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食す相転移「かき揚げそば」⑤〜移りゆく充実の時〜

この、かき揚げと、つゆと、蕎麦が、それぞれの形をしっかりと保っている状態を、かき揚げそばでいうところの、三相のうちの「個体」の状態といえる。人間でいえば、20代くらいの、非常に固い、ソリッドな、若々しい時代。それぞれが自分の存在を崩されまいと、ハリハリになっている。

だが、この時も長くは続かない。かき揚げがカラッと浮いているのも束の間だ。毛細管現象は無慈悲にも、黒々としたつゆを、重力に反してかき揚げの内部へと沁み上げていく。それに伴うように、かき揚げからは小さな水たまりのような油が、少しずつ、少しずつ、つゆの表面に透明な領域をもって沁み出していく。つゆと油のトレードオフが、ゆっくり静かに循環していく。マルセル・デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を想起させる運動だ。かき揚げが花嫁、つゆが独身者と見立ててもいいと思う。互いに分離、独立していた存在が、液体を媒介に、徐々に混ざりあっていく様はエロティックでもある。

そのうち、かき揚げは、その身につゆを十々に含む。つゆも、その表面を大きな油の膜に譲ることになる。蕎麦もまた、噛みちぎられ、細かくなりながら、その二つを橋渡しするように混ざりあっていく。各々がその役目を果たしながらも、互いの存在を赦し合い、ようやく「かき揚げそば」としての味わいが成立するころだ。人はひとりだけでは生きていけない、ちょうど社会に出て、さまざまなものと関わりあいながら周りを含めての自己実現を目指し始める、30〜50代の壮年期といったところか。三相でいうところの「液体」である。かき揚げそばが、一番かき揚げそばである、充実の時。

やがて、かき揚げがその姿を保てなくなり、崩れ始めるころ。それはどんなものにも訪れる、晩年。かき揚げそばの終焉が、食べ手の啜る音とともに近づいてくる。

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