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「世界クッキー」 川上未映子


「わたしが何を感じて何を考えているのかなんて誰にもわからないのだ、という孤独っぽい何か。」



「世界クッキー」 川上未映子



川上未映子さんの小説
「乳と卵」「夏物語」の登場人物・緑子(みどりこ)


僕は子どものとき、「乳と卵」に出てきた緑子(みどりこ)のように考えていたことがありました。


それは


川上未映子さんの小さい頃の分身であるようなことも、どこかで読んだ気がします。


緑子は 小さな反出生主義者で、真剣に卵子と精子を合わせることはやめたほうがいいと思っているのです。


生殖についてすごく考えさせられた作品で、僕も生まれてきたことや子どもを生むことについて、子どもの頃よく考えていました。


生きていると、辛いことや苦しいことに直面します。いっそ、生殖活動をしなければ、こんなことを感じなくてすむのではないかとモヤモヤ言語化できない感覚を感じていたことがありました。


この2作品に出てきた「ロボコン」の話。


それが、川上未映子さんのエッセイ「世界クッキー」にありました。


この部分は創作ではなく、川上さんに実際に起こった出来事だったんですね。


川上さんが子どもの頃によく連れていってもらった大型スーパーマーケットの遊技場。そこには、「ロボコン」という乗り物がありました。


ちょうどアラフィフの方なら、ご存じでしょうが、「がんばれロボコン」というテレビ番組があって、その主人公のロボットが「ロボコン」という名前。


その乗り物はロボコンの赤い体の中に入って、その中から外が見えるようになっていました。


ロボコンの中から外は見えるけど、外からは中の人は見えません。つまり、マジックミラーになっていました。

こっちからは母の顔も姉の顔も弟の顔もくっきりとよく見えるのに、わたしが下にいて眺めていたときにはこの中に入っていた姉も弟も見えずロボコンだけが見えていた。

(中略)

「わ、わたしが入っているのに、ほんまはわたしが入ってあるのに、あっちからは、これは、ロボコンにしか見えない、見えないのだ」というギャップにいいようのないおそれを感じて、簡易パニックを起こしそうになりつつも、なんとか耐え、動きが止まると同時に慌てて階段を降りました。


そのときに、川上さんは「悟り」のような感覚に至ったのです。

「わたしはこの体の中に入っているのだ」という実感でした。

わたしというものは、人からみれば、この形をしているものでしかないのだ、という事実。

わたしが何を感じて何を考えているのかなんて誰にもわからないのだ、という孤独っぽい何か。

さらにおそろしい気持ちにさせたのは、ロボコンならさっきみたいに飛び出ることもできるけれども、あんな風にはこの体からは飛び出ることはできないという直感であり、そんなわけで、わたしは、ロボコンに入る前と後ではまったくの意味で、変わってしまったのでありました。

わたしはこんな感じで、自分に体があるということを発見したのです。


自分というのは、自らは見えません。鏡を通してしか自分の体は見えませんよね。まさにロボコンの中に入って世界を見ている感じです。


外からは自分がどう見えているのかわからないし、その像は人によって見え方が違っているのでしょうし、自分自身は自分なりの把握をしているし、自分自身の潜在意識・本質は自分の表層意識ではまったくわかりません。


あらためて人間は、不思議であります。


この言葉にできない不思議な感覚を、川上作品は追及しているように思います。



【出典】

「世界クッキー」 川上未映子 文春文庫


P.S. 太宰治のエッセイもありました。




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