に佇むこの小学校は、平日の昼間には、デザイナーがコワーキングスペースとして利用し、土日はキッズスペースに子どもたちが遊びに来たり、イベントが開催されたりする。そして夜は雰囲気を変え、地元の若者が集い、酒を交わして談笑をする場ともなる。

この場所は、本当の意味での民主主義、地方自治が成り立っている、少し大袈裟に言うなれば「奇跡の廃校」だと思う。(正確には、新郷小学校は、「廃校」ではなく「休校」という表現が用いられているのだが、この表現については後ほど言及したい。)

このnoteでは、そんな地方自治が成り立つ新郷小学校を、客観的で俯瞰的に、そして時に人間的に捉え直し、記録していくことを目的として執筆していく。

新郷小学校が利活用されるに至った経緯

まず、どういった経緯で新郷小学校が地方自治の場となったのかを記録していきたい。新郷小学校が休校となったのは、2017年のことだった。少子化に伴う児童数減少が影響したもので、実質的には廃校というわけだった。

しかしこの際、「廃校」ではなく、「休校」という表現が用いられることとなる。これには、「ここで終わりにしてはいけない」という地元の人々の想いがあったからなのかもしれない。

けれど、新郷小学校は結局、手付かずのまま放置されることとなった。そして休校からしばらく経ったある日、お茶の製造を営む会社が、新郷小学校を倉庫に使うという話が持ち上がったらしい。

この時になって初めて、「新郷小学校は、もっと地元のためになるように使いたい」という地域住民の主張がなされたそうだ。しかし、反対した真意は別のところにあるのではないかと、わたしは考えている。

少年時代あるいは少女時代を過ごした小学校は、公共のものでありながら「自分の場所」のようなある種の所有観念を抱いているような気がする。

そんな「自分の場所」が他の誰とも知れぬ企業のものとなり、立ち入ることができなくなることに対するモヤモヤとした想いが、企業による活用への反対意見として表面化されたのではないだろうか。

しかし、新郷小学校を具体的にどのように活用していけばいいのか、答えは出ぬままだった。

そんな中、ここを地域のための場所として、なんとしても利活用したいという想いが人一倍強い人物がいた。

当時40歳になる手前だった彼は、新郷小学校を地域の場所として存続させるべく、新郷地区の区会で利活用に関するプレゼンを実施する。そして、そのプレゼンを持って次は隣の区会へ、さらに隣の区会へと足を運んでいき、その過程で新郷小学校を本気で守り発展させていきたいという仲間が、2人、3人と増えていった。

そしてついに、新郷小学校を舞台に地元の人々が集まる祭、「新郷祭」が開催されることとなる。休校となった新郷小学校が、初めて地元の人のために活用された瞬間だった。そしてこの時期に合わせて、「新郷小学校を考える会」という任意団体が発足した。

発足当初5名だったこの団体は、現在は30名を超えるまでに拡大した。ここから、さまざまな企業や行政も巻き込み、新郷小学校の影響力は大きくなっていくこととなる。

新郷小学校がきっかけで始まる社会変革

この新郷小学校利活用への経緯を聞いたのは、春から夏に季節が変わろうとしていた、ある夜のことだった。

そして、この話を聞かせてくれたのは、新郷小学校の存続が危ぶまれたあの日、区会へプレゼンを持って行った、三上寛了さん本人だった。彼は、「新郷小学校を考える会」の発足後、新郷小学校をさらに利活用していきたいという想いから、2020年にあわら市議会議員に立候補し、トップ当選を果たした。

このことが、新郷小学校が地域全体を取り込んで、さらに盛り上がっていくことに一役寄与したことは言うまでもない。

「もっと新郷小学校を盛り上げたいなら、市長になればいいんじゃないですか。三上さんなら、当選できると思いますよ。」

そんなわたしの発言に、彼はこう答える。

「市長になったら、自分が市長ではなってしまうと、もう何もなくなってしまう。自分がいい市長になればなるほど、そうなってしまうだろう。そうじゃなくて、本当の地方自治を、自分は完成させたいんだよ。」

幅広いセグメントを取り込む地方自治

ところで、このnoteを執筆しているわたしは、新郷小学校の卒業生ではないし、正直、新郷小学校に何のゆかりもない。自宅から新郷小学校まで、高速道路に乗って40分程度の距離に住んでいる、いわゆる外の人間だ。

ただ、ちょうど1年ほど前に、新郷小学校に初めて足を運んで以来、気づけば週に一度は新郷小学校に足を運ぶようになった。

地方自治は、地元のおじさんが中心の場合が多い中で、ここはわたしと同世代である20代の若者たちも、よく足を運んで活動をしたり、何をするわけでもなくダラダラと会話をして過ごしたりしている。

40歳前後の世代は、そんな若者たちの活動を応援し、若者世代よりさらに大きなインパクトを生む企画を実行したり、行政と連携して運営の地盤を固めたりしている。

50〜60代の人たちは、そんな下の世代の活動を、口出しするでもなく、温かく見守り、時には責任を取る立場となってサポートしてくれる。

そんな幅広いセグメントを取り込む地方自治だからこそ、面白いと思うし、もっと関わってみたいと思うのだ。

まとめ

この地方自治には、必ずしも再現性はないかもしれない。けれど、何かしら地方自治の要点のようなものがあるような気がする。まだそれをうまく表現することはできないが、記録し、解釈していく中で言語化できればと考えている。

また、新郷小学校での取り組みの数々を、小さな歴史の一つ一つとして、記録に残しておきたい。そんなわたしの活動がまた、この地域の軌跡の一つになればと思っている。


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