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「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」 五木寛之

「人生の目的や生きる意味などあってもなくてもよい。ただ生きていくこと、それだけでいい。今日一日、明日一日をただ生きていく━。」



「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」 五木寛之



本のタイトルが力強いメッセージであり


また


この本の帯に書かれている言葉が、さらにそのメッセージをやさしく包み込んでいます。


「あなたは、あなたのままでいい」
と。


五木寛之さんは、語ります。


生きる、ということは大変なことです。
しかし、私たちは生きていかなければならない。


人は、誰もが苦しみ、悩み、悲しみを抱えて人生を歩んでいます。


五木さんの人生も悩みと苦しみの連続であり、何度も鬱状態にまで陥ったそうです。


その中で考えたことがありました。


それが


「生きる、それだけで十分奇蹟ではないのか」ということなんです。


生きるということは、「何か目的を持って生きなくてはならない」と僕はずっと考えてきました。


そういうふうな思考になったのは、親や、学校の先生や、あるいは、社会に入ってからの上司や先輩の刷り込みが要因の一つだったのかもしれません。


しかし


それが自分自身を苦しめていたことに、この本を読んで気づいたのです。


鎌倉時代の禅僧・道元の言葉に「只管打坐 しかんたざ」があります。どういう意味かと言いますと、「ただひたすら坐る」ということ。要は坐禅のことなんですね。


坐り続けても何の意味も為さないかもしれないし、何か閃くことがあるかもしれない。いずれにせよ、「ただ坐り続けなさい」と、そういう教えなんです。


五木さんは「意味や目的がなくても、ただ坐ることによってしか見つからないものがあるのでは」と考えました。


私は、人生を生きるということも、そういうことではないかと考えました。

つまり「只管人生」、「ただひたすら人生を生きる」ということです。

人生の目的や生きる意味などあってもなくてもよい。ただ生きていくこと、それだけでいい。今日一日、明日一日をただ生きていく━。

生きることに専念してとにかく生きる。みっともなくても生きる。苦しくても生きるのです。自分でいのちを投げ出したりしない。枯れたりせずに生ききる。


人は「何か目的を持って生まれてきた」と、僕はずっとそれをさがしてきました。そうでなければならないと自分を縛っていたのです。


しかし、そうではない。


「生きている」それ以上に何を求めることがあろうか。


生きていることが奇蹟なのです。


五木さんはこの一事をもって「人は尊敬されなければならないし、自分を肯定していい」と語っています。


そして


余力があれば、世のため人のために働けばいい。


毎日、時間に追われて一日がすごいスピードで過ぎ去っていきます。


「今日も何もできなかった」と夜寝る前に、ため息をつくことがあります。


喜びや充実よりも、反省や、悔んだりすることの方が圧倒的に多いのです。


でも、落ち込むことはないのです。


「今日一日、懸命に生きた!」
そのことが奇蹟なんですね。


この本は、今まで「こうあらねばならない」と考えてきた思考を変えられ、辛い、苦しいと感じてきたことが光明と感じられるメッセージがたくさん詰まっていました。


少し考え方が変わるだけで、とても気持ちが楽になった五木寛之さんのエッセイ・メッセージ集でありました。



【出典】

「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」 五木寛之 PHP研究所


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