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相転移を食す。『かき揚げそば』①〜長野県民よりやはり愛を込めて〜

手元には500円玉。食事に何をとろう…?
そんなシチュエーション、誰にでもあるだろう。だが安心して欲しい。今日限りでその悩みも終わりだ。今日からは一択、そう、かき揚げそばである。マック? 悪くない。でももう少しお腹にためたい。牛丼? それもある。でも何だかドラマが足りない。そんな悩みを、かき揚げそばは全て満たしてくれる。いや、かき揚げそばは、500円で宇宙開闢や生命の誕生までを見せてくれる、一つの食べるシアターなのだ。

まず本論に入る前に、日本人のラーメン好きから話に入りたい。日本人がなぜここまでか?それはラーメンが一つの閉じた、完成された世界を持つコンテンツだからだ。古来より、狭い国土の中で非常に血縁が強く、また住居環境も障子や襖といった開かれた空間で住まざるを得なかった日本人は、プライバシーに対する憧憬が潜在的に強かったといえる。箱庭やミニチュアといった、限られた空間の中に一つの世界を創り上げる、ということに対する偏執的なまでの拘りや完成度は、そういったところから生まれる欲望だ。

そんな中で「丼もの」という食文化が生まれる。これは、ご飯とおかず、茶碗と皿という開放系に置かれていた二つのものを、丼という一つの器に放り込み、閉じた系の中で完結する世界を創り上げた。あまつさえその上に蓋を置き、空間的にも完全に閉じた丼という名の小宇宙としたのだ。

では、それがなぜラーメン、すなわち麺類という半開放系に推移してきたか。それは日本人の住環境が欧米化したことによる、プライバシーの獲得も影響している。だがひとつには、あの丼の蓋を開けた瞬間、すなわち「湯気に包まれる」という体感を得ることによる。あの最も幸せな瞬間を、蓋を開けたときだけでなく、持続できないだろうか…その欲求は、丼の中に汁物を入れ、蓋をしないということで解決された。すなわち麺類である。汁物の湯気の中に顔を突っ込むことで、あの丼を開けた瞬間の幸福を半永久的に体感することが可能となった。

これは、ご飯、おかずが一つになった丼ものの時にあまっていた汁物をも一つにした、すなわち、三角食べを一つの系に閉じ込めたことになる。

こういったことで、日本人は無類の麺類好きとなるのだが、その中でもラーメンは盛り込む要素の自由度が他の麺類よりも自由度が高く、それ故に独創的で豊かな世界を創りやすく、最も好まれここまでのブームとなっているわけだ。

だが、食べるべきはラーメンでなく、かき揚げそばだ。ラーメンでは、いや他の料理では絶対に持ち得ない「相転移」をかき揚げそばが持つからだ。

次からはかき揚げそばの三つの相について語ろう。

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