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shuyaw
2020年10月30日 06:20
実はりんごのかじり方一つとっても、一人の人間の尊厳を保つほどの力がある。長野県民としてそのかじりかたを書いておく。だけどまずは、そのかじるものがりんごである、ということの意義を考えておきたい。どうかじるか、の前に、なにをかじるか、である。ひとつは、りんごほどシンボリックな果実がないだろうからだ。古くは旧約聖書のアダムとエバが食べた禁断の実。あれも別にどこにもりんごという表記がないのに、いつの間
2020年10月31日 08:20
どうかじるか、の前にもう一つ、なぜりんごか、ということだ。あるかじり方をすると、実はりんごは芯まで食べられる。プロはへたまでその気になればいける。この、丸の生命を丸のまま食べる、ということだ。意外と、手を一切加えず、捨てるところも一つもなく食べているもの、というものは少ない。バナナやみかんであれば、皮のまま食べる人はあまりいないだろうし(時にはいると思うが)、卵はまさに丸っと生命というイメージ
2020年11月3日 12:22
りんごを尻から、下から齧ったろうか。甘かったと思う。りんごを下から齧るのは、言い換えれば、重力を食べるということだ。比重の高い、糖度の強い果汁が時間をかけて下へと溜まってくる。つまり、一番甘い部分からりんごを齧ることになる。本来であれば、甘みの浅い部分から食べていけば、常に舌は次の一口を甘く感じ、食べ終わるまで口の中の満足度は右肩上がりのグラフを描くことになる。(りんごを食べる目的が、甘い