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シャドウ・ワークとコロナ禍の10ヶ月  —第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展によせて―

これは、第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展の開催に際して、本展でキュレーターを務めた西田が書いたステートメントです。会場でハンドアウトとして配布していますが、緊急事態宣言発令下での展覧会開催となったことを鑑み、noteでも公開いたします。
【開催概要】
『第45回木村伊兵衛写真賞受賞作品展 片山真理・横田大輔』
会場:ニコンプラザ東京 THE GALLERY
会期:2021年1月19日(火) 〜 2月1日(月) 10:30~17:30
※日曜休、最終日は15:00まで
※緊急事態宣言発令下のため、閉館時間が1時間早まっています。
※ニコンプラザ大阪には、2021年2月25日(木) 〜 2021年3月10日(水)に巡回予定。
image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2021/20210119_shinjuku2.html

 東京にこの冬はじめての冬日が訪れた2020年12月16日。
 川べりのコンビニの店先でコーヒーをすすったあと、予約していたレンタルスタジオに向かった。最後の最後で詰めの甘いGoogle Mapに惑わされ、目的地周辺を少しさまよったあとに辿り着いたスタジオは、中古のマンションの地下にあった。
 重い扉を開けるなり、女性が現れた。「予約していた西田です」と名乗ると、「あ、長谷川です!」と返される。一拍おいて、その人が、スタジオのスタッフではなく、これまで何度もやり取りしてきた人だと気づく。

 生では初めまして。

 すっかりお馴染みになったそんな挨拶を交わして、中に入る。
 その日は、第45回木村伊兵衛写真賞の受賞者、片山真理と横田大輔のコラボレーション作品の撮影日なのだった。

コロナ禍の10ヶ月

 ことの起こりは、2020年3月にさかのぼる。
 受賞が公になる少し前から、このコラボレーション企画につながる計画が持ち上がっていた。それは、「木村伊兵衛写真賞の受賞作品展を、二人展形式にする」というものだ。
 「相性良いと思うんだよね」という片山さんの声を受け、横田さんと片山さん、横田さんのマネジメントを担う長谷川円さんと、片山さんの仕事を手伝っている私を入れたメッセンジャーグループが作られて、相談が始まった。話をする中で、企画のキュレーションを私が担うことになった。 
 通常であれば、受賞作品展は、賞の発表の約一か月後。息つく間もなく展示までを駆け抜けなくてはならない。しかし、今年は平素とは様相が異なっていた。
 新型コロナウイルスの感染が拡大し、外出自粛の声が日に日に高まっていた。美術館も次々と臨時休館を決めた。横田さんも片山さんも、春から始まる展示に参加を予定していたが、それらも軒並み延期になった。
 あらゆる予定が不確かになる中、とうとう緊急事態宣言が発令された。
 木村伊兵衛写真賞もまたその影響から逃れることは出来ず、授賞式は中止、展示は無期限延期となった。
 当初は「1ヶ月で二人展が仕込めるか」が課題だった私たちは、一転、いつになるか分からない展示に備えるというふわふわとした状況に置かれることになった。

 外出が制限された2ヶ月は、スタジオにこもりきりで作業することも多いという横田さんにとって、普段の生活と大きな変化があったわけではなかったという。ただ、「思い立った時にふと旅に出る」ということが出来なかった点はいつもと異なっていたらしい。
 一方の片山さんは、自宅スタジオの整備や、ギャラリーから独立したあとの体制を整えるための作業に毎日を費やした。2020年前半の予定がぽっかりと空いたことで、仕事の詰め方、進め方を見直す期間となった。
 コロナ禍との直接の関連が薄いところでも、木村伊兵衛写真賞は激震に揺れた。
 4月末には、展示会場となるニコンプラザの統廃合が、6月には賞の窓口であったアサヒカメラの休刊が相次いで発表されたのだ。イレギュラーな事態の連続に戸惑ったのは、作家側の人間ばかりではなかっただろう。しかしそんな中でも、関係する方々の尽力で、2021年1月と2月に展覧会を開催できることが決まった。秋も半ばを過ぎた頃から、本格的な相談を再開し、展示に向けて企画を詰めていった。

 コラボレーション作品を作るアイデアが生まれたのは、授賞式の中止が決まってからだ。
「真っ白い顔したデカい二人が、金屏風の前に立つってやばくないですか?」と、授賞式の際に、金屏風の前で二人並んで写真を撮るのを楽しみにしていた片山さんが、金屏風をレンタルしてでも二人で写真を撮りたいと言ったのだった。それに横田さんが賛同し、実現を目指すことになった。
 まず議論されたのは、金屏風の写真をどのように撮るかということだ。被写体にもなる受賞作家たち本人たちが撮るのか、誰かに撮ってもらうのか。そこは、いくつか可能性を探ろうということで、撮影してくれる人を探すことになった。
 場所については、最初に候補に挙がったのは写真館だった。記念写真用の備品として金屏風を供えているところがあるに違いなく、撮影してくれる人もいるからだ。発案者だった片山さんは、拠点としている群馬の周辺で、いくつか写真館を当たったが、企画の話をしても首を傾げる人が多かったらしい。
一緒にやるならば、趣旨を理解し、一緒に企んでくれるような人が良い。そこで、横田さんと親しい宇田川直寛さんに撮影をお願いすることにし、場所は金屏風を持っているレンタルスタジオを借りた。

 そして迎えた当日。
 スタジオマン経験もあるという宇田川さんと長谷川さんの二人が、スタジオの収納スペースから次々と機材を運び出し、並べて組み立てる。
 どこまでがテストでどこからが本番なのかがよく分からないくらい、ゆるやかに撮影は始まった。横田さんと片山さんのが、音楽ユニットか何かのように隣り合って並ぶ。金屏風の前で自由に動いてみる。被写体となっている二人もカメラを持ち、レンズに向かってカメラを構える。金屏風を控えスペース側に動かして、散らかったテーブルや居並ぶ備品と共に撮影したカットもあった。
「金屏風」というある種ステレオタイプな道具を使って、遊ぶように撮影を行い、予約していた時間を過不足なく使い切って、無事に終了した。

 こうした10ヶ月に及ぶやり取りの積み重ねの末、2021年の1月、2月に受賞作品展は開催される。

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展覧会について

ここで、展覧会そのものに立ち返るならば、今回着目したのは、横田さんと片山さんが、ひとつの作品を作るために費やす膨大な「作業量」である。いや、「ひとつの作品を作り出すために」という言葉は、正確ではないかもしれない。本人にも何なのかよく分からない「手すさび」から生まれ落ちたものが、いつしか「作品」と呼ばれるようになる。2人の作品は、そうしたものであるようにも思える。

 片山さんの作家としての出発点は、写真ではなく、手縫いで作ったオブジェ群にある。それらを見せるための手段としてカメラを取り、作品を身につける「マネキン」として自身の身体を見出した。片山さんの制作行為は、手仕事と撮影とが円環をなすようにつながっている。手作りのオブジェをを並べて写真の構図を作り、ドレスアップしてポーズをとり、自らシャッターを押す。そしてプリントした後に額装し、ときに額にさえ自ら装飾を施していく。
 過去に制作したオブジェ作品を全て並べた空間の中に片山さんが佇む《shell》と《beast》には、撮影にかける作業量が明確に可視化されている。
 《cannot turn the clock back – surface》は、ペインティングを転写した布を背景に剥き出しの背中を写した作品である。2015年ごろから足尾銅山の撮影を続ける片山さんが、足尾の山々と、足のない身体を支えるため筋肉の発達した自身の背中を重ね合わせたことから生まれた。
 数種類の布やオブジェを重ね合わせてできた《untitled》には、針仕事と写真の間を行き来する片山さんの制作活動のプロセスがよく表れている。黄金色の布は、2017年に作られたもので《cannot turn the clock back》シリーズの背景に使われた布に、同シリーズの写真作品を転写プリントした布を縫い合わせている。もう一枚は、イミテーションヘアーを貼り付けたオーガンジーの布で、針仕事を数年ぶりに再開した片山さんが制作したものだ。それらを取り巻くように、スナップ写真を中に入れたハート型のオブジェが点在する。
 ヴェネチア・ビエンナーレへの参加、写真集『GIFT』の出版、イギリスやアメリカでの個展開催、足尾銅山を取材した写真シリーズの制作。これだけの活動をしていながら、片山さんは、出産後の三年間を「ブランク」だったと語る。そんな片山さんにとって、針仕事の再開は、自身の活動を「再始動」させる契機となったようだ。手仕事が、片山さんの作家としての実感を支えていることを示しているようにも見える。

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 横田さんの作品は、いつもどこか「暫定的」だ。
 受賞作でもある《Sediment》は、熱湯で現像することにより乳剤が溶けて剥がれたフィルムや、溶けた乳剤そのものを使った実験の過程をスキャンした「Color Photographs」に連なる作品である。『Color Photographs』(Harper's Books and Flying Books, 2015年)を皮切りに、『Scum』『Dregs』『Sediment』という3冊の私家版の写真集としても発表され、この実験の中の異なる作業段階にあるイメージがそれぞれにまとめられている。
 横田さんによれば、最初から意図をもって分類していたわけではなく、写真集にまとめていく過程で分かれていったのだという。試行錯誤のなかで次々とイメージが派生し、枝分かれしていくさまは、生命の進化を示す系統樹のようでもある。
《Room》は、渋谷や立川周辺のラブホテルを泊まり歩く「東京旅行」の中で撮影されたシリーズである。スタジオに籠って実験をくりかえす一方で、横田さんは、時折ふっと旅に出る。旅とは自身の身体をあえて不安定にする行為だ。横田さんは自らを揺れ動く状態におき、ラブホテルというとりわけ仮構性の強い場所を、仮の宿に定める。《Room》も《Sediment》も、アプローチは異なるが、常に変化していくものの一端をつなぎとめたものである点は共通している。
 横田さんは、一つのイメージを、写真集やモニターや塩化ビニールといった様々なメディアで「作品化」し、更に加工を重ねていく。そこにあるのは、「完成させることへの違和感」であるように見える。《Matter》は、それが最もよく表れた作品だ。現像する行程の途上にあるイメージをロール紙に出力し、インスタレーションとして展開する。そうすることで、「写真集」としてまとまってしまったストーリーを解体しようとする。
「うんざりしながらこねくり回しているのが、たぶん好きなんだと思う」という言葉通り、横田さんは、時に「作品」という楔を打ちながら、終わらない営みを続けている。

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社会哲学者イヴァン・イリイチは、産業社会における賃労働に対し、無報酬で行われる仕事を「シャドウ・ワーク(shadow work)」と呼んだ。女性の家事労働について語る際に引用されることの多い言葉であるが、実際には、イリイチは、通勤や通学、生徒が教師から「教えを受ける」こと、患者が医師から「診察を受ける」ことなど、今日の社会において人々が無意識のうちに強いられている顕在化しにくい行動全般を指す言葉として使っている。傾けた時間の長さで価値や成果が測られることが殆どないアーティストたちの仕事もまた、「シャドウ・ワーク」と化しやすいものだといえる。
 「新しい生活様式」という標語のもと、多くの人が暮らしのありかたを見直さざるを得なくなった2020年、少なくとも「シャドウ・ワーク」による負荷の一部が明るみに出た。(リモートワークが浸透し、通勤などの移動がもたらす身体的負荷の大きさを実感した人は多いだろう。)文化芸術の分野においても、文化庁が実施した継続支援制度によって、文化芸術の世界で働く個人の仕事に支援の手が差し伸べられた。(余談だが、このテキストを収録するZINEの制作費も、この継続支援による補助金から出す予定だ。)

 イリイチが、「シャドウ・ワーク」を提唱する先に見ていたのは、この概念を顕在化させることではなく、恐らくは「賃労働」と「シャドウ・ワーク」という対立構造そのものをなくすことだった。しかし、貨幣との関係を断つことが難しい今日の社会の中では、いくら貨幣に換算できない価値を称揚したところで、己が生み出す価値を貨幣によって換算されることに、ある程度折り合いをつけて生きていくしかない。けれどそれでも、この混迷の年に、横田大輔と片山真理という二人のアーティストが、揃って評価を受けるに至った経緯を記録に残すことは、ささやかながら、きっと重要なことに違いない。
 膨大な作業の積み重ねによって形作られた二人の作品の価値について語ることが、いま、何かを迷いながら続けている人や、小さな作業に手間暇かけている人の背中を押すことにつながることを願っている。


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