りんごのかじりかた②〜丸を丸のままに〜

どうかじるか、の前にもう一つ、なぜりんごか、ということだ。あるかじり方をすると、実はりんごは芯まで食べられる。プロはへたまでその気になればいける。この、丸の生命を丸のまま食べる、ということだ。

意外と、手を一切加えず、捨てるところも一つもなく食べているもの、というものは少ない。バナナやみかんであれば、皮のまま食べる人はあまりいないだろうし(時にはいると思うが)、卵はまさに丸っと生命というイメージがあるが、カラごと飲み込む人もあまりいないだろう。

例えば白魚やシャインマスカット、といったものも、それをそのまま食べているではないか、という人もいるかと思う。だが、ここで重要なのは、その大きさである。これらは丸のまま飲み込んでいるが、りんごのように、その大きさによってプロセスが認識できるというのが大事である。

その硬さ、歯ごたえ、手触り、汁のしたたり、かじられるごとに小さくなっていくビジュアル、etc...と、丸の生命を残さず丸のまま摂取していく過程が、しかも食べるのになんの下準備もなく、必要なのはかじる覚悟、それだけという手軽さが、りんごにはある。

これがりんごを、人にとってもっともシンボリックな果実たらしめる、りんごたる所以かと思われる。それゆえ、りんごをかじり、そのすべてを食べるという行為は、私たちに生物としての満足と自信をもたらし、尊厳を取り戻させる。

ではいよいよどうかじるのか、その効果や意義を次では書く。


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