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【読書メモ】ことばと vol.7(池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」/藤野「おとむらいに誘われて」)

2021~2022年にかけて通っていた映画美学校言語表現コース「ことばの学校」第1期を受講していた。同期である池谷さんと藤野さんが、「第五回ことばと新人賞」がなんと池谷さんが受賞、藤野さんが佳作に選出。
早速よんでみました。

池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」

世界と自分を「ことば」で注意深く形作っていこうとしている(そしてちょいちょい失敗している)うつヰさんの日々。端正な文章表現で綴られている分、余計にうつヰさんが健気に感じた。

読んでいて感じるのは、注意深く形作られたうつヰさんの世界の外側にあるものは、広大で空恐ろしい無辺世界のようなものなのではないかということだった。その世界との境界線をひとたび踏み違えると破滅とか崩壊とかが待っているような。だから前に進んで世界をことばで構築していくしかない。「世界の外側」への果てしない恐れのようなもの。背後のデッドラインを踏み越えないように気をつけている緊張感のようなもの。淡々と日々を生きているようでいて、こわい奈落が隣り合わせになっているような印象を持つ。

池谷さんはこれを「リアリズム小説」と言っていて、それは確かその通りだと思った。『ことばと』の(たぶん)名物であるまったく包み隠さない選評の書き起こしで、江國香織が「何の仕事をしているのかもよくわからない」と言っているのがまさに「リアリズム」であることの証明になっていると思った。新しく生まれる仕事は、そこに関わりのない人にとってはひどくわかりにくいものなのだ。(専門は違えど私自身もどちらかというとうつヰさんのワークスタイルと近いので、理解できる。かかりつけの皮膚科医に「何の仕事なのかさっぱりわからない」と言われた。)

思えば、デジタルワールドはまさに「ことば」で構築されているのだ。
勤め先で最先端のデジタル技術を目の当たりにしている池谷さんからこの物語が書き表されたことの説得力。
VRの世界は、私自身にとってはまだ、まだ気軽にするりと入り込めるほど近くはないけれども、この作品のように、リアルとデジタルがひらたく連ない、ずれながら重なる世界観を、たぶん私たちは未来ともいえないくらいの近い将来、体感することになるんだろう。

藤野「おとむらいに誘われて」

多彩な文体を使いこなす藤野さんの作品は、読むごとにまったく違った世界をみせてくれるけれど、今回の「おとむらいに誘われて」のような寓話風の作品は、墨絵風に描かれた美しいアニメーションのようなものが浮かびあがる気がした。

墨絵は墨絵でも、イメージは仙厓さんの禅画とか、徳川家光が描いたウサギやミミズク、あるいは狩野永徳とか長澤芦雪なんかが描くゆるい犬とか、そういう感じである。なかでも、一生懸命だけどなんだかおかしなことになっている家光の絵はかなり近しい感じがする。

文字や紙といった無生物がいきもののようにうごめいている世界のなかで、奇妙な仕事を転々としながら(たぶん)一生懸命にいきている主人公。人だと思って読んでいたけど、実は人じゃないのかもしれない。今現在、主人公たちをとりまく世界はそういう「変な」世界なのだけど、過去の世界のほうが、何やら読み手たる私たちが生きている世界に近い感じがする。物語の軸を担っている主人公も友人は名前が明かされていないのにに、この世界の中で、昔のお隣さんである「山本さん」だけが固有名詞で書かれているあたり、実はちょっとずつ読み手が生きる社会の位相がずれていって作中世界に変質してしまったのだろうか。そんな想像をした。藤野さんが綴る世界には、とぼけた味わいの中にそこはかとない不吉さが漂う。

気になる単語は目白押しだが、やっぱり極めつけは「ぬる豆腐」。読んでいても形が全く想像できなかったのだが、そういえば、家になんかイメージに近い変な片口(リアルな顔がついていて銀の四つ足を持った白磁の片口)があった。取り出してみたら、やっぱり「ぬる豆腐」みたいな感じがした。

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