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【私の職務経歴書~テレウェイヴ時代~】(2001年4月~2007年9月)

私は、大学を卒業後、新卒として「株式会社テレウェイヴ」という会社に入社しました。
このテレウェイヴ社は、現在は株式会社アイフラッグという社名となっていますが、その社名はいま30代後半以上の方にとっては「ヤンチャな営業会社」として聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか。。

テレウェイヴ社は、1997年6月に村山拓蔵社長(当時)が26歳で設立した会社で、設立当初は地方の喫茶店などでたまに見かけるピンク電話を販売していたそうです。
私は設立から4年目、新卒1期生としてこの会社に入社しました。



入社のきっかけ

私がテレウェイヴ社に入社しようと思ったのは、会社説明会の時の約束がきっかけです。
当時すでに大手企業から内定を頂いたいましたが、大学4年生だった私は会社説明会に参加するのが好きでした。
これは学生がいろいろな企業の説明を聞くよい機会であり、私も世の中にこんなにたくさんの企業があって、こんなにいろいろなサービスがあるのだということを知る機会であり、会社のえらい人や人事の方がそれを説明してくれる貴重な機会だと思って内定を頂いた後も参加していました。(もちろん選考には進まず、会社説明会のみで会場を去ってました)

テレウェイヴ社は、(今はもうないと思いますが)自宅にハガキで通知が届き、会社説明会をするというので深く考えずに参加した一社でした。
実際に会社説明会では、「新卒第1期生募集」「大手企業からの転職者多数」「学歴不問」といった過激ではありますが魅力的な文言をたくさん聞いたのを覚えています(笑)。
会社説明会には、村山社長以下、当時いらっしゃった取締役3名がすべて参加しており、説明会のあと間髪いれず行われたグループディスカッションでは、のちに上司となる齋藤真織さんがついてくれました。
そして齋藤さんからはもし入社したら、社長や取締役の直下で働けると誘って頂き、私は「この会社だ!」と思い、内定を頂いた企業を辞退し、テレウェイヴ社に入社することにしました。
正直 事業内容はあまりよく理解していませんでしたが、その直感が全ての始まりでした・・。


「事業企画時代」(2001年4月~2002年3月)

(主な業務)
・新規事業の立案
・営業部門の管理

大学を無事に卒業し、私は晴れてテレウェイヴ社で社会人となりました。
新卒第1期生にも関わらず、なんと同期は50人ほどいたと思います。
さらに驚いたのは、入社式後、そのまま某複合機メーカーの工場に一週間の宿泊研修があり、それから戻ったら同室だった同期が退職・・。
入社から1ヶ月が経過したGW明けには、同期で一番仲が良かった同期が何も言わずに退職と、なかなかショッキングな事件が続きました。
ちなみに1年目が終了した時期には、同期は既に1/3程度しか残っていない状態でした・・。

そんなサプライズはあったものの、1ヶ月の営業研修を受け、約束通り私は齋藤さんが経営企画室長を務める「経営企画室」に配属になりました。
同期の友人たちはすべてグループ会社の「株式会社テレウェイヴリンクス」という営業を主体する子会社に配属になったので、少し心細かったですが、当時は同期と配属先が違うことが寂しいと感じるような、そんな学生気分が抜け切れていない時期でした・・。

そのころテレウェイヴグループは、中小企業を対象にビジネスフォンや複合機を販売する「情報通信機器事業」と、小売業やリフォーム工務店向けにホームページを販売する「ソリューション事業」を行っていました。
そして社風は、前述の退職率と、会社のキャッチフレーズが「20代でぶっちぎれ!」ということから察して頂けると思いますが「The 営業会社」でした。

私は1年目ながら、ソリューション事業の3番目の商材となる「診療所向けに電子カルテを販売する事業」の立ち上げという役割を担っていました。

試行錯誤の結果、当時の企業力で電子カルテを販売するのは技術的にも営業的にも難しく、替わりに診療所にホームページを販売する事業を提案し、路線を変更してもらいました。

これはすでにある「ホームページ作成・メンテナンス」という会社の資産と、とてつもなく強い「営業力」を活かすことができ、初年度から利益を出すには大きな路線変更が必要だと考えたからです。

この時の経験から、自社が使えるリソースと強みの把握して考えることと、提案すべき時には勇気をもって提案すること、そして企画担当者が率先して動かなければ先輩やまわりの社員たちは動いてくれないということを学びました。

この過程で、規模は小さいもののサービス変更に伴う電子カルテ担当者たちへの配置転換や人員整理など辛いことも経験しましたが、なかなか経験できることではないので貴重な体験だっと思います。


「IPO担当時代(2002年4月~2003年3月)

(主な業務)
・上場準備資料作成
・月次決算の導入(予算実績管理等)
・IR担当
・年次予算計画作成

事業企画としてそれなりに手応えがあった社会人1年目ですが、突然会社から担当業務の変更を命じられました。
それまで他社からチームで転職してきていたIPO担当の方たちが一斉に退職し、替わりに外資系証券会社出身の齋藤さんと、この年にCFO・取締役管理部長として入社した公認会計士だった原 紳二さんがIPO業務を担当することになり、そのサポートメンバーとして選んで頂いたためです。

事業企画担当として、事業が順調に伸びているときに担当業務を変えられたことについては不満もありました。
しかし、原さんはこれまで複数の上場経験があり、隣の部署の私にも非常に優しくしてくださっていたのでその下で働くことで学ぶことは多いはずだと思い納得しました。

こうして「経営企画・伊藤修次郎」が誕生することになりますが、それが現在でも続く業務の原点になっているのですから不思議なものです・・。


「IR担当時代」(2003年4月~2005年3月)

(主な業務)
・IR担当(主に国内)
・適時開示業務
・法定開示業務
・事業報告書担当
・金融機関対応
・証券取引所 上場部対応
・監査法人対応
・信託銀行対応
・証券印刷対応
・エクイティ・ファイナンス担当
・基幹システム導入プロジェクト
・株式事務業務(新株予約権対応、株式分割業務等)
・株主総会 事務局
・東京証券取引所への市場替えプロジェクト事務局(2004年12月)
・内部監査業務 補助

テレウェイヴ社は、2003年2月、店頭登録を果たします。
設立から約6年、IPO準備を仕切りなおして僅か1年のことです。
これは会社が大きく利益を出せるようになっていたこと、IPOをリードした齋藤さんと原さんが優れていたことなど様々な要因が挙げられます。
私もできることはがんばっていたつもりですが、今考えると効率も悪く、ひたすら行動量でカバーしていただけだったなと思います。

店頭登録と株式上場は厳密には違いますが、当時の私にとっては大差ありません。
店頭登録後には、のちにポート社(東証グロース・7047)で財務・IR管掌執行役員となる辻本拓さんや、3社目の会社となるウィルグループ社(東証プライム・6089)でもご一緒することになる 高山智史さんが入社してくるなど、経営企画室の陣容も固まってきました。

そんな中、IRやM&Aの強化が会社としても必要になり、私は管理部財務企画課に異動となり、CFOの直下でこれらの業務を担当することなります。
開示資料を作成したり、管理部門の運営に興味を持ち始めていた私は、CFOの原さんから多くのことを直接教えて頂く良い機会だと思い異動を快諾しました。そして原さんの指導の下、業務面だけでなく管理部門の長としての姿勢なども学ぶ貴重な時期を過ごすことになります。


「財務経理時代」(2005年4月~2007年9月)

(主な業務)
・M&A業務
・資本・業務提携業務
・コンプライアンス委員会事務局

2003年9月から、働きながら中央大学会計専門職大学院(現在は法科大学院に統合)に通学していた私はファイナンスの授業を多数受講しており、中でも企業価値評価という分野に非常に興味をもっていました。

店頭登録から少し時間が経過するとテレウェイヴ社には経営戦略として新たに「M&A」という選択肢を多用するようなっており、私はM&Aの実務担当者を務めていました。

当時はITバブルが弾ける前だったので市場からの調達も比較的容易で、原さんや2代目のCFOとなっていた滝ヶ崎裕二さんの指示をうけ、多額の調達も行い、その資金でM&A、資本提携、業務提携、TOB、合弁会社の設立などが毎月のように発生する、不思議な時代でした。

もともと営業力が強い会社ということあり、M&Aや戦略的IRも功を奏し、店頭登録時に65億円だった時価総額は、店頭登録から僅か4年で時価総額は2,300億円になっていました。

売上高 229億、経常利益 8億円の会社だったことを考えれば明らかに異常値ですが、バブルというのはそういうものなのかもしれません。


そして退職へ・・。

テレウェイヴ社では、新卒1期生ということもあり、社長や取締役たちとも距離が近く、M&Aなど花形業務を担っていたこともあり、今思えば私自身も少し調子にのっていた気がします。

既に財務経理部のマネージャーになっており、会社の金庫番も任されていました。
年齢も28歳にはなっていましたが、中身は「お子さま」です。ただ、未熟なりに、何かがおかしい、これは自分の実力ではない、ということはわかっていました。
これをリセットするには会社を辞めるしかないと考えた私は退職を申し出ました。

テレウェイヴ社は、ITバブル時代の徒花だったという方もいます。
しかし、優秀な方や行動力にあふれる方が多く、先輩にはグリムス社(東証プライム・3150)を設立した田中正臣さんやGENOVA社(東証グロース・9341)を設立した平瀬智樹さん、新卒入社の後輩にはキャリアインデックス社(東証スタンダード・6538)上場の立役者であり現CFOの齋藤武人さんやChatwork社(東証グロース・4448)をご兄弟と設立する山本正喜さんなどがおり、私にとっては人材に恵まれた良い修行の場だったと思います。

大きな調達が終わった直後ということもあり、いま辞めるのはもったいないと言って頂きましたが、最後は暖かく送り出して頂いた皆さんには今でもとても感謝しています。
こうしてテレウェイヴ社での激動の6年半は終わり、まったく異なる不動産コンサルティングのランドピア社に働く場を移します。

(関連リンク)
【自己紹介(概要)】
【私の職務経歴書~テレウェイヴ時代~】
【私の職務経歴書~大学院時代~】
【私の職務経歴書~ランドピア時代~】
【私の職務経歴書~ウィルグループ時代~】
【私の職務経歴書~GameWith時代~】
【私の職務経歴書~ABCash Technologies時代~】


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