Shoko Nishida

キュレーター/アートマネージャー。2010~2018年ベネッセアートサイト直島において…

Shoko Nishida

キュレーター/アートマネージャー。2010~2018年ベネッセアートサイト直島において、アートプロジェクトの企画・マネジメントやコレクション作品の管理等に携わり、現在はフリーに活動。2019年~ノマドプロダクションに参画。2020年~アートマネージャー・ラボの活動を開始。

マガジン

  • 鑑賞メモ

    展覧会、舞台公演等々を鑑賞したメモを置いていこうと思います。

  • ブックレビュー

    これまで読んだ本に関する読書記録を兼ねたレビュー。 ノマドプロダクションのメールマガジンや、自身のSNSからの再掲あり。

  • エッセイ

最近の記事

【読書メモ】ことばと vol.7(池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」/藤野「おとむらいに誘われて」)

池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」 世界と自分を「ことば」で注意深く形作っていこうとしている(そしてちょいちょい失敗している)うつヰさんの日々。端正な文章表現で綴られている分、余計にうつヰさんが健気に感じた。 読んでいて感じるのは、注意深く形作られたうつヰさんの世界の外側にあるものは、広大で空恐ろしい無辺世界のようなものなのではないかということだった。その世界との境界線をひとたび踏み違えると破滅とか崩壊とかが待っているような。だから前に進んで世界をことばで構築し

    • 【鑑賞メモ】能リ・イマジンド「12拍子の三番叟」

      能 リ・イマジンド『12拍子の三番叟』を見る。 日本の芸能が根差している自然観と、西洋の身体にインストールされた自然観の相違がありありと現れている、と思った。 日本の祝祭芸能である「三番叟」をイギリスのダンスデュオThick&Tightが踊るということで、演目は冒頭のアーティストトークにはじまり、能役者が踊る演目とThick&Tightが踊る演目がそれぞれ行われた。 トークは先じゃなくて後が良かったんではないか?という気がしたが、Thick&Tightがクィアを自認し、な

      • 誰もが文化を享受できる場所を守りたい—国立科学博物館へのメールー

        西田祥子と申します。「アートマネージャー・ラボ」というグループで文化芸術に関わる互助ネットワークづくりやアドボカシー活動を行っています。 この度は、貴館のクラウドファンディングのニュースを拝見し、居ても立っても居られず筆をとりました。この事業がわずか2日で目標の4倍近い金額を達成し、科博を愛する人がこれだけ多いことを嬉しく思うと同時に、貴館がランニングコストを補うために市民に寄付を求めたことが、日本の文化行政に深刻な危機をもたらすのではないかと危惧しております。憲法、博物館

        • ビフォア・アフター

           あ、さわる。  お客さま、と勢いあまって裏返った一声で、客が手を引っ込めた。傷がつかなくて良かったと少しほっとして、たいへん壊れやすい作品なのでお手は、とつづけたその隙に、今度は、左側にある絵の方で結界がわりのアルミ板を踏み越えていく人影が視界をかすめた。あれは間に合わない。制止を諦めたところでおなかがきゅうと鳴り、左手を上に重ねた両手を押し付けて、これ以上鳴らないよう祈りながら腕の時計をみると、時刻は三時を回っていた。交代人員がこない。もしやわたし抜きで休憩が回っているの

        【読書メモ】ことばと vol.7(池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」/藤野「おとむらいに誘われて」)

        マガジン

        • 鑑賞メモ
          2本
        • ブックレビュー
          3本
        • エッセイ
          1本

        記事

          ブックレビュー:日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ

          準備社会と言われる今日、望ましい未来をつかむため、自分を磨き、高め続けなければならないと思ってしまう感覚は、多くの人が共有するもののように思います。 本書は、そうした「自分磨き」の指南書ともいえる自己啓発本を分析したもの。 ターゲットとなる性別や年代を明確に指定した「年代本」。手帳を使って「自分の時間」の有効活用を呼びかける「手帳術」。身の回りの片付けと自己啓発を結びつける「片付け本」。自己啓発本は、日常のそこかしこに入り込みながら、自己という存在をコントロールしていくよ

          ブックレビュー:日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ

          ブックレビュー:武器としての「資本論」

          己の価値を「換算」しなければならない。 働いたり、仕事を求めたりしていると、自分の全てがお金にすり替わっていくような、何とも言えない気持ち悪さを覚える時があります。 本書は、マルクスの名著『資本論』から現代社会を読み解くもの。イノベーション。働き方改革。紙幣と電子マネーの決定的な違い。読み進めるうちに、19世紀にマルクスが看破した資本主義の機構が、現代社会にどれほど深く根付いているかが分かります。非正規雇用の増加やフリーランス化の進行といった現代の労働問題の背景にある、労働

          ブックレビュー:武器としての「資本論」

          ブックレビュー:人間は料理をする ㊤ 火と水/㊦ 空気と土

          「絵を描きたい」とか「何か作りたい」とか思っていたのに、料理をしたら満たされてしまった。そんな経験はないでしょうか?私はあります。料理への欲求と創作への欲求は、同じところから湧いてくるのではないか。そんな気さえします。 というのは個人の印象に過ぎないとはいえ、料理が、極めて「生産的」な営みであることは間違いありません。本書は、あるジャーナリストが、そんな料理の根源に迫ろうとする試みの記録。筆者が、各分野の料理人に教えを請いながら、肉を焼き、出汁を取り、パンを焼き、発酵食品を作

          ブックレビュー:人間は料理をする ㊤ 火と水/㊦ 空気と土

          首。

           皿に首。ぴたりと嵌る。それがきっかけであった。  何年も前から作りかけのまま放置して、なんなら一緒に引っ越しまでした、石粉粘土製の球体関節人形、そのパーツ。球体関節人形と言ったが、関節を作りきれなかったから関節はない。作りかけのその首が、偶然にも、あるとき買ってきた中東の皿に綺麗に収まったのだった。人工的な青灰色の、チャイを飲むのに使うらしいその皿と、人形の顎関節の、奇跡のマリアージュ。いや、繰り返すが、関節はない。ここでいうのはつまり、人間であれば顎関節、顎と首の境目の

          ここまでの観察記録〜ART THINKING WEEK折り返し地点に寄せて〜

          『ハウ・トゥ アート・シンキング』の著者である若宮和男さんと アートマネージャー・ラボで共同企画している展示+ワークショップ企画「ART THINKING WEEK」がただいま絶賛開催中。いま折り返し地点を過ぎたところ。 会期終了まで残り4日、少しでも多くの人に見てもらいたくて、ここまで企画を見届けてきた立場として、いま感じていることを書き綴ってみる。 企画の枠組み 若宮さんと、アートマネージャー・ラボの仲間である熊谷さんのご縁で始まったART THINKING WEEK

          ここまでの観察記録〜ART THINKING WEEK折り返し地点に寄せて〜

          シャドウ・ワークとコロナ禍の10ヶ月  —第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展によせて―

          これは、第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展の開催に際して、本展でキュレーターを務めた西田が書いたステートメントです。会場でハンドアウトとして配布していますが、緊急事態宣言発令下での展覧会開催となったことを鑑み、noteでも公開いたします。 【開催概要】 『第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 片山真理・横田大輔』 会場:ニコンプラザ東京 THE GALLERY 会期:2021年1月19日(火) 〜 2月1日(月) 10:30~17:30 ※日曜休、最終日は15:00まで ※緊

          シャドウ・ワークとコロナ禍の10ヶ月  —第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展によせて―

          「アートマネージャー・ラボ」のこと。

          最近、知人とともに、「アートマネージャー・ラボ」というものを立ち上げた。 最初のきっかけは、コロナ禍に際して文化庁が始めた継続支援事業である。 今年の6月に可決された第二次補正予算案で、文化芸術分野のフリーランスの人々への緊急支援案が盛り込まれた。しかし、その内容を受けて、私が主なフィールドにしている美術分野の人々は大いに慌てた。そこに書いてある内容が全体的に舞台芸術寄りで、「美術」という分野が、対象から外れているように見えたからだ。 【参考】文化庁:文化芸術関係者への支

          「アートマネージャー・ラボ」のこと。

          情念のマネジメント―「あいちトリエンナーレ2019」に思うこと

          私が「あいちトリエンナーレ2019」に足を運んだのは、お盆休みのさなかである8月11~12日のことだ。《表現の不自由展・その後》の展示中止に際して、韓国からの参加アーティスト2名が展示中止を表明した直後で、タニア・ブルゲラなどが抗議声明を出した当日に、作品を鑑賞していた形になる。そして、感想に窮したまま、その後の事態の進展を注視しているうちに、文化芸術の世界を超えた問題にまで発展してしまった。 今回の問題は、作品や芸術祭自体への評価や、芸術祭事務局の意思決定や運営体制のあり

          情念のマネジメント―「あいちトリエンナーレ2019」に思うこと

          『無意味』の奔流―フランク・ステラについて

          制作するという行為そのものについて、最近改めて関心が深くなってきている。このことについて考えるとき、私は、どうしてもフランク・ステラのことを考えずにはいられない。 学生時代、1回生向けのゼミの授業のテーマに取り上げたのは、ミニマリズムの作品だった。 実家にあった西洋美術の本を見開く中で、最も不可解だったミニマリズム。 前の記事にも書いたことではあるけれど、解説を読むと、「主観を排除」し、「芸術の純粋性」なるものを追求した作品たちとされている。図版を見ても、ほぼ白か黒のモノト

          『無意味』の奔流―フランク・ステラについて

          「作品」と「言葉」の距離―LEGOから考えたこと

          近頃、LEGOが熱いらしい。 というわけで、知人の誘いで年末にLEGOを触り、先週、仕事の関係でも触る機会がありました。LEGO® Serious Playというワークショップのことで、LEGOブロックを用いて個々が表現したものに、メタファーを用いた語り(解釈といっても良い気がする)を乗せていくいくことで、チームメンバーの内面を共有し合い、組織力の強化を図るプログラムであるらしい。 やってみて思ったことは一つ。 なるほど、これは、箱庭療法のバリエーションだ。 そして同時に、

          「作品」と「言葉」の距離―LEGOから考えたこと

          オフィーリア回想

          noteの第一弾ヘッダー画像は、ラファエル前派の画家、ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》。この作品は、私の人生を左右した作品の一つである。 実家には、昔から、写真が多用された子どもや若者向けの百科事典が何冊か置いてあった。その中の一冊として、ある日、両親が買ってきたのが『西洋美術館』であり、その中に《オフィーリア》は載っていた。 歌っているのか、既に息絶えているのか。 口を半開きにして、摘み取られた草花とともに、力なく小川に浮かぶ女。 どこか荒んだ空気を漂わせる

          オフィーリア回想

          ここは、私、西田が、アートとその周辺にある現代社会の状況などについて、日々考えている事柄を書き留めるために開設した散文置き場です。 私は、大学で美術史を学んだ後、直島を中心とした瀬戸内海の島々で活動を展開している「ベネッセアートサイト直島」において、アートプロジェクトや展覧会などの企画運営などに携わってきました。現在は直島を離れましたが、抱いている問題意識に変わりはなく、社会における「アート」の役割とは何かということ、「現代の社会はアートに何をさせようとしているのか?」とい