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「新しい生き方、働き方を創る!」

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第三十八話 1期4年間を終えて

第三十八話 1期4年間を終えて

 1期4年間市議会議員を務めさせていただいた。
期間中、本当に多くの挑戦と、そして挫折を味わいながら、
町の皆さんに支えてもらい走りきることができた。

できたことなんて本当にちょっとだ。
それでも、移住者が移住しやすい環境づくりや、
小中学校におけるコーディネーターの配置、漁業に関する制度提案や交通に関する実証実験など様々なことを行うことはできた。

この町では、議員が1期で辞めるとことはあり得

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第三十七話:結果は・・・

第三十七話:結果は・・・

たくさんの方に支えていただき、選挙期間を終えることが出来た。
私たちのメインメッセージは、「新しい風」。

私たちのような外からの風、
そして町の皆さんの中からの風、
それが混ざり合って「新しい風」をこの町に吹かす。
というものだ。

選挙期間中も「新しい風」にこだわりぬき、
選挙事務所はいつも地元の方と外部の若者がいた。
選挙カーでもそう。
この選挙自体が「新しい風」、まさにそのものだった。

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第三十六話:最大の応援者が脳梗塞に。

第三十六話:最大の応援者が脳梗塞に。

佐々木幸悦さんは、「三井俊介新風隊」を結成し、隊長に就任してくれた。
陸前高田市の市議選は血縁が勝敗を分ける大きな要因だ。
そのため、血縁がない私にとって、
広田町生まれの佐々木さんは何よりの頼りだった。

しかし、これから市議選へ向けての活動が始まるという矢先、
佐々木さんが脳梗塞で倒れてしまった。
大事には至らなかったが、長期の入院を迫られた。
出馬を決めたものの、
「本当に当選できるのだろう

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第三十五話:2015年9月、陸前高田市議会議員選挙に挑戦。

第三十五話:2015年9月、陸前高田市議会議員選挙に挑戦。

話は前後するが、2015年9月の陸前高田市議会議員選挙に出馬した。
市議選への立候補を打診されたのは、2015年1月のこと。
第1回目のCMSP後からずっとSETの活動を一緒に行ってきてくれた
元市役所職員の佐々木幸悦さんからの突然の相談だった。

「三井、立候補してみないか。市議になれば影響力が出る。
陸前高田を変える風になれる」と言っていただいた。

佐々木さんからの相談を受けて、半年は出馬を

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第三十話 「この町で生きる」ことにポジティブな感情をもつ子どもが育つように

第三十話 「この町で生きる」ことにポジティブな感情をもつ子どもが育つように

この活動をはじめて3年(2016年当時)、
夏には100人規模の夏祭りを、
冬には全町民に手作りのプレゼントを渡すサンタの企画行うまでになった。

今では、共に活動をしていた子が東京の大学に進学し、
SETのメンバーとなって月1回広田町に足を運び活動を続けていたり。
高校3年生の子は将来広田に帰ってくるために進路を変更したりしている。

ある高校生のお話。

その子は大学生が広田町に訪問するたびに

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第二十九話 1000世帯に地元高校生からの手作りプレゼントを届ける100人サンタプロジェクト

第二十九話 1000世帯に地元高校生からの手作りプレゼントを届ける100人サンタプロジェクト

 「高田と僕らの未来開拓プロジェクト」の中でも特に大きいプロジェクトが、「100人サンタプロジェクト」だ。

2013年12月、最初はある団体からお菓子の提供を受け、関西からボランティアの方々が当日訪れて小学生以下の子どもたちがいるご家庭、一家庭ずつに配った。

翌年、前年ボランティアで参加してくれた町の高校生を企画段階から誘った。
その子から、
「子どもたちだけじゃなくて、
広田町に住む爺ちゃん

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第二十八話 「人のために何かしたい」という地元高校生の尊い想い

第二十八話 「人のために何かしたい」という地元高校生の尊い想い

 活動を続けて行く中で地元の高校生からこんな言葉をきいた。

「震災で多くの人に助けてもらった。
私も『人のために』なにかをできるような人になりたい。」

また一方で、
「この町には何もない」
「漁師にだけはなりたくない」
「将来の夢?わからない」
という声も聞いた。

地元の高校生の「誰かの何かのためになりたい」というその思い。
その思いはとても尊い。
だけども彼らには町で活動する機会も、
将来

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第二十七話 任意団体から特定非営利活動法人に!

第二十七話 任意団体から特定非営利活動法人に!

「この町の根本的な課題を、事業を通して、解決していきたい。」
この覚悟とともに、
2013年6月18日に僕たちは任意団体から特定非営利活動法人となった。

僕が起業を意識してから、早4年。
ようやくスタートラインに立つ事が出来た。
そして事業も少しずつだが、リリース出来るものが増えてきた。
そしてリリースした事業に関しては、本当に愛着をもって、
子供のように育てていきたいと思っている。

「ようや

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特別コラム⑥「2年前のあの日から、僕らは。」

特別コラム⑥「2年前のあの日から、僕らは。」

(本コラムは、2013年3月11日当日に書かれたものです)

2013年3月11日。震災から丸2年。移住して1年弱。
今、少しずつだけど形として、確かなものが出来始めている。
そして分からなかったこの町の根本的な問題も、
少しずつ掴み始めていると思う。

2100年には日本の人口は5000万人を切る。
そして2025年には平均年齢は50歳を超える。
出生率は低下を続ける。
僕らが生きるこれからの社

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第二十六話 「都会に向かった僕たちは、そこで『何か』を掴めると思っていた。」その理由。

第二十六話 「都会に向かった僕たちは、そこで『何か』を掴めると思っていた。」その理由。

なぜ東京にいる大学生(に限らずですが)は、
「なにか」を探し、
心の中の「足りないピース」を探しているのか?
CMSPを通して、その答えが少し見えた気がする。

「そもそも東京に上京する大学生は、
何かを求めて地元から飛び出し、東京にいく。
そのハングリー精神が、学生団体の立ち上げや
様々な活動につながる。
地方の大学には学生団体とかがなく、
活動が活発じゃないのはそういう理由かも」と。

僕もそ

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第二十五話 交流が、「町民=ファンを増やす担い手」にしていく。

第二十五話 交流が、「町民=ファンを増やす担い手」にしていく。

CMSPは2017年春までに合計20回、
200名以上の大学生が参加してくれた。
(新型コロナウイルスの拡大前まで、2019年夏まででは、
合計55回、700名以上の大学生が参加してくれました。
このストーリーを書いている当初は2017年の夏前です。)

「大学生が1週間、広田町で過ごす意味ってなんなのか?」を
ずっと考えてきたが、一つには、
「広田町の皆さんの楽しい思い出」
を作り出す事なんだな

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第二十四話 町を変えるためにはまずは自分から変わる。

第二十四話 町を変えるためにはまずは自分から変わる。

第1回目はわけもわからないまま走り抜けた。
それでも参加してくれた7名は本当にがんばってくれた。
7日間、試行錯誤の中、なんとか町のためになるアクションを考え行えた。
最終日の報告会。
涙を流しながら参加者は地元の方に語りかけてくれた。

「『自分の心に火をつけたい!』と思ってこのプログラムに参加したけど、
『広田町のために』と必死に考え、企画を実行し、
町の方の笑顔を見た時に、
『自分の心に火が

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特別コラム⑤  「しがらみじゃなくて居場所になる」

特別コラム⑤  「しがらみじゃなくて居場所になる」

この記事は、2013年6月3日、
町のお母さんたちと毎日触れ合っている現地スタッフの美帆(妻)が
自身のブログで想いを綴ってくれていましたもので、原文のまま掲載します。ちょうど浜野菜サービス立ち上げの時期です。

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最近の私は、
何かにつけてモヤモヤもやもや…
言葉にできないもどかしさに
フラストレーションを感じてた。

それだけならまだしも、
自分をむき出しにして
相手との対話を怠ってい

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第二十三話 交流・挑戦の場を作ろう!

第二十三話 交流・挑戦の場を作ろう!

 浜野菜おすそわけ便での学びを生かし、
「地元の人と都会の若者が本気で町のために考え、
一緒に挑戦できる場をつくろう。」
そんな思いから2013年3月からChangeMakerStudyProgram(CMSP)を
スタートした。

そしてこのCMSPを始めた当初の思い。
それは、
「都会での生活をしてきた僕たちだからこそ、
この町で気付ける事がある。
都会で生活してきた僕たちだからこそ、
同年代

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