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俳優/プロデューサー。長野県木島平村出身。早稲田大学数学科中退。特技パントマイム。元肥…

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俳優/プロデューサー。長野県木島平村出身。早稲田大学数学科中退。特技パントマイム。元肥満児。実家はロッジちきちきばんばん。ただし弟が継いだため、長男として放浪中。給付金でエルゴヒューマンプロオットマンを購入。https://ameblo.jp/shuyamenimomakezu/

マガジン

  • りんごのかじりかた

    りんごは齧り方によっては芯も種も丸々そのまま食べれます。 りんごを齧るとは、実はりんごを齧る以上の行為なのです。 そしてそれは私たちの自尊心すら回復させます。 落ち込んだとき、うまくいかないとき、もうだめかもしれないとき、 りんごを買ってきてください。ひとつでいい。 そして、この齧り方にしたがって、まずは一口。 そうすればきっと、自分もまだ大丈夫、そう思える。 そんなりんごのかじりかた。

最近の記事

食す相転移「かき揚げそば」⑤〜移りゆく充実の時〜

この、かき揚げと、つゆと、蕎麦が、それぞれの形をしっかりと保っている状態を、かき揚げそばでいうところの、三相のうちの「個体」の状態といえる。人間でいえば、20代くらいの、非常に固い、ソリッドな、若々しい時代。それぞれが自分の存在を崩されまいと、ハリハリになっている。 だが、この時も長くは続かない。かき揚げがカラッと浮いているのも束の間だ。毛細管現象は無慈悲にも、黒々としたつゆを、重力に反してかき揚げの内部へと沁み上げていく。それに伴うように、かき揚げからは小さな水たまりのよ

    • 食す相転移「かき揚げそば」④〜それはやがて崩れてしまうから〜

      できれば極力厚いかき揚げを選んで欲しい。今は仮に新宿思い出横丁のかめやの天玉そばとしよう。五十嵐さんにあれを初めて教えてもらった時は衝撃的だったから。 白みがかって厚みがあるのは小麦粉の分量が多いのかもしれない。しっかりしていて汁気を吸っても身持ちがいい。反対に薄手でカリカリとキツネ色のもの、少し焦げ目があるくらいのものはつゆを早く吸う。きっと衣のの中の水分が、よく揚げられていてカラカラになっているのだろう。 好みがあるからどちらを選んでもいい。でも今日はかめやでいこうと

      • 食す相転移「かき揚げそば」③〜食券、注文、受け取り。刹那のプロセス〜

        かき揚げそばを頼もう。もちろん立ち食いそばや、それに類するチェーン店だ。いつでもどこにでもある、汎用性に心の安らぎを覚えよう。食券を買おう。箱根そばなど、店によってはその時々の旬な食材をかき揚げている。今はなんのかき揚げだろう、そんなふうに月に一度くらい、心躍らせ、季節の移り変わりを知れる。そんなこともかき揚げそばの魅力だ。かき揚げそばには四季が封じ込められている。 食券をカウンターに置かれたお盆に置こう。ここで聞かれるだろう、「そばですか?うどんですか?」日常のルーティン

        • 食す相転移『かき揚げそば』②〜圧倒的時間変化によるドラマ性〜

          じゃあラーメンじゃダメなの?ダメだ。ラーメンはいささか高すぎる。美味しいけども、最近では一杯1000円弱であり、食べるのにそれなりの覚悟を要する。その点かき揚げそばはどこにでもある。基本チェーンだ。出てくるのも早い。一分もあれば大抵手元にくる。おそらく牛丼やマックよりも早いだろう。 時間もコストと考えれば、この圧倒的な手軽さと汎用性がかき揚げそばの強みといえる。いいかい、先に言っておく。かき揚げそばは宇宙だ。食べるプラネタリウムといってもいい。この人何言ってんだと思われるか

        食す相転移「かき揚げそば」⑤〜移りゆく充実の時〜

        • 食す相転移「かき揚げそば」④〜それはやがて崩れてしまうから〜

        • 食す相転移「かき揚げそば」③〜食券、注文、受け取り。刹那のプロセス〜

        • 食す相転移『かき揚げそば』②〜圧倒的時間変化によるドラマ性〜

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        • りんごのかじりかた
          6本

        記事

          相転移を食す。『かき揚げそば』①〜長野県民よりやはり愛を込めて〜

          手元には500円玉。食事に何をとろう…? そんなシチュエーション、誰にでもあるだろう。だが安心して欲しい。今日限りでその悩みも終わりだ。今日からは一択、そう、かき揚げそばである。マック? 悪くない。でももう少しお腹にためたい。牛丼? それもある。でも何だかドラマが足りない。そんな悩みを、かき揚げそばは全て満たしてくれる。いや、かき揚げそばは、500円で宇宙開闢や生命の誕生までを見せてくれる、一つの食べるシアターなのだ。 まず本論に入る前に、日本人のラーメン好きから話に入りた

          相転移を食す。『かき揚げそば』①〜長野県民よりやはり愛を込めて〜

          りんごのかじりかた⑥〜からっぽのりんご〜

          りんごをお尻から齧ったあなたは、芯も種も思ったよりも簡単に食べれたことに驚いていると思う。手にはヘタだけが残っているはずだ。それを飲み込むかどうかは自由だ。いずれにしろ、きっと今あなたはいままで味わったことのない不思議な満足感を得ているだろう。もう一度、りんごを下から齧り丸々と食べることの意義を思い出しておこう。 ・りんごは人類のDNAレベルに刻まれた普遍的、シンボリックな果実である。 ・手や袖で磨くだけで簡単に輝き、自分に他者を光らせる力があることを認識させてくれる。ちょ

          りんごのかじりかた⑥〜からっぽのりんご〜

          りんごのかじりかた⑤〜下から齧れば人生がみえる〜

          りんごを尻から、下から齧ったろうか。甘かったと思う。 りんごを下から齧るのは、言い換えれば、重力を食べるということだ。比重の高い、糖度の強い果汁が時間をかけて下へと溜まってくる。つまり、一番甘い部分からりんごを齧ることになる。 本来であれば、甘みの浅い部分から食べていけば、常に舌は次の一口を甘く感じ、食べ終わるまで口の中の満足度は右肩上がりのグラフを描くことになる。(りんごを食べる目的が、甘いものを食べるということであれば) しかし、甘い方から食べるというのは、寿司屋で

          りんごのかじりかた⑤〜下から齧れば人生がみえる〜

          りんごのかじりかた④〜りんごは己の歯の鋳型〜

          結論からいえば、ケツから齧る。言い方が汚いので、お尻の方から齧る。すると意外とすんなりと芯も含めて食べていける。りんごを丸ごといただくには、下から食べるのだ。ほら、なんだか随分、自分に野性味を感じないだろうか?いままさに生命をひとのみにせんとする、生き物としての己の内なる凶暴性や背徳感が、なんとなく湧き上がらないだろうか。それで正解だ。 この時に大事なのは、齧った痕、すなわち自分の歯型がみえる、ということだ。これだけはっきりと自分の歯型が残ってみえる、という食べ物は実はあま

          りんごのかじりかた④〜りんごは己の歯の鋳型〜

          りんごのかじりかた③〜掌の中の輝くハート〜

          さあ齧ろう、りんごを。 だが焦らないで欲しい。できれば近くのダイエーでりんごを買って手にして読んで欲しい。今年はシナノスウィートの出来がいいらしいから。 りんごの素晴らしさは齧る前からある。りんごを掌でくるんで、2〜3回こすって欲しい。高いオシャレ着でなければ、袖に優しくこすり付けて欲しい。ほら、あっという間に輝くだろう。こんなに簡単にこするだけで光りを増す果物はりんごだけだ。これはリノール、オレイン酸からなる、天然のロウ。手の温かみで少し解ける、自然のワックス磨き。自分に

          りんごのかじりかた③〜掌の中の輝くハート〜

          りんごのかじりかた②〜丸を丸のままに〜

          どうかじるか、の前にもう一つ、なぜりんごか、ということだ。あるかじり方をすると、実はりんごは芯まで食べられる。プロはへたまでその気になればいける。この、丸の生命を丸のまま食べる、ということだ。 意外と、手を一切加えず、捨てるところも一つもなく食べているもの、というものは少ない。バナナやみかんであれば、皮のまま食べる人はあまりいないだろうし(時にはいると思うが)、卵はまさに丸っと生命というイメージがあるが、カラごと飲み込む人もあまりいないだろう。 例えば白魚やシャインマスカ

          りんごのかじりかた②〜丸を丸のままに〜

          りんごのかじりかた①〜長野県民より愛を込めて〜

          実はりんごのかじり方一つとっても、一人の人間の尊厳を保つほどの力がある。長野県民としてそのかじりかたを書いておく。だけどまずは、そのかじるものがりんごである、ということの意義を考えておきたい。どうかじるか、の前に、なにをかじるか、である。 ひとつは、りんごほどシンボリックな果実がないだろうからだ。古くは旧約聖書のアダムとエバが食べた禁断の実。あれも別にどこにもりんごという表記がないのに、いつの間にかりんごが描かれるようになった。喉仏をAdam's appleというくらいに。

          りんごのかじりかた①〜長野県民より愛を込めて〜

          序・日々をプリズムに分光

          白色光をプリズムに通すと、屈折し綺麗に分光され、七色ともいえぬもっと豊かな光のグラデーションを描くのを、誰もがみたことがあると思う。それは本物の現象でなくても、ニュートンが出てくる教科書だったり、ピンク・フロイドのCDのジャケットだったりするだろう。色のない、真っ白な光だと思っていたものが、こんなにも鮮やかで細やかなスペクトルからなるものだと、僕はずいぶんと驚いたものである。 もしかしたら、あれもこれもごったまぜになり、なんだか同じように過ぎていく毎日が、昨日元旦だと思ってい

          序・日々をプリズムに分光