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【私の職務経歴書~GameWith時代~】(2015年9月~2022年8月)


きっかけはご縁!?

人材派遣、業務請負、人材紹介等を展開するウィルグループを2015年2月に退職しようと決め、次に働く場を相談した人物がいます。

それがスタートアップやシード、さらには起業前の起業家への支援や投資で著名なファンドである、インキュベントファンドでファンドマネジメント業務を担当している吉田 周平さんです。

インキュベイトファンド株式会社
https://incubatefund.com/

吉田さんとの出会いは、共通の知人が主催している業界の忘年会だった気がします。

この記事を書くにあたり、吉田さんに「我々ってどうやって出会いましたっけ?」と確認したら、「さぁ・・、たしか飲み会だったような・・」というぐらいもう古い付き合いです(笑)

吉田さんとは、年齢も近く、吉田さんはベンチャーキャピタルのファンドマネジメントをする"裏方"、私は会社の管理部門という"裏方"ということで、スポットライトの当たりにくい者同士だったのかと気が合いました。

知り合ってから数年は、半年に一度程度、飲み会であったり、2人で飲みに行ったりしましたが、仕事の話はあまりしたことがありませんでした。

そんなときにニュースでインキュベントファンドが新たな大型ファンドを組成したというのを見て、「あれ、このインキュベイトファンドって吉田さんのところだ・・。転職するから相談してみるか!」という軽いノリで飲みがてら相談したのがきっかけです。

その後吉田さんは、私にいくつかの会社を紹介してくれました。
これらの会社は、のちに話題になる企業や上場する企業ばかりで、今 考えてもインキュベントファンドの目利きはすごいと感じます。

GameWithもその中の一社でしたが、業務内容だけでなく、吉田さんの同社の紹介が特徴的だったのを覚えています。

吉田さんがGameWithの会社概要を送ってくれたとき、「ゲームはやらないと聞いていますが・・」「社長が若くてマネジメント経験も浅いんですが・・」「創業間もないので・・」とネガティブな情報がちりばめられていたのが逆に興味を惹きました(笑)。

興味をもったら即行動は、今も昔も変わりません。私はさっそく吉田さんに面談をお願いしました。

そして数日が経ち、吉田さんから2015年2月上旬のある日、GameWith社のオフィスではなく、インキュベントファンドのオフィスで面接をする旨の連絡を頂きました。

面接官はGameWith社の創業者であり代表取締役社長の今泉卓也さん、私の入社の半年ほど前に入社して営業を担っていた取締役の眞壁雅彦さん、そしてインキュベイトファンドの代表パートナーでありGameWith社の非常勤の取締役でもあった村田祐介さんの3名とお話をさせて頂くことになりました。

GameWithは、現在は東証スタンダードに上場する、日本最大級のゲーム情報メディアであり、配信やeスポーツ、回線事業も行う企業ですが、2013年6月時点では創業して1年半ちょっと、10数タイトルの攻略サイトを運営するゲーム攻略メディアでした。

実は本日現在においても、私はあまりゲームをしません。
なぜなら信じられないぐらいヘタクソだからです(笑)。
私のゲーム歴といえば、小学生のときに初代ファミコンを買ってもらいましたが、ヘタクソすぎて姉や弟に勝てず、すぐに飽きて外に遊びにいってしまう子でした。
攻略本も買ってもらいましたが、自分でプレイするとその通りに動かせません・・。
攻略本は読み物として楽しく読んでいましたし、私の父親が新しいもの好きなので家には常に最新機種のゲーム機がありましたが、私はほとんど触ることはありませんでした。

そんな私にゲーム攻略サイトを運営する会社を薦めてくる吉田さんも面白いですが、なんとなく「面白そう!」で面接にいく私も私です。
そして私の面接は始まりました。


入社面談

インキュベイトファンドのオフィスは、当時は赤坂にありました。Facebook社の居抜きだと説明されたオフィスはとてもオシャレで、当時勤務していた質実剛健なウィルグループ社のオフィスとは真逆のスタイルです。

そして出てきたのは私服の、とてもカジュアルな服装の今泉さんと眞壁でした。

ウィルグループ社は、当時は全員スーツ着用。特にIRを担当していた私はネクタイもしっかりしているので服装も真逆です。
面接が始まる前から「あれ、もしかすると合わないかも・・」と思わされた一瞬でした。

この直感は、当たらずとも遠からずでした。
面接は、眞壁さんが最高の笑顔で会社説明から始めてくれました。

眞壁さんは、私がお会いした方の中で、最も人間性が素晴らしい方の一人です。
この後、眞壁さんが退職するまで約5年を一緒に過ごすことになりますが、眞壁さんが誰かを批判する姿は見たことがありませんし、つらいときでも笑顔を絶やしたことがありません。

まだ自己紹介もしていない私に、全力で会社説明をしてくれる眞壁さんに、私は当然好印象を持ちました。

次にインキュベイトファンドの村田さんによる、ゲーム業界やゲーム攻略サイトの市場規模や可能性のレクチャーでした。

これまでゲーム業界はおろか、ユーザーとしても接点がなかった私にもわかりやすく、そして可能性を感じさせるその語りはとても雄弁でした。
知性と情熱を持ち、聞き手を引き込むエネルギッシュな話し方からも尋常ではない優秀さを感じました。

そしてようやく私の自己紹介の番です。
これまでの職務経歴をお話しし、よく面接で聞かれる「大変だったことと、その克服の仕方」「マネジメント経験」「IPO業務の実務」「実際にどの程度関与していうたのか」など眞壁さんと村田さんから質問を浴びせられます。

私からも事業内容や市場に関することを質問し、時間も相当経過した後、ようやく社長の今泉さんが質問をしてくれました。

今泉「ゲームはしますか?」
伊藤「・・、ツムツムと、友達と集まったときに桃鉄(桃太郎電鉄)をするぐらいですかね・・。」

私はこのとき、"人がガッカリするとこんな顔をするんだ・・"という顔を初めてみました。

そして私から今泉さんにいくつか質問をしましたが、返ってくる回答は淡泊で、明らかに私に興味がないのが伝わってきました(笑)。

伊藤「業績はどうですか?」
今泉「1期目は赤字でした。2期目は少し黒字になると思います。」

創業1年目はほとんど会社は赤字です。
私はどう事業を伸ばしていくのかを経営者の口から聞きたかったのですが・・。

それまで4年間、ウィルグループの社長であった池田良介さんのように、エネルギッシュに笑顔で明るく話す社長に慣れていた私は対応に困りましたが、ある質問が全てを変えました。

「"ゲームを楽しめる世界を創る"ということを言っていましたが、ゲームをしながら楽しく働きたいということですか?」

「ゲームをより楽しめる世界を創る」は、のちにGameWith社のミッションとして言語化されるものですが、その原型はこのときから既にありました。
そして返ってきた答えは、今でもよく覚えています。

「ゲームは、いつも遊びだと思われます。ゲームをしていると、「ゲームなんかしてないで」と言われますが、これはゲームの社会的地位が低いからだと思います。
 僕はそういう世の中を変えたいんです。
 そのためにゲーム会社だけでなく、ゲームに携わることができるゲームが好きな人をたくさん生みたいし、そういう会社が上場すれば、ゲームの社会的地位も上がると思っています。」 

当時 私は38歳、今泉さんは26歳。
今泉さんは学生時代からゲーム制作会社で働き、卒業後はCTOとして経営や開発に関わり、その後 その会社を清算した後に村田さんの協力を得てGameWith社を創立した方です。

言葉は少ないですが、熱い熱量をもって語る言葉と、その想いの素直さとステキさは、私に響きました。

エンジニアというバックグラウンドで、もの静かな今泉さんは、それまで私が接したことがないタイプの方でしたが、私は一気に今泉卓也という人物が好きになりました。

そして面接終了後、吉田さんにGameWithにお世話になりたい旨を伝えました。

後日談ですが、入社後に社内に保管されている採用面談メモで、この時のことが書いてありました。

「東証一部の部長。ゲームもやらず、給与も現年収の半分程度しか出せないのでどうせこない。」

今泉さんと眞壁さんのどちらが書いたのか、当時 聞いたのですが2人とも自分ではないと言っていました(笑)。

私にとっては、どんな会社で働くかや、収入がどうなるかはあまり関係ありません。
これは今でも変わっていませんが、「どんな人たちと働くのがワクワク、そしてヒリヒリするか」。それだけです。


ウィルグループの退社

次の職場をGameWith社に定め、ウィルグループには予定通り3月末で退職する旨を申し入れました。
ところがウィルグループ側は驚きます。
1月末に退職を検討する旨を伝え、2月末にもう次の職場を決め、3月末には退職する。
スケジュール的にも、就業規則的にも問題はありません。

ところが当時のウィルグループは、管理部門の人数も少なく、私に先立って上場時の財務経理部長が退職していました。

短期間で管理部門の管理職が続くのは不安ですし、3月決算のウィルグループは5月に決算発表、6月に定時株主総会があります。

そこで6月末の株主総会まで在籍できないか相談されました。
私としてはお世話になったウィルグループ社への恩義があるので、なんとか応えたいと思いました。

これに対してGameWith側も大変です。
当時 監査法人のショートレビューも受領し、私と同時に管理部長となる方も入社予定でした。
4月から入社すると思っていた私が、7月入社となると予定が大幅に狂います。

そこで私が提案したのは籍はウィルグループに残し通常業務をし、日の半分はGameWithに出社し、GameWithでIPO準備を進める・・。
ウィルグループはこの変則的なダブルワークを許容してくれ、4月から2つの会社で働くハードな日々が始まりました・・。

そしてウィルグループ社の株主総会が無事に終わった6月、予定通り退職するはずだったのですが、ここでも問題が発生しました。
私がウィルグループ社で当時主に担当していたのは「予算実績管理」と「IR」でした。
予算実績管理は私よりも優れた方がいたので問題なく移管できましたが、IRについては採用がうまくいっておらず後任が不在でした。

そこでウィルグループ社は、財務経理部から1名異動させ、私がその方にIRの実務を教えるという、「引継ぎ業務の延長戦」が始まりました・・。

結局2月に入社を決めたにも関わらず、3月から5月はボランティア、6月から8月までは業務委託を経て、2015年9月、ようやく正式にGameWith社に入社することになりました。


東(あずま)さんとの出会い

私はいつも良いメンバーに囲まれて仕事をさせてもらっていますが、GameWith社における最良のパートナーといえば東 陽亮さんをおいて他にはありません。

東さんはトーマツ監査法人を経て、サイバーエージェント社を経て独立していましたが、IPOに携わりたいということで私とほぼ同じ時期にGameWith社に入社しています。

当時 東さんは個人で会計事務所を開業しており、そちらの業務を閉じながらGameWith社に移行してくる経緯も私とよく似ていました。

現在ではIPOコンサルとして著名で、数多くのIPO準備会社のサポートをしながら、関与先でもあったプログリット社やM&A総研ホールディングス社などの社外監査役を務めています。

イカつい容貌とガタイの良さから発せられる威圧感とは逆に、真面目で勉強熱心、そして温和な人柄は「The 会計士」という感じです。

私が「経営企画/CSO」という"攻め"に強いタイプなのに対し、「財務会計/CFO」という"守り"に強いタイプの我々は、お互いの守備範囲も明確で補完性も高く、お互い作業もするのでパートナーとしては最適でした。

その後 GameWith社は、東さんと私の2人に、経理のメンバーが加わって3人という体制で東証マザーズに上場していますが、どちらかが倒れたら・・とか、東さんと私が衝突したら・・といった事態はまったく想定せずに突っ走りました。

私が株主であるインキュベイトファンドの紹介であり、東さんはエージェント経由ということもあり、お互いの選考状況もまったく知らされず、初対面はGameWithのオフィスでした。

GameWith社は、創業したときはインキュベイトファンドのオフィスで登記されています。
オフィスは文京区にあったようですが、今泉さんと創業メンバー5名の「家 兼 オフィス」で、それも当時は借りることができず、村田さんが借りてくれたようです。

村田さんがGameWithにしてくれたことは、このように一般的なベンチャーキャピタルの方がしてくれることの域を遥かに超えたものでした。

村田さんは、今泉さんがCTOを務めていた会社に投資をしており、その後は事業計画もない状態の今泉さん個人に対してサポートし、創業間もないころは事業のアイディアも一緒に出しあっていたということです。

ここまでしてくれるベンチャーキャピタルの方はあまりいないと思いますが、とにかくスタートアップが好きで、起業家が好きという村田さんに見出して頂いたことが、GameWithにとって幸運の一つであったことは間違いないと思います。

こうして創業されたGameWith社ですが、攻略記事を書くライターの方の増加と共に、オフィスを港区に移転しています。

設立2年目の会社が大きな製薬会社などが入っているオランダヒルズに入っているなんて贅沢な!と思ったのですが、勢いのある会社はそんなものかと思っていました。

ところが受付で、その住所は隣だと教えられ、向かった先はなんと住居!
当時のGameWith社は、オランダヒルズとはいえ、隣の住居スペースに会社がありました。

比較的広いとはいえ、住居スペースに平机が並び、パーカー姿の若者たちが並んでゲームをし、攻略サイトを構築する・・。

前述の理由から、午前中にウィルグループに出社していた私はスーツを着ており、年齢もだいぶ上だったのでみんなが見て見ぬふりをしていますし、私も話しかけづらい微妙な空気が流れていました。

そして明らかに急造の、不自然な位置に設置されたひな壇の机が3つあり、そこに眞壁さん、東さん、私が座ることになりました。

当時のGameWithは20名ほどのアルバイトのライターに社員が数名という状態で、管理部門は税理士事務所に証憑を送る女性のみ、支払い等は社長の今泉さんが行っている状態・・。

GameWith社とウィルグループ社を行き来しつつ、ショートレビューで指摘を受けた事項に対応しながら、少しづつ組織設計も進んでいきました。


株主とのバトル勃発

「入社からマザーズ上場まで」(2015年9月~2017年6月)
(主な業務)
・主幹事選定並びに対応
・上場準備資料作成(主に定性的情報)
・資本政策の立案、株式移動の取りまとめ
・利益計画、要員計画の立案及び取りまとめ
・投資計画の立案(資金使途との調整含む)
・証券会社対応
・外部株主(ベンチャーキャピタル)対応
・証券印刷選定並びに対応
・証券代行(信託銀行)選定並びに対応
・新株予約権発行業務取りまとめ
・株主総会運営
・取締役会運営
・監査役会運営補助
・規程制定及び整備
・法務関連業務
・弁護士事務所選定並びに対応
・司法書士事務所選定並びに対応
・特許事務所選定並びに対応
・内部監査
・内部統制補助
・月次決算補助

私が入社してしばらくするとオフィスも六本木ヒルズに移転し、ようやく「怪しいスタートアップ」から「会社」っぽくなっていきます。

気が付くと会社も大きくなってきており、攻略サイトのみをやっていた会社がゲーム実況や、ゲーム会社から直接広告の発注を頂けるようにもなってきました。

業績が大きく伸びたこともあり、私が担当していたIPO準備も順調に進んでいきます。

入社から1年が経過しようという2016年6月には主幹事証券の審査が始まりました。
一般的には6ヶ月程度を要するのですが、GameWith社は諸事情があり9ヶ月かかりました。
そして事件は6ヶ月で審査が終わらないということを経営会議で株主の皆さんに報告したときに発生しました。

一般的に6ヶ月で審査が終わらない場合、IPOはその場で止まってしまいます。
そうなると自動的に1年延期し、来期にまたやりなおすことになります。

私は6ヶ月で終わらなかったものの、主幹事証券と対話ができており、申請が進む手応えを持っていました。
ところが株主の方たちは違います。

多くの投資先が延期になる過程を見ており、GameWith社もその中の1つだと思うのも至極当然です。

私が「問題なし」と説明をしても、実際に事業の状況を見て主幹事証券の審査を受けている私と、間接的に報告を受ける株主では温度感が違います。

会議は次第に「株主(村田さん)VS 上場準備チーム(伊藤)」の構図になっていきます。

そして社外取締役であり、大株主でもあり、そして社長とは長年緊密なパートナーである村田さんがある発言をしました。

「伊藤さんも東さんも、主幹事証券に言いなりなんじゃないですか?」

私は当時、GameWith社では経営企画室長、部長職ではありますが従業員です。

株主の皆さんともそれなりに関係は良好だったとは思いますが、創立まもないころから投資してくれている株主3社の皆さんに比べれば私は"新参者"でした。

とはいえ売られたケンカはぼったくりでも買うのが私です。
相手が村田さんであろうとそろそろ反撃しようか・・と不穏なオーラを漂わせ始めたとき、それまで静かだった今泉さんが一言 発しました。

「その件については伊藤さんと東さんに任せています。大丈夫です。」

村田さんも社長の今泉さんが「任せている」といった言った以上、それ以上 追及はしてきませんでした。

GameWith創立前からお世話になっている村田さんに対して、今泉さんが私を庇うとは想定していなかったので私はとても驚きました。

入社して約1年半が経っていましたが、普段は口数が少なく物静かな今泉さんの熱いところを初めて見せた瞬間でした。
そして期待と信頼を置かれている以上、それには応えなければという思いでGameWith社で働くことにしました。


上場後の担当はまさかの「eスポーツ」!?

「マザーズ上場から東証一部指定まで」(2017年6月~2019年8月)
(主な業務)
・東証一部申請資料作成
・資本政策の立案(立会外分売、ストックオプションの発行等)
・株主総会運営(事務局長)
・取締役会運営
・監査役会運営補助
・内部監査
・内部統制補助
・管理部門(財務経理部、法務部、総務人事部)統括
・渉外(主に行政機関、大手ゲーム会社)
・新規事業立ち上げ(esports事業、イベント事業)
・投資並びにPMI
・定時開示補助

おかげさまでGameWith社は2017年6月、創業してから僅か48ヶ月目で東証マザーズ市場に上場しました。

ウィルグループ社の時は、新規上場後は東証一部への市場変更を担当しつつIRも担当していましたが、GameWith社では銀行から転職してきた方がIRを担っていました。

GameWith社では市場変更の準備をしつつ、まだ空いていた私のリソースは、なんと「eスポーツ」に充てられることになりました。

今は「eスポーツ」という言葉も定着していますが、2018年はまだ日本では一般的ではありませんでした。

格闘ゲームでは梅原大吾さん、FPSと呼ばれる分野ではDetonatioNなどが当時から活躍していましたが、今ほどの熱量はなかったと思います。

GameWith社はゲームのメディアであり、eスポーツやプロゲーマーとは無縁でした。

そんなある時、GameWith社の創業メンバーでもあり、事業を担う執行役員だった重藤さんから「クラッシュ・ロワイヤル(クラロワ)」というゲームのプロリーグができるので参戦したいという提案がありました。

クラッシュ・ロワイヤル
『クラッシュ・ロワイヤル』(英: Clash Royale)は、Supercellより配信されているiOS/Android向けリアルタイム対戦型カードゲーム。略称は「クラロワ」

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ところが重藤さんはGameWith社の中核事業を担っており、新規事業に十分な時間を割くことができません。

そこで事業推進のパートナーとしてマザーズ上場後に時間がありそうな私に白羽の矢が立ちました。

管理部門の私が選ばれた理由は「なんでもやってくれそう」だからだそうです。

参入をリーグに伝え、すぐにリーグ設立の記者会見がありました。

私が関わっていた時期は「クラロワリーグ アジア」というタイトルでした。
これは半年毎に、日本、韓国、東南アジアから各4チームが総当たりで戦い、上位チームがトーナメントで戦う形式でした。
日本からはプロゲーミングチーム2社、ゲームメディア1社、そしてGameWithの4チームがエントリーをしました。

ところが記者会見で他の3チームと話をしていると、どうやらGameWithは状況が違いました。
まず、他の3チームはクラロワ以外のゲームタイトルでプロゲーマーが所属しており、プロゲーミングチームの運営ノウハウを持っており、実績も十分でした。

GameWith社は、ゲームメディアとしては知られていましたが、eスポーツ業界では知名度がなく、著名な選手に声をかけても入ってもらえません。

重藤さんも私も焦りましたが、そこは2人ともスタートアップ慣れしているのですぐに切り替えます。

メディアの特性を活かし、著名ではないものの、実力があって伸び盛りの若手をスカウトすることにしました。

この結果、高校生2名を含む平均年齢17歳という、全チームで一番若いチームが誕生しました。
他のチームが著名な選手を軸にしており、韓国チームは世界トップクラスの実力者たちで構成したチームがある中、GameWithは当然 格下扱いです。

率いている重藤さんも私もeスポーツ業界ではまったくの無名なのでしょうがないのですが、我々は素人なりにeスポーツにビジネスの要素を持ち込みました。

前述の選手のスカウティングもそうですが、選手は強いだけでなく、GameWith社の本業である動画配信でも出てもらうことを考慮しています。
これにより賞金だけでなく、複数の収益を確保することでeスポーツの事業性を高めます。

また、同大会ではスポンサーの関係でスマホの機種が指定されていました。
GameWith社は全選手にこの最新の機種を渡し、日ごろから慣れてもらうようにしました。

他にも関東各地に住む選手に集まってもらい、試合の前後には共同生活をしてもらいました。
これにより選手間のコミュニケーションは非常に円滑になり、チームの結束は固かったと思います。

このように、私たちはプロゲーミングチームを運営するというより、新規事業を立ち上げる感覚でチーム運営に当たっていました。

私たちの期待に、選手たちはしっかりと結果で応えてくれました。

なんと結果はアジアの強豪たちを抑え一番の結果で予選リーグを突破し、決勝トーナメントでも2位、アジアの準優勝チームとなりました。

これはのちに私が投資やIRを担当するときも大きな武器となりました。

例えばゲーム業界のおいては、「メディアの人」ではなく、「eスポーツの人」として扱ってもらえ、多くの方と交流するようになりました。

投資においては、2021年に株式を取得するプロゲーミングチームを運営するDetonatioN社とは、このリーグで同じ日本チームとしてご一緒したのが最初のきっかけでした。
また、オーナーの梅崎伸幸さんがおっしゃっていたのは「世界で勝つことの難しさを知っているので、アジア2位のチームを作ったGameWithであれば是非」と言って頂けました。

そしてIRにおいては、よく機関投資家や個人投資家の方からeスポーツの事業性について厳しいことを言われることがありましたが、実際に現場を経験していたのでその可能性や事業性を自分の言葉で語ることができました。

きかっけは「手が空いているから」というものでしたが、久しぶりの事業企画は楽しかったですし、本業の経営にも繋がる貴重な機会となりました。


東証一部、そして取締役就任・・

eスポーツ事業の立ち上げを離れ、私は再び東さんと共にGameWithの東証一部指定に向けて取り組み始めました。

課題はたくさんありましたが、マザーズ上場後に整い始めた管理部門の運営は安定しており、業績も伸びたことから申請は順調に進んでいきました。

そして最後に残った組織的な課題が2つありました。

1つ目の課題は、内部監査機能の独立です。

内部監査は、会社運営におけるガバナンスのキモです。
社長の替わりに社内の業務が正常に、円滑に行われているかを見て回ります。

対象が全ての部署・業務となるので、まず会社の業務について詳細に理解する必要があります。

そして会社を動かしているのは人なので、部門長を含む多くの方と話しやすい関係を構築し、業務改善のアイディアやマネジメントに耳を傾ける必要があります。

内部監査は最近注目され、その重要性が増していると言われています。
これは、会社にとって中立的な立場でこれらの業務を遂行することで健全な会社運営が成り立つからです。

GameWith社は、私が室長を務める経営企画室が内部監査を担当していました。

これはGameWith社では設立初期から在籍しているため社内にも業務内容も理解し、組織設計も担当した私が適任というだけでなく、内部監査専属の部署や人員を充てる余裕がなかったからです。

マザーズ上場企業であれば組織の規模に応じてこの兼務も致し方なしと言われていましたが、東証一部上場企業となると許されません。

当時の経営企画室は、経営管理と広報機能を担っており、メンバーも若手だったので、内部監査の業務を任せるにはもう少し時間が必要でした。

また、管理職の経験がない方に、いきなり新設される内部監査室の室長にという重要ポジションを任せるのは、たとえメンバーがいない"ひとり部署"であったとしてもよろしくありません。

この結果、内部監査室長は管理部長だった東さんが就任することで解決することができました。

2つ目の課題は、常勤取締役2名以上の体制の構築です。

GameWith社は、マザーズ上場までは今泉さん、眞壁さん、東さんが常勤取締役でした。

しかし、マザーズ上場の翌年の株主総会では常勤は社長の今泉さんのみとし、東さんや私を含む7名が執行役員となり経営にあたっていました。

取締役会は3名以上で構成されますが、常勤1名、非常勤2名の計3名という、最小限かつ少し前衛的な経営チームではありますが、執行役員たちがそれぞれの管掌部門をしっかりとみることで問題なく組織は運営されていました

ところが会社のステージがマザーズから東証一部に変更されるにあたり、経営基盤をより盤石にする必要があります。

東さんは前述の理由から、内部監査室長となり、あわせて社外での活動を増やす予定だったので取締役に就任することはできません。
眞壁さんも退職し、起業することが決まっていました。
そして銀行から転職してきていた経営戦略室長も諸事情があり退職することになっていたので、候補者は私を残すのみとなりました。

こうして私はGameWith社が東証一部に市場変更となった2019年8月16日の翌週に開催された定時株主総会で、取締役として選任されることになりました。


「自分の存在がなくなることが目標」

「マザーズ上場から東証一部指定まで」(2017年6月~2019年8月)
取締役 兼 執行役員 経営企画室長に就任。
人事部を除く管理部門全般を統括。
コーポレート部門を統括する取締役として渉外、GR、IR(主に機関投資家)、投資については実務を担当。予算策定、予算実績管理、IR(主に個人投資家)、PRについては担当するメンバーをサポート。

(主な業務)
・市場再編への対応
・資本政策の立案(立会外分売、ストックオプションの発行等)
・管理部門(経営企画室、財務経理部、法務・渉外部、経営管理部)統括
・渉外(主に行政機関、大企業、所属する業界の大手企業等)
・投資並びにPMI
・定時開示

このように、一気に私の管掌範囲は広がることになりました。
そして、私が取締役になった際に、宣言したことがあります。
それは「自分がいなくなっても問題ない組織を作る」です。

就任の挨拶で、自身の退任に言及するのは少しおかしいかもしれませんが、これには理由があります。

スタートアップにおいては、経営者には強いリーダーシップが求められます。
しかし、リーダーシップが強ければ強いほど、その人物への依存は高くなり、その存在の有無がリスクとなってきます。

上場し、更に東証一部となり多くの株主の方がいる企業において、一人の人間にそんな依存している組織や経営体制は健全ではありません。

社長であり創業者の今泉さんへの依存であれば、ある程度は許容され、それも承知の上で投資して頂いているとは思います。

しかし、私が組織のリスク要因となるのは、私が作った組織において許容できるものではありません。

私は組織にとって「歯車」でありたいと思っています。
これは代替があるという意味ではなく、組織を動かす一つの要素でありたいということです。

私は我が強いほうなので「重要な歯車」ではありたいと思いますが、根底にあるのは「個人よりも組織」です。

こうして仕事に取組みつつ、自分がいなくても大丈夫な体制を構築できたと確信した2022年1月末、今泉さんに退任を申し入れました。


退職の裏話

私が取締役に就任した翌年からコロナ禍が始まり、GameWith社はフルリモート勤務となりました。

オフィスに出社する人は最小限、私も週1日程度でしたが、今泉さんは年に数回程度しか出社はしません(2人とも在宅でミッチリ仕事はしていました)。

そんな今泉さんも、私が退職を申し入れる空気を察したのでしょう。
私の話を聞くためだけに出社してくれました。

そして少しの間 話をし、私が意見を変えることはないことを知っている今泉さんは退任について了承してくれました。

5月決算のGameWith社の定時株主総会は8月です。
私が1月に申し入れたのは、引継ぎに数ヶ月は要すると思ったからです。
少し早いとは思いましたが、引継ぎが完了次第、任期を待たずに退任するつもりでした。

しかし、今泉さんから提案されたのは意外なものでした。
・2月~3月で業務を引き継ぐ。
・3月以降は、8月まで業務執行をせずに、取締役として関与。

引継ぎが終わったら、私の業務はなくなります。
それでも取締役であれば、勤務時間に関係なく役員報酬が発生していまいます。

私は文字通り「一身上の都合により退任」で良いと思っていましたが、「任期満了での退任」は今泉さんが私に提示してくれた最後の花道でした。


GameWith社への想い

私のキャリアの中で、7年間務めたGameWith社は最長勤務記録の会社です。

これは今泉さんをはじめ、多くの良い方たちに恵まれていたからだと思いますし、GameWithの社内だけでなく、ゲーム業界の方はとても良い方が多かった印象があります。

そのような中で管理部門だけでなく、事業部門でも自由に働かせてもらえたことに感謝しかありません。

GameWith社が掲げるミッションである「ゲームをより楽しめる世界を創る」の礎を築くのに貢献できたことは、私の誇りであります。

たくさんの素晴らしい経験をさせて頂きありがとうございました。

(関連リンク)
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