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Eat? Pray? Love? or Work? 個人的な日記

『Eat, Pray, Love』の冒頭。
小説は読んだことがないから、映画の冒頭。

「私の友人のデボラは心理学者。
彼女はフィラデルフィア市当局から、アメリカにやって来たばかりのカンボジア難民、いわゆるボート・ピープルへのカウンセリングを依頼された。
だけど、デボラは自信がなかった。
大量虐殺を生き延び、飢えに耐え、肉親を目の前で殺され、難民キャンプで何年も暮らし、ボートで西側に脱出してきた難民達。
彼らの苦しみに、どうやって寄り添い、力になればいいのかと。
でも、実際にデボラが聞かされたのはどんな悩みだったと思う?
例えばこう。難民キャンプで出逢った男性と恋におちたの。でもボートが別々で、彼は私の従姉妹と結婚。なのに今になって彼は愛してるって電話してくる。どうしたらいい?
人間なんてそんなもの。」

これは嘘だ。最後の部分が嘘だ。
一部の人間はこうじゃない。

仕事がうまくいっているか、自分に対する世間の評価(大勢からの評価)がどうか。
それが一番大切だという人はいる。

あなたのいいところ、私はこれだけ知ってるよ。ずっと見てきたから知ってるつもり。それは、世間の人達が言ってることとは違うことだよ。数字的なことじゃない、結果的なことじゃない。あなたは素晴らしい人。これは全て私の本音。私は人付き合いがうまくて、上手な嘘をつける人だよ。でもこれは本当なんだよ。

何者でもない私がそんなことを言っても、意味がない。もしかしたら、他の誰でも意味がない。

仕事の成功しか彼を救わない。

人と人はたしかに支えあって生きているけれど、愛は確実に存在するけれど、誰も関わりようがない「個人の勝負」というものがある。ある人にはある。勝負をしている人にはある。

また、映画の中身に戻る。

「自分が情けない。イタリアに来て3週間。
イタリア語を少しかじって、後は食べるだけ。」
「アメリカ人だからそう思うんだよ。楽しみ方を知らないんだよな。娯楽は得意なのに、快楽を知らないんだよな。」
「イタリアには、『何もしない喜び』って言葉があるのさ。」
「どの街にも、その街を表す言葉がある。」
「ニューヨークは野心。」
「ローマはセックス!」
「あなたを表す言葉は何なのかしら?」
「ライターかな」
「それは職業で君自身じゃないだろ。」

この世界線なら、私でさえ、何かできることがあったかもしれない。唐突にメールを送って、底抜けに明るい内容で、ハートマークやネコの絵文字をいくつか付けたりすればいいかもしれない。

けれど、あの人はイタリア人じゃない。
実際にイタリア人ではないし、あの人の心も、きっとイタリア人的ではない。

ずっと頑張ってと言いますよ、と伝えたことがあるけれど、本当は、今すぐにでも全てを辞めて “イタリア人” になったっていいんですよ……と思いながら、伝えていた。本当は、頑張る義務なんかない。世界を救わなくたっていい。

能力が高く生まれついて、心意気まであったら、苦しまなければならない世界なんてクソ。

有象無象の全ての無責任な悪口を焼き払ってあげたい。何の看板も背負ってない私がド汚い言葉で罵ってやりたい。
感謝の欠片もないバカども。世界はクソだと。

〜行きなさいシンジ君 誰かのためじゃない あなた自身の願いのために〜

作中の舞台は今度はインド。

「瞑想室は心の中にあるんだ。まず、そこを飾り付けろ。毎日服を選ぶのと同じように、自分の考えを選べるようになることだ。選ぶ力を養ってみろ。人生をコントロールしたいなら、まずは、自分の精神からだ。人の心は支配できない。自分の心を支配できないなら、今のままさ。」

そしてバリ。

「神ばかりでも煩悩ばかりでもダメ。偏ると人生が混乱する。朝はインドで学んだ瞑想をしなさい。真面目に真剣に。昼はバリを楽しむ。夕方には私(尊師)に会いに来る。一日の終わりにはシンプルな瞑想を。顔で微笑むのはもちろん、精神でも、それから肝臓でも微笑む。」

もう恋はしばらくお休みと決めていた主人公も、ついに恋愛をしてしまう。読書を中断したハビエル・バルデムが、メガネ越しにこちらを見つめてくるのだ。抗いようがなかったことに共感した(笑)。