なかしゅー@沖縄の理学療法士

沖縄在住。くだらないことが大好きな理学療法士です!2020年2月に僧帽弁腱索断裂による…

なかしゅー@沖縄の理学療法士

沖縄在住。くだらないことが大好きな理学療法士です!2020年2月に僧帽弁腱索断裂による心不全、4月に弁形成術、今は医療従事者目線・患者さん目線で体験記を書いています!

最近の記事

心臓手術後5日目の炭酸水。

一般病棟に移って、身体の状態も日に日に良くなってきているとはいえ 相変わらず、喉の渇きには耐えられない。 この時期は、食事量も増えてきたので、一日の飲水制限が1000mlから1500mlに増えた。また、飲み水は自分で購入して、メモリのついた容器に移して、飲んだ量を自己管理することになっていたので、心の余裕もかなりできた。 でも、心というものは不思議なもので 「制限」があると、もっと水を飲みたくなってくる。 「~したらダメ!」と言われると、余計にやりたくなってしまう子どもの心

    • 呼吸訓練。

      一般病棟に移って、新たに呼吸訓練が始まった。 というのも、今回行った手術の影響で、右の肺が一時的に肺炎のような状態で上手く機能していない為、元に戻す訓練が必要だった。 心臓の手術で呼吸訓練?? 手術する前は、あまりイメージが無かったが、 息は大きく吸い込めない。 息を吸うたびに、喉の奥で痰がゴロゴロ。 時々痰絡みの咳をするが、せき込む力が弱くて吐き出せない。 という、現状の呼吸状態を考えると納得した。 呼吸訓練には、以下の「パワーブリーズ」という器具を使用した。

      • 一般病棟へ。

        術後4日目の朝。 テレビを見ながらぼんやり過ごしていると、部屋の出入口の方から、女性看護師さんが朝食を持ってやってきた。 「おはようございます。なかしゅー久しぶりだね!覚えてる~??」 麻酔から覚めた時に出会った、看護師の友人と同じく、その女性看護師も自分の学生時代のあだ名で呼んだ。 よく見ると、高校時代のクラスメイトではないか。 約10年ぶりの再会。 メイクもばっちりきめられると、誰だかわからないさー。。。 まさかここにきて、高校時代からの友人2人に出会うなんて、

        • 苦しい夜。

          ICUの個室に移り、幾分かは快適になったものの、やっぱり夜は寝苦しい。 体温は相変わらず38℃超。喉はからっから。 でも寝付けない理由はこれだけではなかった。 まず、喉の奥の方でずっと痰が絡んでいるが、これがなかなか出せなくて苦しい。 今回行った弁形成術は、右の肋骨の隙間から内視鏡を入れて行う、いわゆるMICS:ミックスという手法で行われたが、この方法は、右肺が視野の妨げになるため、手術中は分離換気により右肺を虚脱させる。 その影響なのか、手術後からずっと「肺炎」のよう

          ICUの個室へ。~現実世界との解離~

          自分が入院していたICUは基本的に、隣のベッドとの間をカーテンで仕切っただけの集団部屋であるが、その中に一部屋だけ個室がある。 集中治療が落ち着きつつあり、一般病棟に移れる目処が立った方が、その個室に入ることが多いらしい。 自分は、術後2日目の午後に、フォーレを抜いて間もなくその個室に移った。 6畳ほどの大きさの部屋で、ベッド周辺に備品(サイドテーブルやポータブルトイレなど)を置くとかなり狭くなってしまうが、ベッド頭上の壁には小窓があり、外からの暖かい光が入ってくる。そ

          ICUの個室へ。~現実世界との解離~

          フォーレを抜く瞬間。。

          術後2日目の午後。 フォーレ(膀胱内に留置する導尿用のカテーテル)を抜くことになった。 フォーレは、体内に入ったままの状態では、特に痛みを感じない。恥骨の上あたりに少々違和感を感じる程度だった。 ただ、このフォーレも手術が一通り終わって、自分がまだ麻酔から覚めないうちに挿入されたものなので、フォーレが尿道の中を通っていく感じはまだわからない。 想像しただけで恐ろしい。。 引き抜くときに、尿道の中ですごい摩擦が掛かって、激痛が走るんじゃないかとか、勝手に妄想を広げたりして

          歩く練習。

          術後2日目。 昨日は、立っただけで胸の違和感があったが、本日はそれほどきつくない。心臓が強くなっているような気がして、嬉しかった。 今日は、準備体操を軽く行って、担当セラピストと一緒にICU内を歩いてみた。 ICUの端から端を往復すると、約50mになるらしい。意外と広かった。 歩行器に体を預け、思うように動かない右脚を若干引きずりながら、ゆっくりゆっくり歩く。 両足とも、足の裏まで浮腫んでいる為、地面をかみしめる感触が乏しい。 一歩踏み出すたびに、少しぐらっとする感じが

          手術後、初めての食事。

          手術翌日のお昼から、食事が出た。 手術後始めての食事。 内容は、水分たっぷりのおかゆ、野菜炒めを細かく刻んだもの、メイバランス(栄養補助飲料)、オルニチンの粉末。 食事としては量がとても少ないが、どれも水分が多くて、喉の渇きを潤せるものばかりだったので、大満足だった。 とにかく喉が渇いている自分は、おかゆを”食べる”というより、飲んだ。 オルニチンも、水に溶かして飲むものだったので、とても有難かった。味は酸っぱいが、慣れるとほんのり甘さも感じられるので、飲むのはそれほ

          手術後、初めての食事。

          横紋筋融解症。

          手術直後から気付いたことだが、右脚の様子が変だ。 左脚と比べても、一回り腫れぼったい感じがする。 右脚に触れてみるが、どこを触れても感覚が鈍い。まるで、サランラップを二重、三重にも巻かれたような感じ。 膝下から足先は、全体的にじりじりと痺れている。 そして、足の指先しか動かない。足首を動かすと、ふくらはぎがものすごい突っ張って、それ以上動かせない。まるで非伸縮性の布でも入っているようだ。そして、ひどい筋肉痛のような痛み。。 この状態は、回診の時に主治医にも話した。 すると

          手術翌朝。

          長ーい夜が明け、何かと忙しい午前中の時間がやってきた。 午前8時には、回診で先生達がやってきた。 主治医「ご気分はどうですか?」 自分「まぁまぁですね・・・喉の渇きが凄いです。」 主治医「うーん、そうだねぇ。手術後だからねぇ。」 自分「この喉の渇きと怠さが無ければ、あとは何ともないんですけどね。。」 サブ担当医「ていうか、手術翌日でよくそんなピンピンして喋れますねー、さすがです。もう帰れそうですね(笑)」 自分「いやいやいや、また死ぬんで帰さないでください(笑)」 という、

          幸せの氷。待ちに待った朝。

          術後は炎症反応が強く出る為、血管外に水分が流出しやすい状況ができ、高熱(常時38℃以上)が続く。その影響か、強烈な喉の渇きが抑えられず、眠っても1時間後に起きて、水を飲んで、また1時間後に喉の渇きで起きて・・・の繰り返し。 その度に看護師さんに水をもらっていると、午前2時半ぐらいの時点で、ついに飲水制限の1000mlに達してしまった。 1日の飲水制限がリセットされるのは午前7時。 担当看護師の友人は、申し訳なさそうな表情で 「ごめんなー。もう水は飲めないわけさー。」と話す。

          幸せの氷。待ちに待った朝。

          家に帰りたくなる患者さんの気持ち。

          飲水制限(1日1000ml)がある中、水を飲み過ぎないよう我慢しながら、ベッドで悶絶していると、遠くから高齢男性の声が聞こえてきた。 男性「お家に帰してください。○○(家族さんの名前?)は?いつ帰れるの??ゴホッゴホッ・・・」 看護師「今日はね、帰れないんです。ここでお泊りしないといけないんですよ・・・」 せん妄か、認知機能の影響か、状況が理解できずにひたすら帰りたいと、必死に訴える患者さんを、女性看護師さんがなだめていた。 自分も病院に勤めているので、そういう光景は今ま

          家に帰りたくなる患者さんの気持ち。

          喉の渇きがとまらない。。。

          麻酔から覚めてしばらくすると、朦朧とした感じも少しずつ晴れてきた。 しかし、頭重感と倦怠感が強く、喉もやたら乾く。 担当看護師さん(高校時代からの友人)に「水が欲しい。」とお願いした。 水を紙コップの5分目程度まで入れて、ストローをさして持ってきてくれた。 術後の安全管理で、まだ自力で起き上がることが許されていない為、ベッドの頭部を30度ほど起こした状態で、ストローを咥えて、水をゆっくり飲んだ。 常温よりも少し冷たい程度の水だったが、すごく幸福な気分になった。 喉の渇きが

          喉の渇きがとまらない。。。

          まさかの再会。

          手術直後のICU。 麻酔から覚めて、しばらくボーっと天井を見つめていたら、 「おい、なかしゅーだよな??俺だよ、わかる??」 学生時代の懐かしいあだ名を呼ぶ声がする。 友達?? でも、こんなところに面会にくるわけもないし・・・ 自分の名を呼ぶ人が、ベッドの横に来た。 目を凝らしてよく見ていると、そこにいたのは看護師の服装をした、高校時代の同級生だった。まさかの再会。 自分「は??なんで??」 同級生「俺、ここで看護師してたんだよ。」 高校卒業後に、自分と同じ専門学校に進

          手術。麻酔の力。

          手術室に入ると、手術用の部屋がいくつか並んでいて、自分は一番奥の部屋に案内された。 入ると、着替えや消毒用のスペースがあり、その場で専用キャップとスリッパを着けさせられた。 病棟から一緒についてきてくれた看護師さんはここでお別れ。手術室の看護師さんに必要事項を申し送って、「それじゃ、がんばってくださいね。」と一言声をかけて、手術室を後にした。 この何気ない一言が、意外と嬉しかった。看護師さんの声掛けって、安心感がある。患者さん側に立つとより感じる。 そして、いよいよ手術

          手術当日

          2020年4月9日 手術当日。 当日になれば緊張もするかと思ったが、何も変わらず。 「この胸の圧迫感や不整脈で寝苦しい日々ともお別れだ」と 気持ちは晴れやかだった。 早朝に主治医と担当医達が病室へ来て 「今日いよいよですけど、どうですか?緊張してます?」と主治医が一言。 「いや、何も・・・。むしろ早くやってほしいです。はははっ」と笑いながら返したら、皆さんあっけにとられたようで 「凄いですね。さすがです(笑)」と笑われた。 医療従事者である分、いろんなことを知りすぎて、